8 負けじゃない
注意)暴力描写あり。
きっと隊長だったらこんな状況でも諦めない。もし彼だったら。
立ち上がって、ステルスを起動し、駆けた。中に戻るドアはロックされているから、サーミルが使ったルートを試すしかない。
私は彼ほど器用ではないけれど……
バンッと乾いた音と同時に、強烈な激痛が走り足が崩れた。右膝を背後から一発。
スーツのステルス機能が中途半端に解除され、視界に入る自分の腕が不規則に点滅している。
「うぅ……はっ……ふ……っぐっ……」
点滅する体を丸めて、撃たれた場所の周りに爪を立てる。
「くっ……そ……」
スモークの中、ステルスまで起動したのに、あいつは正確に膝を撃ち抜いてきた。
白い煙の奥で、あいつはしゃがんで何かを拾い、すぐに煙から出てきた。その手は、いつの間にか落としていた赤いタブレットを掴んでいた。
サイレンサーハンドガンでアイセンサーを狙い撃つ。が、私の攻撃などまるで存在していないかのようにゆっくりと歩いてきて、私の前で止まった。
隊長なら、隊長ならどうするの?
その巨体はシリンダー配管を流れる作動油の微かな流体音とアクチュエーターの乾いた音を立てながらしゃがむと、冷たい左手で私の右手首を握り、まるで子供から玩具を取り上げるように逆の手で銃を抜き取った。
「……っ!?」
手首を握り潰されるかと思ったが、ウォレスはそのまま私の手を使い、赤いタブレットを操作し始めた。
「不便だろ?俺のこのイカした指じゃあ、銃は撃ててもタブレットの操作だけはどうにもならねぇんだ。マイノリティに優しくねぇよなぁ……あいつ、ちゃんと俺の痒み止めは申請したのかよ?」
そして、私の指でロックを解除した後にパッと表示された画面を一度スクロールした後、声色が変わった。
「おい、……おい。てめぇ……これを見たのか?」
急に、掴まれていた手首の圧が強まり激痛が走った。
「ああっ!」
「……このクソネズミが……覗いちゃいけねぇもん覗いちまったなぁ!」
左からタブレットで頬をぶたれた。頭が一瞬眩んで、戻ってきた視界の中でそのタブレットがコンクリートに叩きつけられ、何度も踏みつけられていた。
思わず後ずさろうとした瞬間、その金属の足が腹部にめり込み、衝撃でわずかに体が浮いた。
「うっ……げほっ」
内臓の位置がずれたような、胃がせり上がるような感覚。衝撃と生理的な涙で視界が滲む。
痛みでのたうち回ることもできず、ただ体を曲げて痛みが少しでも引くのを呼吸を止めて待った。
「ああ……妙にタフな野郎だと思ったら、そうか…‥遮音マスクなんか付けてやがるのか。んなもん付けてたらせっかくの悲鳴が聞こえねぇだろうが」
胸ぐらを捕まれ立たされると、そのまま頭部のステルス生地ごと乱暴にマスクを引き剥がされた。
ぬるい夜の湿気た空気が顔に当たり、ゴーグルがコンクリートの床に音を立てて落ちて、留めていた髪が背中で広がった。
「……! お前……for fuck's sake(よりによって……!)」
酷く狼狽えたように彼は言葉を詰まらせた。
私が見たのはただの投薬記録のはずだ。……その何が彼をこんなに動揺させているんだ。
「……女かよ……女にコレを見られたなんて、冗談じゃねえ! ああ、Fuckin'... bloody hell...(クソ、最悪だ……)」
「いっ……」
胸ぐらを掴んだ片手でそのまま壁に叩きつけられる。こいつ、頑丈なだけじゃない。腕力も握力も化け物じみてる。
脚を撃たれた時点でもう死が確定したようなものだ。……でも、こいつ、撃たない。
私を簡単に死なせてくれるつもりが無いのかもしれない。
それに気付いてしまってから、血の気が引いた。
背中から嫌な汗が噴き出し、呼吸が乱れる。
死に慣れたはずなのに、今は眼の前の鉄の塊が……心から恐ろしい。
撃たれた膝と蹴られた腹の痛みで体に力が入らない。呼吸のたびに内臓が軋む。
ウォレスはわざとらしく足音を立て近付くと、ゆっくりとしゃがんで私に目線を合わせた。
「Oi、……そんなにガタガタすんなよ。雨の日のモモイロインコみてぇだぜ、mate」
彼は私の頬を右手の冷たい甲で撫で下ろし、その親指を無理やり口内に押し込んだ。
意味を悟った瞬間、身を捩って逃げようとしたが、もう遅かった。
「舌噛み切られちまったらつまんねぇから……なッ!」
そのまま勢いをつけて頭をコンクリートに打ち付けられ、頭蓋が震えた。目を開いているのに視界が白くチカチカして、焦点が定まらない。
恐ろしいのは、これでも手加減されているのが分かること。
「Ha!、お前らの上官に言ってみろよ。上等な報告になるぜ。“VE軍ご自慢の機兵は! お薬瓶同然でした!”ってな!!」
同じ衝撃が何度か繰り返されるうちにコンクリートに血だまりができていた。
「これで俺とお揃いのカラーリングになったじゃねぇか」
血が目に流れてくるし、視界はぶれたまま戻らない。
「嬉しいだろ? ほら、笑えって」
ウォレスが口内に居座る指で舌をかき回しながらぐいっと私の片方の口角を上げた。
怒りを発散したせいかウォレスの声は落ち着き、むしろ機嫌が良くなった様子ですらある。
「なぁ、死ぬのにゃ悪くねぇ夜だろ? 最強の男と二人きりの屋上で、遠くで花火が上がってるし、空にはお星様がキラキラ……して……ねぇな。
真っ暗だ。お前の片割れのネズミをぶら下げたヘリも見えねぇ」
ウォレスはそう言って、掴んだ私の頭を空に向けさせた。
彼の言う通り、そこには何もない。ずっと遠くの爆発が、ぼんやりと雲を明るく瞬かせているだけ。
サーミルが帰還できたなら、良かった。
気絶しそうなほど痛いし、左耳は聞こえなくなってしまった。情けなくて無様だけど、「この私」が死ぬ理由がそれなら、良かった。
冷たい金属の指を咥えさせられたまま、少しだけ、自分のために微笑んだ。
「そう、らな……わるくない」
「お? お前、俺の声が聞こえねぇのかと思ったぜ。初めてじゃねぇか? 俺の言葉に反応したの」
力の入らない頭を玩具のようにぐるぐると回され、視界が回る。
「Sweet heart、お前の名前、聞いてねぇよな? ……いや、いいぜ。言わなくて。一夜限りの相手に名前を聞くのは野暮ってもんだ」
私たちのしたことはVE軍の前線をわずかにでも押し返す作戦の前段階に過ぎない。
そして、こいつが私を痛めつけている間にも前線は混乱で蝕まれていく。
ああ、きっとこいつがカインだったなら、真っ先にシステムを正常化させるための最適解行動をしていただろう。
そう思うと、この返り血を浴びたご機嫌な戦闘機兵が滑稽に思えてきた。
「……おい、何笑ってやがる」
「うぶッ……」
剛脚に腹を蹴り飛ばされ、鉄の味が喉に張り付く。
「しっかし、俺みたいな奴を相手にするとナノマシンってのは逆に厄介だよな? 痛いばっかでなかなか死なせてくれねぇんだから。
ハァ……お前らが通信をぶっ壊してくれたおかげで召集の催促が来ねぇなぁ。おい、時計持ってるか? Ah, bugger...(あぁ、しまった……)俺が壊しちまったか」
手首の袖をめくり、そこに巻いた秒針の折れた時計を見たウォレスが肩を竦めて見せた。
体が冷たい。体内から血液とナノマシンが失われすぎたのだろう。
ウォレスの鼻歌を聞かされながら、五感が薄れていく。自分の瞼が今開いているのかどうかさえわからない。
身体から剥がれ落ちた意識が闇の中へ溶けていく。




