30. 噂
「わぁ、とっても可愛らしいお屋敷ですね!」
言いながらリーフィニアが見上げたのは、王都の一角にあるレンガ造りの屋敷だ。
2階建ての小さな洋館だが少人数で過ごすには十分すぎる広さで、黒い屋根に白い窓枠や手摺りが際立つオシャレな外観。
綺麗に整えられた植木の間に敷き詰められた多彩な石畳も含め、リーフィニア好みの屋敷をウットリと眺めてしまった。
「まさか、こんな素敵な別邸をお持ちだとは思いませんでした」
「王都に来なきゃいけない機会はよくあるけどトムタッタからじゃ遠いからな。いちいち宿取るのも大変だからって父上が建てたんだよ」
そう、ここはオストラヴァ家が所有している別邸だ。
王家主催の夜会など全ての貴族が参加しなければならない行事というのが時折あり、また跡継ぎとなる者や優秀な人材は王都の学園にも通うことになる。
それらを踏まえての利便性を考え、現辺境伯が一念発起したらしい。
「デザインは母上が拘って決めたんだ。気に入ってくれたんなら良かったよ」
「お母様が…!とてもセンスのいいお方だったんですね」
改めて目をキラキラさせながら見上げるリーフィニア。
アッシュは元侯爵令嬢だったリーフィニアが小さな屋敷で平気かと不安もあったが、余計な心配だったなと安堵して降りた馬車内を覗き込んだ。
「ほらユーゾフ起きろ。もう着いてんぞ」
「んむにゃ…」
爆睡していたユーゾフは涎を垂らしながらなんとか顔だけ上げた。
しかし眠気のあまり体は動かない。
「あにうへ…こどもの体ってしゅごい時間がゆっくりに感じるんらよ…。だかりゃおれの乗車時間は兄上の倍なのれぁふ…」
言いながら力尽き座席に突っ伏すユーゾフ。
確かに3歳児に5日間の旅程は大変だったよなと思いながら、アッシュは肩を落としてユーゾフを抱き上げた。
と、そんなアッシュに快活な声が掛けられる。
「アッシュ様!あっしが替わりに抱っこしましょうか?」
言ったのは料理長のオッタだ。
隣にはメイド長のカーサもいて、この夫婦は王都までついてきてくれたのである。
もちろんリーフィニアの専属メイドであるジュマも一緒だ。
因みに、執事長のガハルはリアムと同じく屋敷の管理のためトムタッタに残っている。
「いいよ、軽いしな。それより夕飯に美味いもんを頼む」
「わかりやした!」
アッシュの貴族らしくない行動など今更で、オッタは気にも止めずに返事をした。
その間にカーサがスッと前に出て先導し始める。
「それでは、お疲れでしょうしお部屋までご案内しますね」
「リーフィニア様、荷物はわたしが持ちます!」
「ええ、ありがとう」
マジックバッグなので特に持つのも大変ではないが、意気揚々と申し出たジュマにくすりと笑って任せるリーフィニア。
それからエントランスに入ると、別邸の使用人が両脇に並んで出迎えてくれた。
「おかえりなさいませ」
時々しか来ることのない筈の別邸でも告げられる『おかえり』という言葉。
塵ひとつ無い綺麗な室内から主人が不在でもしっかりと仕事をする者ばかりなのも窺える。
王都の在住ならばリーフィニアの悪女の噂も沢山聞いているだろうに、誰も嫌な顔一つせずにこやかに応対してくれた。
「若奥様、お疲れですよね?お湯のご用意もできております」
「ご不便ありましたら何なりとお申し付けください」
内心の緊張など微塵も見せない使用人達に感謝の心が込み上げる。
もし宿に泊まっていたならば、こんなに安らかな気持ちにはなれなかっただろう。
「…本当に、素敵な別邸ですね」
感慨深げに呟いたリーフィニアの言葉の意図を読み取り、アッシュは何も言わずにただ笑みを作った。
暖色系に整えられた屋内をカーサの案内のもと歩き2階へと進む。
そして、とある一室の前でカーサは足を止めた。
「リーフィニア様、こちらが別邸でのお部屋になります。ご確認ください」
言われるがまま、開かれた扉から中を覗き込む。
「まあ」
室内は全体的に見るとコーラルピンクでまとめられ、それでも決して子供っぽくはない落ち着いた雰囲気だ。
壁はピンクが目立ち過ぎないよう金色の花模様があり、白い天井には木枠が嵌められている。
フローリングには菖蒲色のカーペットが敷かれ、ポピーレッドのソファーやベッドも統一感が出ていて文句の付けようがない部屋だった。
「素敵なお部屋ね。一時滞在で使用するだけなのが惜しいくらいだわ」
「それならば良かったです。問題が無ければ、今後も別邸へ来た際はこちらのお部屋をご使用ください」
「わかったわ。ありがとう」
問題などある筈がないと思いながらリーフィニアは心躍らせる。
が、早速中へ入ろうと一歩踏み出した時にアッシュが横から補足した。
「リーフィニア、隣が俺の部屋だ。本邸と一緒で扉で繋がってるから、もし何かあればいつでも声掛けてくれ」
「え、あ、そうなんですね!わかりました」
王都でどんな危険があるか分からないため警戒しての意味だとわかってはいるものの、別邸でも続き部屋だと知りついドギマギしてしまうリーフィニア。
動揺して赤くなるリーフィニアの姿に、アッシュも意識してしまいボソリと呟く。
「そんな反応されたら期待するから勘弁してくれ…」
「え?」
「いや、何でもない。俺はユーゾフを部屋に連れてって休ませるから、リーフィニアも夕食までゆっくり身体を休めてくれ」
悪女化の真相が判明するまでは拒否されると分かっているのもあり、煩悩を振り払うように早足で立ち去るアッシュ。
少しだけ寂しさを覚えつつ、リーフィニアも自室へと入った。
ユーゾフ程ではないにしても、長く馬車に乗っていた身体には疲労が蓄積しておりソファーに腰掛けた瞬間にどっと疲れが押し寄せる。
「リーフィニア様、湯殿へ行きますか?」
「ええ、そうするわ」
察して直ぐに提案してくれたジュマに返事をし、疲れを取るために浴室へと向かった。
本邸のメイド達に負けないくらいに別邸のメイド達も腕が良く、入浴やマッサージであっという間に身体がほぐされる。
そして夕食の時間を迎える頃にはすっかり元気を取り戻していた。
「お、来たかリーフィニア」
「お待たせいたしました。ユーゾフはもう大丈夫?」
「眠気はとれたけど今はただおなかすいてる…」
ぐぅーとお腹を鳴らすユーゾフにアッシュと共に笑み、食堂の席に着くリーフィニア。
全員が揃った事で料理が次々と並べられていった。
オッタが腕によりをかけて作った料理によって良い香りが充満していく。
「うわぁーうまそう!いただきます!」
待ち切れないユーゾフが食事の挨拶をしたのを皮切りに、夕食の時間がスタートした。
「喉に詰まらせんなよ?」「わふぁってるよ」なんて会話から始まり自然と談笑する流れになる。
その最中、ふと思い出したアッシュがユーゾフに質問した。
「そういやユーゾフ。ミナスの調査は明日のパーティーまでには間に合わなそうか?」
アッシュやリーフィニアはパーティーの準備で忙しなかった為、情報ギルド黒兎との連絡はユーゾフに任せていた。
王都へ来る前に悪女化の原因が分かれば心強いとダメ元で急いでもらっていたのだ。
しかし、肉を頬張りながらユーゾフは渋い顔をする。
「ん~がんばぶぁってくれてるけど難しいみたいだよ。あの日話してくれたのってギルドにあった調査資料の内容だったんだけど、改めてその資料を引っ張り出してもやっぱりそれ以上のことは書いてなかったんだって。そんで魔女のいた外国にまで調査に行ってるから時間かかってるっぽい」
「あー、それは確かに厳しいな。しかも100年も前の出来事じゃあ時間がかかるのも無理ないか…」
魔女として処刑された人物の資料となれば、能力の詳細は抹消されている可能性だってある。
となれば下手に待つより今ある情報だけで対処するのが賢明だと判断した。
「リーフィニア、分かってると思うが明日は誰に話しかけられても宣誓に当たりそうな言葉は避けるよう気を付けてくれ。あと何かを求められても出来るだけ断るようにしてくれるか?直接的な危険には俺の方で対処するから」
「は、はい!細心の注意を払いますっ」
3年前もただの会話が宣誓判定された可能性があるのだ。
社交も必要最低限に留めようと心に決めるリーフィニア。
気を引き締める2人を見て、ユーゾフは「おっと言いわすれてた」と話を追加した。
「そういや調査に時間かかってる代わりに、王都での情報も教えてくれたよ」
「王都の情報?」
「うん。なんか貴族のあいだで今回のパーティーにあの悪女が参加するぞって噂がけっこう悪意がある感じで広まってるんだって」
不穏な雰囲気につい眉根が寄るアッシュと暗い表情になるリーフィニア。
ユーゾフは聞いた話を包み隠さず告げた。
「また会うなんていやだっていう普通の反応もあるけど、首都を追い出されてみじめになった姿を見てやりたいとか婚約者を奪われた負け犬がどんな顔で来るのか楽しみとかいう人が多いらしいよ。辺境から来るんじゃロクなドレスも着られないんじゃないかーとかさ」
「はあ…予想はしてたけど針の筵だな」
薄笑いしながら溜め息を吐いてアッシュは食事を口に運ぶ。
一方でリーフィニアは手を止め申し訳なさそうに小さくなった。
「私のせいですみません…」
アッシュもユーゾフも他の貴族に苛立つだけだったが、噂の対象であるリーフィニアはそうもいかない。
本来無関係だった筈のアッシュ達も巻き込んでしまう事に心苦しくなってしまった。
けれどアッシュは一切気にした様子も無く飄々と答える。
「謝んなくていい。寧ろ俺はちょっと楽しみになってきたぜ?」
「え?楽しみに?」
こんな状況で何が楽しみだと言うのだろう。
そんな疑問を持つリーフィニアにニッと口の端を上げて言葉を続けるアッシュ。
「噂の分だけ、リーフィニアの今の姿を見て驚く奴らの顔を拝めんだろ?」
「おーそれいいね!おれも見たい!」
アッシュの意見を聞きユーゾフも諸手を挙げて賛同する。
兄弟2人で悪どい顔をしながら「フフフ」と笑う姿は本気であり、そのポジティブさにリーフィニアの気持ちもあっという間に軽くなった。
偽りが無いのを更に証明するように、アッシュは壁際に控えているカーサとジュマに目を向け指示を出す。
「カーサ、ジュマ。いつも以上に念入りに頼むな」
頼まれたカーサはトンと胸を叩き、ジュマは片手を上げて自信に満ちた返事をした。
「お任せください。服飾師ルシールが丹精込めて仕立てたドレスで、美しく且つ清楚可憐に変身させてみせますわっ」
「わたしも!リーフィニア様の美しさを全力で引き立ててみせますっ」
が、気合が入り過ぎている2人が少々心配になりアッシュは注意事項を追加する。
「あーけど、婚約発表する主役よりは派手にすんなよ?」
「大丈夫ですわ。ドレスはアッシュ様の瞳の色ですから!」
「ほぉーう?」
アッシュの目は灰紫なのでド派手にはならないという意味でだが、明らかに地味な色だと宣言した状況にしまった!という顔で口を押さえるカーサ。
リーフィニアや他の使用人は吹き出しそうになるのを必死に堪える。
結果的に場は和やかになり、気を引き締めつつも楽しい夕食の時間となった。
そして…ついに妹と元婚約者の婚約披露パーティーの日を迎えたのだった。




