85.リリアとハジメ
今日はX話を差し込みます。
リリアはヒカリと2人、慣れ親しんだリビングで何も置かれていないテーブルを見つめて悩んでいた。
分かっていた。エリスがどれだけ重要で、危険な存在になりえるか。
私は元帥の養子。だからこそ託されて、だからこそ気を付けて、けれどハジメにだけは気を付ける事が出来なくて。
それでもちゃんと気を付けていた。はずだった。なのに気が付くと、ハジメを気にしなくなっていた。
知られた時、自分が何をやったのか気づいた。周りに危険を及ぼすかもしれない。知らない事が一番安全だと分かっていた。
これは全て、私のミスだ。
それでも。
知ってしまった。隣に誰かが居る安らぎを。
気づいてしまった。どれだけここに依存して、幸せで、安らぎを感じていたかを。
失ってしまった。ほんの少しの気の緩みと安心と信頼が、全ての原因。
もう私に出来る事は、何もない。
もう今の生活に戻る事はないかもしれない。
付きつけられる答えを、受け入れるしかない。
それが元帥の養子に出来る唯一の選択肢。
それでも、
例えそうだとしても。
「――」
それはほんの少しの、心の鼓動。
音に気付いたわけではない。
何かが見えたわけでもない。
気配に気づいたわけではない。
けれど心が何かを感じ、玄関の方に視線が向いた。ヒカリもリリアの動きに気付いたが、別段何か反応する事はない。
当然だ、ヒカリの警戒に何か引っかかる事は無く、この状況からはリリアが何かを勘違いしているようにしか見えない。
「――」
リリアも当然分かっている。それでも何かを感じた。けれどリリアの意識にも警戒にも何も引っかからない。
ただの、何か。
そんなありえない何かに意識を引っ張られ、リリアは視線を逸らせない。
――ガタッ
足が動いてしまい、椅子に当たった。静かだった室内に音が響き、ヒカリも警戒を強くする。
「リリアちゃん。外に出るのは許されてないよ」
ヒカリが警告するもリリアの耳に入っているか怪しく、視線は一切逸らさない。そもそも、立ってしまった事にすら気づいていないかもしれない。
何も見えていないのに、何かを感じる。その感覚だけを頼りに、足が動きそうになる。
「……」
ヒカリの警戒にも、何か引っかかったのだろう。リリアの動きを気にしながらも、一緒に外を警戒し始める。
「……」
リリアにはヒカリの警戒も存在も意識の外になってしまう。何も見えず感じないはずなのに、心から響く衝動がリリアを動かす。
そんな2人が玄関を睨むように外を探っていると、家の前に馬車が近づいてくる音が聞こえた。エリザベスではない、普通の馬の音。
「えっ?」
ヒカリが驚いたようにリリアに視線を向ける。誰が止まったのか気づいたのだろう。ヒカリが気付くよりも圧倒的に早く気付いた事に驚き、信じられないと言った様子で見ている。
「――」
リリアはそんな反応も気づくことなく、足が勝手に動き出した。
それと同時に玄関の戸の外でガタガタと誰かが動く音がすると、戸が開いた。
見なくても分かっている。
聞こえないはずの足音で分かっている。
気付かないはずの気配で分かっている。
戸が開いた先にはハジメとエリスが居る。少し疲れたような、けれどその疲労を見せないような優しい表情。珍しい表情だが、とてもハジメらしい表情に見える。その優しい瞳がリリアを見つける。
ヒカリも止める事が出来ず、動き出した足は誰にも止められない。
家に入ってきたハジメが驚いてリリアを見ている。
一緒に入ってきたエリスが泣きそうになりながらリリアを見ている。
「えっ」
とても聞きなれたハジメの、驚く声が聞こえた。
その声を止めるように抱きしめようとするが、直前、何かに気付いてリリアは足を止めた。
何故ハジメがここに居れるのか。
それはきっと、自分の命を天秤にかけて来たのだろう。リリアは既に、とっくの前からここに居る。だからこそ、ハジメに何を選択させたのか気づいてしまう。
「……」
立ち尽くす。ハジメに重い選択肢を選ばせた自分にハジメを迎える権利は無い。そう気づいてしまったからだ。
――なのに。
「ただいま」
ハジメはそれだけ言うと、動けないリリアを、隣に居たエリスごと抱きしめた。リリアは何が起きたのか分からず、その優しい声と温かさに困惑する。
「うん、ただいま」
エリスも同じ様に呟くと、2人にしがみ付くように抱きつく。
――いつかリリアが言いたかった言葉。けれど言う事が出来ず、違う言葉で包んだ言葉。
言われた言葉が嬉しくて、何も言う事が出来ない。
リリアを認め、受け入れてくれる2人に涙が止まらない。
零れる涙はハジメの心が吸い、ただ優しく、宥めるようにリリアの背中をトントンと優しくさする。
その優しさにしがみ付くように、言葉を絞り出した。
「おかえり、なさい」
ただの当たり前の挨拶。もう言う相手も居ないと思っていた。2人に言う事も無いと思っていた。
その幸せな挨拶を泣きながら2人に送る。
それ以上何も言う事も出来ずに、2人の温かさに甘えるように、動かせなかった手を2人の背中に回して抱きしめた。
ハジメ達の後ろから一緒に来ていたグレンとリズウェルもでテーブルの周りに置いた座る。ライファとキョウヤは座れる場所が無かったため、壁際に椅子を置いて少し距離を取って座る事になった。
「それで、どうなったの?」
仲睦まじい3人の様子を見せつけられたヒカリだったが、少しハジメに殺気を送りながら確認してくる。
「ハジメがここに居るのが答えだ」
グレンが軽く答えると、リリアが安心した様子でグレンに視線を送った。
「私的には殺しちゃっても良かったんだけど」
「ヒカリさん!」
信じられない返しにリリアが叫ぶと、ヒカリが冗談よとでも言うかのように肩を竦めた。その姿にグレンは納得すると言葉を続ける。
「ハジメには数日、ここに泊ってもらう事になる。ベットまでは準備できないから1階の客間を使ってもらう。ソファがあるから、そこで寝泊まりしてくれ」
「分かりました」
野営でも問題なくなったハジメにとっては、ベットでなくても疲労は取れるため気にしない。
ハジメが素直に返すが、リリアは納得できないらしく不満そうにグレンを見る。
「何故ですか?ハジメに問題ないのは確認しましたよね」
「寮の部屋の問題だ。今のハジメは2階らしいが、無いとは思うが安全の面でも少し上げておきたい」
リリアの不安そうな視線が聞いたのか、グレンは包み隠さず理由を説明する。
「3階の部屋が数日後に開くんだ。それに合わせてハジメには入ってもらう。部屋を移動させたら何かあるように見えるが、この家からの移動ならおかしい点も無いからな」
「……」
グレンの説明にリリアは納得した様な、どこか不満そうに口を閉ざす。今回の事があったから、大丈夫と信じてはいるが不安なのだろう。
「理由はどうすんだ?」
確認のようにライファが声をかけると、グレンは既に準備していた答えを出す。
「ハジメは迷い人だからな。言語でも環境でも、理由は何とでもなる。一番ありえそうなのは、俺たちが言語の勉強をするためだろう。ミノルに遅くまで付き合わせる訳にもいかないが、冒険者をしてるハジメなら夜遅くでも問題ない」
グレンの説明に頷いて返すと、納得したらしくそれ以上言葉は挟まない。
そのタイミングでハジメは手を上げると、視線が集まった。
「その間、俺はずっと家に居れば良いんですか?」
「普通に外出して冒険者業して問題ないぞ。あくまで寮の部屋に出来るだけ違和感なく入れるための応急処置だ。監禁するのが目的じゃない」
グレンが安心させるように語り掛けると、ハジメも安心して頷く。
「なら、私の家に来るのはどうかな。同じパーティだしもっと違和感無いと思うけど」
何かを悩んでいたリリアがぼそりと呟くと、場の空気が凍った。エリスが嬉しそうに承諾しようとしたが、急に変わった空気に固まる。
「許すわけないだろう」
真っ先にどす黒い声をあげたのはグレン。リズウェルも小さく頷き、ヒカリは殺気だけをヒシヒシとハジメに当てている。
けれどリリアも引かない。
「私の家の方が理由としては丁度良いと思います」
「例えそうだとしても、ハジメをリリアと2人きりにする訳がない。それならさっさと寮に押し込んだ方が良い」
「エリスも居ます」
「そう言う問題じゃない」
「大丈夫です、ハジメは何もしません」
「だとしても許すわけがないだろう」
睨み合いながら意見で殴り合ってると、殺気がリズウェルからも来るようになる。さすがにハジメも居心地悪くなってきたらしく、たまたま視線が合ったライファに救助を求めると笑って視線を逸らされた。
「ハジメもそう思うよね」
「えっ」
救いなのか追い打ちなのか、リリアがハジメに同意を求める。
集まった視線は様々で、一緒に暮らすと聞いて少し嬉しそうなエリス、殺気を込める大人陣、その様子を面白そうに眺めるライファ、少し呆れ気味のキョウヤと言う地獄絵図となっていた。
「ハジメ」
これまでの人生、一番の殺気を放つグレンに笑みをぶつけられる。ハジメは生き残るために当然とも言える答えを決めた。
「グレンさんの家に、ここに泊まるよ」
ハジメの言葉にリリアは少しだけ残念そうにするが、グレンは殺気を抑えて小さく頷いた。
「なら私も数日はこっちに泊まるよ。予定より少し長くなったし、アスティアに急に出てけって言うのも悪いからね」
リリアの思いもよらない言葉に場が再び固まる。
あまりにも予想外だったがリリアはとても自然に言うので、ハジメは頷きそうになってしまう。
何を言ったのかやっと理解が追い付いたグレンとリズウェルはリリアが家に泊まりに来るのを喜びながらも、その理由がハジメと言う事にさっきよりもどす黒い殺気を纏わせながらハジメを満面の笑みで睨む。
「……」
ハジメの冷や汗が止まらない。リリアの様子を見るにもう何を言っても聞かないだろう。数日とは言え、同じ屋根の下で生活することになる。普段から野営で同じテントの中に居るので今更かもしれない。
しかしそんな事はグレンにもリズウェルにも関係ない。この殺気満々な状態を改善する方法はなく、ハジメはどうしようもなく殺気に耐える。
「ハジメ」
グレンがぼそりと呟いた。言葉だけなのにナイフのように鋭く、この言葉だけで人を殺せそうだ。
「ハジメさん」
リズウェルの言葉はグレンよりも圧がある。必死に殺意を抑えながらも隠し切れず、ジリジリと首を絞めて来るような殺気。助けを求めようとライファに視線を向けると、肩を震わせて笑いを堪えていた。
「はい」
逃げ場がなく、ハジメは仕方なくただ返事をする。何に対する返事なのかは誰にも分からないが、返事をした瞬間、殺気は濃密にハジメを覆う。
「ハジメ。ちょっと地下室に来い」
「嫌です」
「グレンさん!」
ハジメが即答しリリアが諫めるも、グレン達の殺気が収まるのはもう少し経ってからだった。
けれどもどこか、それらの声はどこか楽しそうだった。




