85.x.伸びた髪の毛
「ハジメは今日、何か予定はある?」
リリアのいつも通りの声がハジメの耳に届く。
グレン宅に泊まった翌日の朝、ハジメはリリアとエリスの3人で朝ご飯を食べていた。
グレンとリズウェルは既に出勤して、家には3人だけ。いつもよりかなり遅い時間。場所にも慣れないが3人で居る事はとても落ち着き、昨日の殺気が嘘のよう。
ハジメは小さく頷くと、口に入っていたパンを飲み込んだ。
「髪の毛伸びて来たから切ってこようかな、って思ってる」
ハジメはそう言うと自分の髪を触る。ドラゴン狩りをしに1ヶ月程王都を離れていた。元の世界でも2ヶ月に1回くらい、邪魔になったら切るだったが冒険者となってから変わった。
少しでも伸びると邪魔に感じる事が増え、1ヶ月に1回の頻度になっていた。
自分で切る事は出来ないので、町中で見つけた床屋で切ってもらっている。1回10銅貨ぐらい。
ただ雑に切るだけなので決まったお店で切る訳でもなく、普段の買い物や食事のついでにたまたま見かけたお店で切るような形だ。隊商レイドの時も大きな町に着いた時に切っていた。
「なら私達と一緒に行かない?私もエリスと髪切る予定なの」
ご飯を食べ終わったリリアがのんびりとお茶を飲みながら答える。前だったら嫌がったかもしれないエリスも、当たり前のように頷いてくれた。
そのままご飯を食べ終えて食器を洗うと、普段から使っているマントを持って3人で家を出た。
ハジメは特に何も考えず答えたが、よくよく考えるとリリアは元帥の養子。やはり専門の美容院みたいなところがあるのかなと出費を覚悟して雑談しながら歩いて行くと、予想外過ぎる場所へと辿り着く。
「え、ここ?」
「うん」
ハジメの動揺も気にせずリリアは進む。
ここはハジメも見慣れた兵士寮、そこの大浴場へと向かう通路。
夕方なら人も居るのだが、今は昼前の早い時間。特に今日はお風呂場の大掃除があり、掃除係以外誰も居ないと思われていた。
ところが、不思議な事に一般の人が何人か来ている。ギルドで見覚えのある冒険者も見つけ、ハジメは疑問に思いながら一緒に歩いて行く。
「リリア、払うよ」
「良いよ、安いし」
脱衣所に当たる場所に普段は無い机と椅子が設置され、受付が作られていた。
リリアはそこに座る人に声をかけると、ハサミとすきバサミを借りて進んで行く。3人で6銅貨、つまり1人辺り2銅貨。安すぎる費用に困惑を増やしながら進むと、すぐにいつも使う大浴場へと辿り着いた。
「何、これ?」
「臨時の床屋さん」
そこはそれぞれ好きな場所で髪を切り切られ、わいわいとした空気の床屋になっていた。
切ってる人は仕事ではなく、家族や仲間の様子。
子供の髪を切る母親、駆け出しの冒険者と思われる一団は交代交代にそれぞれ髪を切っている。髪を切った後だろうか、タイルに散らばる髪を箒で集め、片隅に出来ている髪の丘をより大きくしてる人も居る。
「半月に1回、湯船の大掃除に合わせて開放してるの。安いから節約にもなるし、色んな人との付き合いが生まれたりするから」
リリアはそう言うと椅子を取り、丁度人の少ない部分に置くと自分たち用の床屋の設営を終える。
そのままハジメに視線を向けると、どうぞと座るように促してきた。
ハジメが意味が分からず困っていると、エリスが手を引いて座らせようとする。
「え、リリアが切るの?」
「そうだよ。私の髪も切ってもらってる」
エリスが当然と言った様子で返すと、ハジメを座らせた。そのままマントを羽織らせると、リリアはハジメの髪を櫛でとかし始める。
普段されないその行為にハジメは少し恥ずかしくなるがリリアは一切気にしない。エリスは手持無沙汰なのか近くの箒を取ると、周りに少しだけ残っていた前の人の髪の毛を掃き始めた。
「――エリスが他の人に触られるのが苦手でね。一緒に生活していた時に覚えたの」
エリスとほんの少し距離が出来たタイミングで、リリアが少しぼかして呟く。その言葉の意味を理解するとハジメは一呼吸置く。
「ならリリアに任せても安心だね」
少し暗い雰囲気を吹き飛ばすよう、冗談交じりに返す。リリアが驚いて櫛を止めるが、言葉の狙いが分かると優しく微笑む。
「不安だった?」
「少し」
「素直でよろしい。どうする?適当に短くして軽くするだけで大丈夫?」
「うん、お願い」
ハジメ自身、髪型にこだわりはない。邪魔にならなければ良いの精神でリリアに任せる。
リリアはすぐにハサミを入れ始めると、慣れた様子でどんどん短くしていく。
「♪~~」
リリアは小さく鼻歌を歌いながらハジメの髪を切る。
頭の上を行き来する気配とチョキチョキと動く音に少し違和感を覚えながらも、緊張も動揺もないリリアの気配のおかげでどんどん落ち着く。
「エリスの髪より、ちょっと硬いね」
「そう?」
「うん」
リリアが楽しそうに呟きハサミを進めて行く。元々髪の毛は短いハジメ、10分も経つと綺麗にまとまった。
確認もそこそこにすきバサミへと移る。先ほどよりも少し違う音が響くが、不思議と気にならない。
「こんな感じかな」
リリアの呟きに従って正面に固定された鏡に視線を向けると、優しく微笑むリリアと目が合う。ハジメの髪の毛は違和感なく短くなっており、その完成度の高さは何度も髪を切っていた証だろう。
どこかこの世界に来た時の印象が残っているのは、リリアがその頃をイメージして切ったからかもしれない。
「……ウィンド」
リリアが呟くと風が発生する。髪の毛を広げながら風を当てて行くと残っていた髪の毛が落ちて、ほんの少しだけ動きやすそうになったハジメが居た。
「どう?違和感はない?」
「大丈夫だよ。ありがとう」
リリアにそう答えると、マントを外して付いていた髪の毛を払う。次はエリスの番と周りを見ると、近くで箒を掃いていたエリスが戻ってきて自分のマントを羽織る。
「髪の毛は端っこの固まってる部分にまとめて」
エリスはそう言うとハジメに箒を渡す。周りでも手が空いてる人は同じように切った髪の毛をまとめているので、その作業もすることで安くなってるのだろう。
「それだけで良いの?」
ハジメが尋ねると、既にハサミを入れ始めたリリアが小さく頷く。
「うん。閉館時間になったら担当の人が全部燃やすから、まとめるだけで良いの。家で切るより片付けが楽でしょ」
リリアは話しながらもハサミを止めない。
ハジメもそれ以上ジッとせず、自分の落ちた髪の毛をまとめて掃いて行く。
やはりリリアは立場的にも目立つらしい。ハジメの事が気になったらしく、ワイワイと声をかけられた。
君は誰だ、リリアとどういう関係だ、などなど。
そんなどこにでもありそうな雑談。何もない、ただ髪を切るだけの穏やかな日常。
その1人にハジメも入っていく。
「ん?」
ハジメが周りの人と雑談しながら箒を掃いていると肩の辺りでチクチクとした違和感を覚えた。何だろうと服に残っていた髪の毛を払って落とすと、1本だけ長いままの髪の毛が手に触れる。
切り損ねだろう、見失わないように触りながらリリアの元へ向かう。
「リリア、これ切れる?」
「え。あ、ちょっと寄って」
エリスの髪を切ってる途中だったが、近寄って見せるとリリアも気づく。けれどその場では切りづらいらしく、もうちょっと近寄るように手で呼んだ。
その手に従って頭を近づけると、リリアがその髪をチョンと切り揃えた。
「これで大丈夫かな」
「うん、ありがとう」
ハジメが切られたところを触ると、どこを切ったか分からない程綺麗に整っている。リリアも安心した様子で、それでも少し不安なのかハジメの後を追うように触っておかしくないかを確認する。
「大丈夫そうだね」
「うん、ありがとう。じゃあ、箒に戻るよ」
「分かった、お願い」
問題なかったので箒掃きに戻ろうとするが、それよりも今の会話が気になったのだろう。問い詰められるような雑談がメインとなる。
そこかしこからハサミが通る音や雑談が響く中、切られた1本はゆらゆらと空気に揺られて落ちて行く。
タイルの上で転がっていたエリスの髪に混ざると、どれがハジメの髪か分からなくなった。




