7 臆病だから
『おーい、聞こえるか? こっちは完了したぞ』
息を殺してじっとその報告を待っていたのに、ヨースケの声はいつもと同じ調子だった。
『この基地への襲撃通知と敵が展開してるエリアへのニセ敵襲アラートを流しておいてやった。前線にとっては挟み撃ちにされるっていう最悪のお知らせだ。……ん-、ちょっと数を盛り過ぎたかな……』
「盛り過ぎたって、どれぐらい?」
『はは……前線なんか捨てて今すぐ味方と合流したくなるぐらいの規模だ。
この基地からのアラートは前線に届くけど、向こうからの通信は有線も遠距離無線も遮断してあるから、あいつら今ごろ焦ってるだろうな。
衛星通信を使おうにも、過去の戦場のセンサーログや地形データなんかの要らないくせにデカいデータを、ヘッダーを改ざんして最優先情報としてループ送信し続けてる。帯域がパンクして本部との連絡すら取れない状態だ。
車両用の自動タレットの味方識別判定も弄ってある。時間差で反応するイケズ設定にしておいたぜ。わざわざ確認に来た車両を潰してくれるはずだ』
『対空タレットの無効化も忘れてないよね?』
『もちろん。お前らが帰れなくなっちまうからな。十七分後にはバーサーカー化して、近付いてきた航空機を全部敵認定するようにしておいた。とにかく孤立してる時間を稼いでおきたいからな。
電子制御の全部のドアに強制ロックをかける。それだけあれば二人とも屋上に出られるだろ?』
『三分でいい。マヤは最上階だし、僕は通路の窓から出る』
『了解。設定後俺も撤収する。回収班にはもう合図を送ったから近くで待機してるはずだ。すぐに到着する。閉じ込められるなよ? マヤ!』
『敵に遭遇した時の判断は任せる。その時の痕跡の処理は考えなくていい。とにかく屋上での合流を優先して。動く前に、持ち込んだデバイスの破壊を忘れないで』
「了解」
もはやサーミルにとって窓は当然の移動ルートになっているのだろうか。ずっと彼のことを猫みたいだって思っていたけれど、実は蜘蛛に近いんじゃないか。
デバイスの端に伸びるワイヤーを引っ張ると、すぐに細い煙が立ち上った。通電して自壊回路が作動し中の基板が焼けた証拠だ。これで中を解析される心配は無い。
伏せて置いていた整備士のパッドを掴んで、ステルスを起動して走る。
――こんなにうまくいくとは思わなかった。
最初の遠距離飛行で体力を削られたが、警戒が薄くその後は順調だった。前進基地とはいえ前線から距離があるから、敵も侵入されるとは思っていなかったのだろう。
突入タイミングも良かった。もしも時間が後ろにずれていたら、後から来た整備兵を含めた三人を一度に相手にしなくちゃいけないところだった。
前方に敵の後ろ姿を認め、足音を消したまま素早く近付き、抜いたナイフの刃をその首に深く突き立てた。
相手は振り向ききる前に小さく掠れた声を上げて倒れる。
『……おい、聞こえるか。こちら回収班』
『ああ、来たんだね。ハーネスを下ろしておいてくれ』
『了解。二人分でいいな?』
チャンネルに投入時と同じパイロットの声と新しく追加されたであろう揚収員の声が入った。
ナイフを引き抜いて屋上への階段を一気に駆け上り、ドアを開けると、ヘリのすさまじい風圧で一瞬押し返されそうになった。
既に到着していたサーミルが、ハーネスを締めているところだった。
スーツのステルスを解除しながら彼に歩み寄る。
「二階の窓から出て、私よりも先に着いたの? もう、本当に蜘蛛みたい」
『さぁ、マヤ。帰還しよう』
通信越しのサーミルの声に、少しだけ安堵の微笑みが滲んでいる。
彼に応えるように駆け出した。
『ふふ、蜘蛛よりは猫って呼んでほしいなぁ。だって……』
彼が自分のハーネスのカラビナをケーブルに留めながら、冗談めかしたように続けようとした瞬間だった。
暗闇の中、さらに濃い影が右頬を撫でた。
そして視界のサーミルを隠すように、眼前に派手な音を立てて大きな鉄の塊が着地した。
大男が全身に鎧を着込んだような影が、うんざりしたように話し始めた。
「Strewth, mate…(クソ……)頭ン中が死ぬほど痒いってのに、アイツは応答しやがらねぇ。
本部にも通信が繋がらないせいで、直接痒み止めの申請すらできねぇ。Reckon this's the worst night ever.(最悪の夜だ)」
ステルスヘリのローター音と巻き起こる風圧の中でも、そいつの陰と声だけははっきりと存在感を持っていた。
それが一歩足を踏み出すと、ガチャン、とその脚部内の機構が音を立てた。
「Oi,(おい)このクソみてぇな状況、てめぇのしわざか? mate?」
夜の闇の中でその姿がわずかに浮き上がる。カインより少し背が高く、赤いラインがその不機嫌な口調と合わさって好戦的に見えた。
どう見ても機械の顔をしているのに、彼から発せられる合成音声には怒りがこもっている……ように感じる。
もしかして、目の前の彼がこのタブレットに名前のあった「戦闘機兵ウォレス」?
でも、私の知る唯一のロボットタイプ――感情の欠片も持たないカインとは全く印象が違う。とてもこの二人が同じカテゴリの存在だとは思えなかった。
圧倒的な「力」の象徴のような存在感に気圧されていると、大きな爆発音が響いて、わずかにその頭部装甲が揺れた。
サーミルが大口径拳銃を撃った音だった。おそらく制圧したセキュリティルームにあったものだろう。
『接敵した。マヤを回収できない。回収班、待機して』
『了解。待機する』
鉄の巨体が身を翻すより早く、サーミルが屋上設備の後ろに滑り込み身を隠した。
『マヤ、落ち着いて。ステルスを起動して撒いて、なんとかして僕のところに来るんだ』
サーミルの指示通りに距離を取ろうと後ずさり、ステルスを起動しようとした。ウォレスのアイセンサーは空調設備から時折顔を出し発砲するサーミルをじっと見ている。すぐそばにいる私など忘れてしまったかのように。
装甲に弾丸を受けながら、滑らかな動きで腕を伸ばした。
その金属製の手に銃が握られているのを見て、――そこで思い出した。
『当機の単発銃の射撃命中率は99パーセント』……カインの言葉。
動かずにはいられなかった。
ドアのそばに積まれていた土嚢を掴んで振り上げ、全力でその手首に叩きつけた。ウォレスが引き金を引くその寸前、頑丈なその腕を押した手応えもあった。
でも、サーミルが頭を弾かれたように倒れた。
「サーミル!」
血の気が引く。息が止まった。
『……っ問題ない、少し掠っただけだ。……君、何してるんだ』
よかった……
でも、頭部を弾で掠って軽傷なわけない。ここから彼の姿は見えないけど……声でわかるんだよ。
すぐに距離を取ろうと地面を蹴ったはずなのに、次の瞬間には腕を掴まれコンクリートの床にうつ伏せに引き倒されていた。
「ヘイ、せっかくあいつがてめぇのために囮になってくれたのに何考えてんだ。Ya an idiot or what?(馬鹿なのか?)」
足音と声が背後に迫ってくる。
『う……マヤ、もう一回だ……僕が撃つから、そいつの注意が逸れたら……』
私がこいつを撒けば負傷したサーミルにまたあの銃口が向く。
かといって、今の私たちの装備じゃ無力化することもできない。
いつ来るともわからない機を待って、このまま全員を危険に晒し続けることもできない。
それでもサーミルは諦めていない。
彼は欲張りだから。
だから、臆病な私が決める。
「サーミルが頭部を負傷した。ハーネスは固定済みだから早く出して!」
『状況を確認、回収班判断で上昇を開始する。サーミル、落ちるなよ』
『待って、まだ三発残ってるよ』
持ってきていたスモークグレネードのピンを抜いて、転がした。強襲用の小規模範囲、即時発煙型。風にあおられて効果は半減してしまうが、少しでも注意がサーミルとヘリに向かなければいい。
バツッと通信にノイズが走る。ヘリが上昇して私の近距離通信の範囲から一人ずつ剝がれていく音だ。
『マヤ、君……どうして……うぅ……』
『サーミル、あとでね』
サーミルの呻き声とノイズを最後に通信は静かになり、ローター音も風圧も行ってしまった。
風が去り、薄くスモークが広がる中、足に力を込めた。
きっと隊長だったらこんな状況でも諦めない。もし彼だったら。




