9 おはよう
まず最初に、聴覚がマスクの中で響く自分の呼吸音を捉えた。
次に額と胸部にくすぐったい感触がして、ようやくそこでこれが新しい身体であることに思い当たる。重い瞼を無理やり開いた。
棺に似た透明なケース越しに見えるぼやけた天井が、ゾンビにでもなった気分にさせる。
これが“継体”だ……。
また成功したのか。私も失敗したその先に行けたら良かったのに。
真新しい体は重たい。もう一度目を閉じた。
ケース内の水位が下がって、水面が肌を撫でていく。
前の私に何があった?確かサーミルと一緒の任務で……。
ああ、思い出した。
あれは悪夢のような戦闘だった。いや、戦闘だと呼べるようなものじゃなかった。ひたすら一方的に痛めつけられて、どれが致命傷だったのかも分からない。
継体のたびにトラウマ防止策として最後の五分間の記憶は保存されない。
残っている記憶のさらに五分後まで、虫の息であいつを喜ばせていたのだろう。軍の用意した精神保護策は、彼の残虐さの前では役に立たないらしい。
あの冷たく重い鋼鉄の手を思い出して、思わず舌が動くか確認してしまった。
生体維持用の溶液が全て排出され終わった。ガラスの蓋の留め具が軽い音を立てて自動で外れ、少しだけ開いた。
隙間から空気が流れ込んでくる。寒い。
誰かがタオルを持ってくるまで、このままじっとしていよう。
「おーい」
……。
「おーい、マヤ?」
ガラスの蓋をゆっくり開く音がする。ヨースケの声だ。
「起きてるだろ?」
「……うん」
ケースの端を掴んで、仕方なくゆっくり重い体を起こした。酸素マスクが太ももに落ちる。目元を擦る。まだ視界がぼやけている。
「まったく。お前がいなくなったら、ロボの配属先にうちが選ばれる可能性が下がるだろ」
「ああ……それ、忘れてた……」
ヨースケはテーブルの上に置いてあったタオルを掴んで、私の濡れた顔をくしゃくしゃに拭いてきた。前が見えない。
「うーっ、それ台拭きでしょ」
「知らん!
あそこまで順調だったのにまさかやられちまうなんて……ったく!」
笑いそうになってしまった。昔、私が継体するたびに彼はこうやって私を待っていてくれた。それが懐かしくて。
「ちゃんと動いてるならいい。じゃあな!」
そして、彼はいつも私の頭にバスタオルを被せるとそっけなく立ち去る。
制空権はグレーのままだろうから、ヨースケは車両で戻ってきたはずだ。なら、あれから10時間は経過したことになる。
サーミルは今も要塞に留まっているだろう。
『まだ三発残ってるよ』……彼の言葉を思い出して、体を拭く手が止まった。『マヤは僕を信じてくれなかったの?』なんて思っているだろうか。彼はそんな言い方はしないかもしれないけれど。
身体検査を済ませ、兵舎の屋上でヨースケと並び、遠くを眺める。
「あの後どうなったの?」
「さぁな。お前が死んだって聞いてすぐ出たから知らん。でも、ハードを入れ替えようがリセットしようが簡単には復旧できないようにしてある。
時間稼ぎの目的は果たせたはずだ」
「そう、それなら良かった」
「良くねぇよ。サーミルのやつ、子供みたいな顔してたぞ」
「……何か、言ってた?」
「何も言わねぇよ。分かるだろ」
ヨースケが紙のタバコを咥えて火をつけた。彼は電子タバコよりこっちの方が好きらしい。
「……私の判断、間違ってたのかな」
「今さらそんなこと言ってもしょうがねぇだろ。さっきテキストでお前が起きたってメッセージ送ったけど、お前からも連絡してやれよ」
「うん」
「ああ、そういえばひっさしぶりにアレ見たな。衛星砲。あれお前がやったのか?」
久しぶりに耳にした。衛星砲。
『衛星砲』とは言っても、SF映画で無数のエネルギー砲を降らせるような代物ではない。正式には『衛星精密砲』。三つの弾丸が指定されたターゲットに追尾・衝突する。
「知らない。何のこと?」
「俺が撤退中、発射されたの見たぞ。青い光の筋。」
……全く身に覚えが無い。
「私にそんな権限無いよ。私が死んだあとじゃない?」
「確かに……お前が持ってた通信機、近距離専用だったしな。じゃあヘリのクルーか?」
衛星砲は複数認証制だ。
いち兵士が目の前に厄介な奴がいるからって簡単に発射できるようなものじゃない。一発撃つとその後しばらく発射できなくなってしまうし、そもそも撃ったからといって勝利に繋がるほどの強力な広範囲攻撃でもない。
使いどころが難しい上に威力の割には高コスト。滅多に使われることのない兵器。
「でも、どうしてそれが工作の終わった敵基地に発射されたの?」
「さあな。俺たちは工作後のことは聞かされてないし。変だよな? 単純に38要塞が重要基地だからってわけじゃなくて……なんとなく司令部よりも上の連中がざわついてる感じがする」
突然電子音が響いた。ヨースケの通信機の呼び出し音だった。
「整備二班、アイザワ。……了解。すぐ行く。
あぁ、まったく。整備の手が足りてないらしい。ちょっと行ってくる。最近俺の労働者としての人権が全く保障されてない気がするんだよなぁ……」
「私もついてく」
「別にいいけど、邪魔するなよ」




