84.大切な者
「ハジメはこれからどうするつもりだ」
腕を組んだままのグレンが、ハジメに視線も向けずに呟く。
決断するのに必要な情報は知っただろう、まるでそう言うかのような言葉。それでも、ハジメの答えはとっくに決まってる。
「エリスとリリアと。一緒に冒険者を続けます」
「それを認められるほどにお前が強いのならな」
当然の言葉がグレンから放たれる。しかしハジメはその言葉に引かず、厳しい視線から目を逸らさない。グレンはその視線をどこか嫌そうに返す。
「知ってなお、か?ハジメ、お前にも危険が迫るかもしれないんだぞ」
当たり前の指摘。ハジメはそんなありふれた指摘も一切怯えず、覚悟を返す。
「分かっています。でもそれで逃げたら、リリアに顔向けできません」
ハジメの視線は強い意志が籠っている。
物語のような異世界だったら、きっともっと楽だっただろう。
特別な力を持ち、何でも出来る。特別な知識があり、チヤホヤされる。
けれどハジメは違う。
特別な力も無い。特別な知識もない。
誰も甘やかさず、ただの人としてハジメを見てくれた。
だからこそ。
ただの人として、ちゃんと成長したハジメが居る。
「子供の我が儘じゃ済まされないんだぞ」
グレンの厳しい言葉はハジメの生半可な覚悟を許さない。けれどその程度で折れる程、ハジメは弱くない。
「分かっています。例えどんな敵でも、2人を守るために命を懸けます」
よくある誇張表現でも、言葉だけの嘘でもない。ハジメの本気の言葉は、しかしグレンに届かない。
「そうじゃない。それは大前提だ」
グレンの拒絶にハジメは何も言えない。しかしグレンは許さずに言葉を続ける。
「エリスの空間魔法は見たな。エリスが入れる狭い空間さえあれば、武器でも毒でも何でもバレずに持ち込めるという事だ。エリスが辛かろうが、大量の武器を押し込む事は可能だからな。検問も関係ない。周りから見たら、何が入ってるのか分からない危険人物になる」
ライファ達が荷をほとんど確認されずに城門を超えたのを思い出す。これまで積み重ねた信頼の結果。
しかし、エリスは違う。信頼があろうとなかろうと関係ない。ただ、居れば良いだけ。その恐ろしさをハジメはもう理解できる。
「分かってます。だから、どんな相手だろうと戦います。何かあったら、俺が全力で守って、助けに行きます」
ハジメの覚悟は変わらない。ハジメにとって、エリスはもう家族のような存在。例えグレンに止められようとも、助けに行く。
しかしその覚悟を、グレンは厳しい表情をして小さく首を振る。
「そうじゃない。俺は言ったぞ、危険人物だと。今問題なく生活出来ているのは、仮想の敵に存在がばれていないからだ」
言葉の意味が分からない、ハジメがそう表情に出した瞬間、グレンの表情が元帥のものへと変わる。
「敵にばれた時点で、エリスを生かしておくことは難しいんだ」
「……」
どくん、と心臓が鳴る。
ハジメは何も言えない。しかしグレンの言葉は止まらない。
「ハジメ、分かるな?エリスは存在だけで、戦争の切り札になる。それこそ爆薬でも無理矢理運べば相手はどうにもならないだろう。馬車も何も要らない。エリスが重いなら、それこそ剛力でも使って奇襲すれば良い。例えその場で死んでも爆薬がそこにあるんだ。小さな火種を作れれば致命的な一撃を作れるだろうな」
「それ、は……」
「そしてそれは俺たちだけじゃない、相手にとっても一緒だ。エリスが手に入ればそれだけで強力な武器だ。必死に狙い、あわよくば自分たちで使おうとするだろう。誘拐なんてのもあり得るだろうな」
グレンの当り前の指摘。ハジメもとっくに辿り着いた答えだが、あえて指摘されると改めて理解する。だからこそ、そんな言葉では覚悟は折れない。
「俺が、守ります。命を懸けて、助けに行きます」
「そうじゃない」
ハジメの弱々しい言葉はグレンの呆れに潰される。そのままハジメが言葉を待つと、グレンの口が開かれた。
「万が一エリスが敵の手に落ちたら、助けに行くじゃない。死んでもらう事になっている。俺たちが殺す、じゃない。自分ですぐにその場で死ね、と言ってるんだ」
きゅっ、と。心臓を掴まれた気がした。
救出も何もしない、その全てを諦めた言葉にハジメはどこか異世界に来たと錯覚する。
「そん、なの――」
「エリスには言ってある。そうならないよう、偵察として危険から逃げる力をしっかりと付けさせてあるが、絶対は無いからな」
グレンはそこで言葉を区切ると、ハジメに意味を理解させる時間を与える。
普段から一緒に居るエリス。けれど1度、不安そうに怯えていた時があった。慣れない集団での野営、周囲を気にしてしまい落ち着かない様子だった。
――きっと、敵は居ない。
そうは分かっていても、多数の目があるのが落ち着かなかったのだ。
けれど話はそこで終わらない。
「そしてハジメ。それはお前にも適用される」
「……えっ」
言葉が理解できない。そう言った様子のハジメに、グレンは理解させるようにもう1度言う。
「ハジメ。今のお前は、エリスにとって人質の価値があるんだ。ハジメが捕まったら、それだけでエリスが使える可能性が高い」
「え?」
ハジメの口から言葉が零れ落ちると何も言えなくなる。ゆっくりと言葉の意味を噛みしめ、ゆっくりと心に落ちて来る。
エリスにとって、ハジメが大切な家族みたいな存在になっている。遠慮の要らない、甘え、甘えられる仲間。じゃれ合い、気が休まる相手。
もしエリスの事が知られ、エリスではなくハジメに手が伸びたら。
エリスは、問題ないとハジメを切り捨てられるのか。
リリアは、関係ないとハジメを切り捨てられるのか。
そしてそれは、ハジメにも当てはまる。リリアを、エリスを。切り捨てられるのか。
考えたくもない想像がハジメの頭を走り回り、グルングルンと思考が回る。
けれどグレンは許さない。
「そう悩む事じゃない、諦めれば良い、距離を取れば良いだけだ。ここに居たいならもっと簡単だ。助ける事を諦めろ。助けられる事を諦めろ。死ねと言われれば死ねば良いだけだ。便利魔法があるだろう。水を使えば簡単に溺死も可能だ。火を使っても死ねる。簡単な事だ」
「……」
ハジメは何も言えない。けれど、グレンは許さない。
「俺たちは兵士。大切な者を守るために、そんな覚悟はとっくに超えている。ルウとユイが守った人たちを、国を、この場所を。守るためなら、命を懸けられる」
グレンはそこで言葉を止めると、ハジメをジッと見据える。視線は合っている。しかしどこか遠くを見ているハジメを逃がさない。
「お前が立とうとしている場所は、そう言う場所だ」
グレンの言葉はハジメを刺し続ける。
「ハジメ、甘えた言葉は許さない。何かあったら、リリアもエリスも見捨てろ。自分の命を諦めろ。簡単な事だ。選択肢はない」
グレンは視線をそらさず、ただハジメを見つめる。
――死ぬ覚悟が無ければ、リリアとエリスの隣に居る事は許されない。
そんなの、とっくに分かっていたつもりだった。
けれど聞かれて、言葉が出てこない。自分の命を捨てる、その選択肢を言う事が出来ない。
「……」
簡単だ。嘘でもなんでも、ただ出来ますと言えば良いだけ。言われた通りに出来ますと。なのにその4文字が出てこない。
「……」
唇を噛む。言わなければいけないのは分かっている。けれど無責任に言う事は出来ない。
怖くもある、辛くもある。でも、戦う覚悟も出来ていた。
けれどそれ以上に、この世界でちゃんと生きて来たからこそ、生死に関わるこの言葉に簡単に出来ますと言えない。言ったら今までの人生を、関わってきた人を、リリアを、エリスを、この世界での全てを裏切る事になる。
「俺は……」
そこまで呟き、そこで言い淀む。元の世界だったら、きっと簡単に言えただろう。嘘でも何でも、とても簡単に。
生きる事が分かっていなかった。
死ぬ事が分かっていなかった。
戦う事が分かっていなかった。
元の世界に居たら簡単に、それこそ冗談交じりで言えた嘘だ。それぐらい命と言う言葉が、軽かった。
「俺、は……」
なのに今はそれ以上言えず、ふらつく思考に耐えながら思考を続け――
「グレン、もう良いだろう?」
「あぁ、問題ない」
ライファがハジメの頭を支えるように撫でた。ハジメは泣きそうになりながら、けれど泣く事も出来ずに辛そうにその手を受け入れる。
「……」
動けず何も言えずに顔を向けると、頭を優しく雑に撫でられる。
「合格だよ。な、グレン」
「全く。予想していた中で一番嬉しい答え持ってきやがって」
グレンはそう呟くと嫌そうに、嬉しそうに、腹立たしそうに答える。
「……」
ハジメには分からない。分かるのは、自分の出せなかった答えを受け入れ、認めてくれたことだけだ。ハジメが呆然としていると、グレンが先ほどまでの圧が嘘のように優しく微笑む。
「考えられる回答はいくつかあった。何も考えず衝動的に答える。出来ないと諦める。嘘を吐く。拒絶する」
1つ1つ予想される答えを羅列される。それはきっとありえた回答。ハジメに出来なかった回答。
ハジメは何も言えずグレンを呆然と見ていると、視線が合う。
「そして、必死に悩む。そんな事は無いと拒絶する訳でも、無理だと諦める訳でもない。本当にその局面になった時、本当に出来るのか、出来ないのか。それを必死に考えていたよな」
「でも、俺は答えを……出せません、でした」
グレンの言葉を否定せず、ハジメは後悔を零す。けれど気にせず、ライファが頭を撫でると説明を継ぐ。
「当然だ。自分が生きる死ぬってなった時に、衝動的に生きるを選ぶのが人間だ。でもハジメは足掻き続けて考えられる人間だから答えが出せなかった。嘘でも良かったのにはずなのに言えなかった。大切な者を考えて、守るために、命を懸けれる。だから切り捨てると言う判断に悩んだ。思考の中でも、必死に助ける方法を探した」
ライファの言葉に、涙が零れそうになる。けれど耐え、目元をこすり拭う。
その様子に、グレンが安心したように微笑む。
「そうだ。命を懸ける、言葉にするだけなら簡単だし誰でも出来る。が、本当の意味で懸けられるかはその場にならないと分からん。それを嘘でも、簡単に出来ると言う奴にはリリアもエリスも任せられない。必死に考え、悩み、今この場で後悔出来る奴だから、本当にその場になっても間違った選択はしないと信頼したんだ」
「でも俺は、そこで止まりました」
ハジメの後悔をグレンは優しく笑う。気にするなと言うかのような表情に、ハジメの困惑は増していく。
「自分の命が懸かってるんだ、当たり前だ。そこで何も考えずにすぐ前に進める奴は、既に覚悟が決まってる奴か、自分の命を何とも思っていない奴か、壊れているだけだ」
グレンの言葉はハジメを優しくする。今までの厳しさが無く、それでも不安なのだろう。自分の思考を零していく。
「でも俺は弱くて、覚悟を決めていたはずなのに、本当に……」
ハジメがそこで止まると、それ以上喋らせないようにライファが雑に頭を撫でた。
「俺たちを嘗めるな。戦争が終わってもう30年近い。その間、無駄に過ごしてきたと思うのか」
ライファが自身を持って言葉にするとグレンも頷く。
「そうだ。何も起きないよう、体制作りも環境づくりも力を注いだ。ハジメやエリスが誘拐されたり、って事はまず起きないだろう。見捨てなきゃいけない、って事態も起きないはずだ。その前に救出に動く。そんな事がないようにこれまでこの国を整えて来たからな。でも、本当に何か起きてしまった時に対処出来ません考えてませんは許されない。だから、例え可能性は無いに等しくても考えてもらわないといけないんだ」
ハジメに再び確認するよう、グレンが言葉を続ける。可能性が低くても、考えておくことは重要だ。それが大切な人の命に関わる事なら余計に。
ハジメは深く息を吐く俯くと、出せなかった答えを探す。
答えはまだ見つからない。けれど、いつか出さなければいけない答えはボンヤリと霧の中に見えてくる。
ハジメの覚悟の決まった、しっかりと大人となった表情にグレンが優しく微笑む。
「厳しい事言って、悪かったな」
ハジメの覚悟を受け取った、グレンの優しい労い。その言葉はハジメを認めた事でもあり、1人の大人として見られたと言う事。嬉しくて零れそうになる涙をぬぐった。
「いえ、大丈夫です」
ハジメが言葉をつなぐと、顔を上げる。少し目元が赤い。けれどしっかりと成長した姿は、この世界で積み重ねた日々が間違いでなかった事の証明になる。
その表情にグレンが少しだけ嫌そうに笑う。
「なんでかな」
グレンのこぼれ出てしまった呟き。その言葉が理解できずハジメが小さく首を傾げると、後ろで聞いてるライファも不思議そうに見つめる。
「もし理屈もなく衝動的に言う愚者だったなら、この場で殺せたのに」
グレンの言葉はハジメを虐める。
しかしグレンの表情は穏やか。もし愚者なら、そもそもこの場に居ないだろう。
ハジメを認める、ともとれる言葉に少しだけ嬉しくなる。
「理想だけを話すお子様なら、どこか遠くに行ってもらうつもりだったんのに」
当たり前とも言える言葉を、ハジメはジッと受け止める。意味は伝わる。この世界に来た頃のような、現実も何も理解せずわめくだけのガキだったらリリアの隣には居られない。
感情と衝動、そして無知が原因で絶対にしてはいけない選択をする。もしハジメがお子様のままだったら、この場から居なくなるだろう。
「なんで、ちゃんとした人間になっちまったかな」
グレンの嬉しそうな、苛立ってるような笑えない言葉。
――ハジメが愚者だったら。
そうなったらリリアはエリスと2人、これまでと変わらない生活に戻ったはずだ。
そうすればリリアの隣にハジメを置かずに済んだ。そのはずだったのに。
リリアがちゃんと鍛えてしまい、ハジメもそれに応えてちゃんと人として成長してしまい、この世界で独り立ち出来る程に日々を積み重ね、グレンが認めてしまえる程のちゃんとした人間となっていた。
居る事を認めてしまった。
だからこそ、ハジメは嬉しくて微笑んでしまう。
「リリアに鍛えられましたから」
ハジメのその言葉にグレンは嬉しそうに、けれど腹立たしそうに同じ笑みを返した。
「もっと早くに殺しておくべきだったかな」
「止めてください」
とても優しい父親の顔をしながら言ったグレンの言葉に、ライファが笑う。
ハジメは笑みを凍らせて文句を言う事しか出来なかった。




