78.安心の安らぎ
「……ん」
まだ遠くの空がぼんやりと明るくなった頃、エリスが目を覚ました。
普段と違うちょっと硬めの枕と柔らかい毛布、それにお腹の辺りに乗る不思議な重さを感じながら安心した匂いと穏やかさに包まれて気分よく起き出す。
野営した時のいつも通りの朝。テントの中は寒いが誰かに握られる手は温かく、幸せな気分になる。
「ん~~~」
「起きた?」
毛布に包まった体をほぐすように伸びをしようとしたら、すぐ近くから声をかけられた。エリスも聞きなれた男性の声に、警戒も不安もなく声のした方向に目を向ける。
「ハジメ?」
「しー」
エリスの目の前にハジメの顔があり少し驚くが、けれど不思議と受け入れる。ハジメが静かにしてと言うので、素直に口を紡ぐ。
そこでエリスは自分がハジメの腕枕の中、ハジメの手を握って寝ている事に気付いた。
「――あ」
何故その状況なのか思い出そうと昨夜の記憶を探すと、エリスはすぐに何をやったのか思い出す。一瞬暗く落ち込み逃げそうになるが、少しクマの見えるハジメの目元が優しく微笑むので逃げられない。
「エリス、静かに」
エリスが逃げないのを確認するとハジメは手を離し、自身の口元に指を持って行くと口に当て、静かにするように微笑む。
その言葉の意味が分からずエリスが不思議そうに見ていると、エリスの後ろを指さした。
エリスは訳も分からず指差された方向に顔を向けると、エリスがもっと落ち着く優しい寝顔があった。
「――――すぅ」
「……ミィ?」
状況が分からず不思議な声を出してしまう。
そこにはハジメの手を握り、反対の手ではエリスの手に触れ、安心した様子で寝ているリリアが居た。エリスも知るように、リリアは普段から睡眠が短く警戒心が強く小さな物音で起きたりすることも多い。
それがハジメの手を安心しきって握り、小声とはいえ2人の会話に一切起きる様子がない。
エリスも見た事が無いリリアの安心しきった寝顔に驚き、けれど幸せでボンヤリと見続けてしまう。
「――ふわぁあ……」
「ん……」
エリスの頭の後ろからハジメの大きなあくびが響いた。相当眠かったらしく大きく響いたその音は寝ているリリアにも届き、小さく身じろぎした。
「――ん~?」
そのまま目を開けると握るハジメの手が写り、すぐにエリスと目が合う。
「――」
珍しく寝ぼけたリリア。エリスと握り合っていた手を離すと、エリスの頭を撫でてきた。
「……」
「……」
そのまま何も起きず、幸せな時間が過ぎて行く。
リリアは寝ぼけたままエリスの頭を撫で、エリスは素直に撫でられ続ける。ハジメはそんな2人を眠気に負けないように眺め続ける。
「――今何時!?」
そのまま幸せな時間を過ごしていると突然、本当に突然リリアが叫んだ。
外が少しずつ明るくなっている事に気付くと目が覚めたらしい。慌てて飛び上がったため、エリスが目を丸くして固まっている。
「おはよう、リリア」
「おはよう、ハジメ――違う、大丈夫?」
ハジメが気にせず声をかけると普段取り返事が返されるが、リリアが驚いて声をかける。
今日、リリアは一晩ぐっすりと寝た、寝てしまった。つまりハジメがずっと夜の見張りをしていたと言う事。
「少し眠いけど、大丈夫」
「ダメ。もう、何で起こしてくれなかったの」
「時間が分からなくて」
リリアが夜の見張り番を起こさなかった事に文句を言うが、ハジメがぼかす。
時間が分からない、は本当ではあるが嘘でもある。何度もやった夜の見張り、時計など無くてもある程度の時間感覚は出来ている。リリアのように懐中時計は持っていないが、大きく外すことも無くなった。
それでも起こせなかった。リリアが長く眠れず、すぐ起きてしまうのは知っている。今日みたいな野営だったら、当然すぐ起きていたはずだ。
――それが一切起きることなく、この時間まで寝ていた。
安心して寝るリリアに気付いたら、起こせなくなってしまったのだ。ダメな事だとは分かっている。今日もやる事は当然ある。起こさなければいけないのは分かっている。
それでもハジメには起こせなかった。
「――ふわぁあ……」
ハジメが再び大きなあくびをする。その声にリリアは辛そうに目を伏せるとエリスに起きるように促す。
「ハジメは少し寝てて。お昼ご飯には起こすから」
リリアがエリスを連れて立ち上がるとテントを出て行こうとする。
慌てるのはハジメだ。今日も調査や偵察など、ドラゴン狩りに向けてやる事がある。
「今日もやる事あるから。大丈夫、起きるよ」
「その状態で動く方が危険だからダメ。日程に余裕はあるからハジメは寝て」
リリアは叱るとハジメの隣に座り、目を隠すように手を置いた。思いもよらない行動にハジメが目を瞑りならが困惑を返す。
「リリア?」
「良いから寝て。今日は最低限の調査だけだから、ゆっくり休んで本番に備える方が重要」
「でも――」
「良いから」
「あの――」
「寝て」
リリアは優しく語り掛けるとハジメに勝てる見込みもなく、それでも何とか頑張ろうと言葉を探すが何も返せず時間が過ぎる。
「――分かった。じゃあ、少し寝るね」
ハジメも限界だったらしい。顔に乗るリリアの手の温かさを感じているとすぐに呼吸が深くなり、小さな寝息が聞こえ始める。
「――すぅ」
「――ありがとう、おやすみ」
眠ったのを確認すると、リリアは優しく幸せそうに呟き手をどかす。目の前にある寝顔が幸せで、無意識でハジメの手を握ってしまった。
「うん。ハジメ、おやすみ」
エリスも小さく呟くと2人の隣に座り、2人が重ねる手に自分の手を重ねてしまう。
ハジメの寝息を聞きながら時間が過ぎて行く。
釣られて寝そうになり慌ててテントから出るのはもう少し時間が経った後の話である。
朝食を2人で食べた後、リリアは1人周囲の探索をしていた。ハジメ1人を寝かせる訳にはいかないのでエリスに見張りを頼んでいる。
リリアが離れる時には、エリスは不安そうにハジメに寄り添っていた。起こさないようにと叱る事も出来ず、エリスはハジメのお腹を枕代わりに丸まって張り付いていた。
「(――やらかした)」
そしてリリアは周囲を警戒しながら落ち込んでいた。
野営地から駆け足10分ほど、ドラゴンの生息地はまだ先なので、落ち着くには丁度良い場所。逃げるようにそこまで来ると、一応周りは警戒しながらしゃがみこんでいる。
「(ハジメとエリスが居るからって、熟睡するなんて)」
そのまま自分の行動を反省する。
熟睡なんて両親が体調を崩した頃からしたことが無い。短時間で起きてそのまま眠れない。そのはずだったのにハジメの手を握っていたら落ち着いて、野営中なのに朝まで熟睡してしまった。
「(おかげで少し調子が良いけど、バランスが分からないし……)」
リリアは反省もそこそこに顔を上げると周囲を警戒する。
普段より音が澄んで聞こえて、より遠くの音も聞き取れる気がする。視界も少し広く感じて、情報が普段より多いように感じている。
それが良いか悪いかで聞かれたら、良くはない、だろう。
調子が良い状態は当然、良い。しかし、調子が良い状態がどう影響するか知ってないと、悪い。
今のリリアは調子が良いがために出来る事と出来ない事が分からない状態なのだ。普段聞こえている音と聞こえてない音の違いが分からない。
普段見えている物と見えていない物の違いが分からない。
例え調子が良くても、そんな状態は危険だ。
「何となく分かってきたから、今日は大丈夫そうだけど」
リリアはそう呟きながら周りを見る。駆け足で10分、ここでジッと落ち込んで約10分。短時間ではあるが、自分の状態を確認し続けていた。
まだ足りないが少しずつ分かってきている。
「情報だと、多分歩いて2時間ぐらい。急いでも問題なさそうだし、帰りに何か狩ってお肉でも準備出来るなら丁度良いかな」
状況を整理しながら簡単に予定を立てると、そのまま周囲を警戒しながら足を進める。
ウルルの森中層よりも色々な気配が多い。リリアの実力なら問題ないぐらいだが、警戒は怠らない。
「(それでその後、どうするの)」
リリアの頭に浮かんでしまった疑問。疑問は足を重くして、動き始めた足が再び止まりそうになる。
分かっている。
恐らく、羽毛ドラゴンは問題なく狩れる。リリア1人だったら大変だろうが、今はハジメもエリスも居る。リリアだって2人を信頼している。
問題はその後。
ハジメの事は、グレンに報告しなければいけない。
その結果どうなるか。それはリリアにも全く想像がつかない。
何もないかもしれない。何かあるかもしれない。
「(あの時は――)」
周囲を警戒しながらも思考を続ける。思い出すのも辛いあの時。グレンは元帥として、ハジメを殺すのも辞さない覚悟をしていた。
それが今回。
あの時と比較にならない程に重要な事。殺してもおかしくないだろう。
「(黙って――ダメ、何考えてるの)」
色々な事を考えてしまうが答えは出ない。それどころか絶対にしてはいけない思考にまで至ってしまう。
――言わなければ
誰でも出来る簡単で、けれどその危険はどこまでも広がり、最後は何を壊すか分からない行動。リリアも充分その事を分かっており、もうリリア個人が何とか出来る場所ではないのだ。
思考を止まる事も出来ず、無視して足を進める。
「……ダメ、この状態じゃ危ない」
だからこそ思い浮かんでしまった答え。
そんな危険な思考を振り払うように自分の頬を叩くとその答えを忘れようするが、忘れる事も出来ない。
そんな自分の変化に気づかず、早く2人の元に帰ろうと早足でドラゴン探しを始めた。
もうすぐ昼になる。
捜索は問題なく進んだ。想定した岩肌の辺りを調べると、多数の鳥に混じって数匹のドラゴンが居た。鳥が魔獣化したのだろう、鳥たちに紛れて、まるで守護者のように群れの中に居た。
どの固体を狩るかは、実際に狩りが始まらないと分からない。
リリアが頭の中で計画を立てながら野営地に戻ると、火に当たりながらスープを作るハジメと、そのすぐ横で子猫のようにハジメの膝枕で横になるエリスが居た。
まるで日常のようなその姿に安心していると、リリアに気付いたハジメが声をかけてくる。
「おかえり、リリア」
「ただいま。ハジメはちゃんと寝た?」
「寝れたよ。そっちは?」
リリアは安心したように適当に置かれた岩に座ると、ハジメの前に座る。火が温かく、クマが消えて落ち着いたハジメの表情が帰ってきた事をより実感する。
「想定した辺りで羽毛ドラゴン見つけたよ。明日朝一でちょっかいかければ、この近くまで釣れると思う」
リリアはスープが注がれた器をハジメ受け取ると、温まるようにゆっくりと味わう。
保存食がメイン食材なため、乾燥野菜や干し肉がメインだが、それを感じさせないようにしっかりと煮込んであり――
「――あ」
「どうしたの?」
「何でもない」
リリアはそこまで気づくと、帰りに何か狩ろうと考えていたのを忘れてる事に気付く。リリアが思っている以上に動揺していたのだろう、食べるまで気づかなかった。
「ホントに大丈夫、怪我でもした?」
「大丈夫だよ、ちょっと考えてたことを忘れただけ」
ハジメの心配そうな言葉とエリスの視線に優しく微笑むと、もう一口飲む。
「……」
けれどそこで手が止まってしまう。
ハジメとエリス。リリアにとってはもはや家族のような存在。
今後どうなるか分からない。だからこそ色々な事を考えてしまい、何とかならないかと思ってしまう。今一緒に居るからこそ、その思いが余計に強くなる。
「リリア、どうしたの?」
ハジメが不安そうに聞く。それでもリリアは動けず、少しずつ暖かさを失っていくスープをただただ眺める。
「リ――」
「――ハジメ」
不安そうなハジメの言葉を遮ると、視線も向けずにポツリと呟く。
そのまま何かを考えるように時間が過ぎると、リリアはその先の言葉を続けた。
「私とエリス。3人で――」
そこでリリアの言葉が詰まる。深呼吸すると、そこから先の言葉を絞り出そうとする。
「――逃げない?」
何とか絞り出してしまった言葉。強い後悔を感じながらも出た言葉はもう戻る事は無く、ハジメと顔を合わせる事も出来ずにただ手元を見ている。
リリアのこれまでを裏切る言葉。人生を否定する言葉。
不安と恐怖、どう返されるか分からず、けれど浮かんだ言葉はゆっくりと消えて行く。
「――」
ハジメは驚いて何も言えずにいると、エリスがトントンと足を突いた。不安そうに目を合わせると小さく微笑み、立つからどいてとエリスの頭を軽く触る。
エリスは不安そうだが素直に起き上がったので、ハジメはすぐにリリアの前に向かう。
「リリア」
ハジメは少し怒りながら近寄ると、小さく声をかける。隠し切れない怒りに気付き、リリアは顔を上げると持っていたスープの器をそっと盗られた。
「えっ、ちょ――」
ハジメが怒りながらリリアのおでこを押す。押すと言うよりも突くような形だったため、リリアは勢いを殺せずに背中から倒れてしまう。それでもなんとか地面に手をつくとバク転のようになった綺麗に回るが、立ち上がる事が出来ず膝をついて座る。
「何するの!」
「冗談でも言わないで」
リリアはそんな事されると思っておらず怒ると、それ以上の怒りを込めたハジメと目が合う。
「でもだって――」
「だってじゃない。冗談でも言っちゃダメ」
ハジメの本気の怒りに、リリアはそれ以上言えない。ハジメも1人で夜の見張りをしながらその考えは浮かんでいた。
けれどそれはリリアとハジメ、そしてエリスが関わった全ての人を裏切ると言う事。
リリアの人生を、否定する事。
ハジメがその選択肢は取るわけがない。
なのにリリアはその選択肢を考えた。考えてしまった。そしてその事を口にした。それほどに追い込んでしまった。
そしてハジメも分かっている。
――逃げ切る事は不可能だ。
今までグレンやライファ、ヒカリやキョウヤと言った実力者と話したり訓練したりした。
実力や能力、信頼、行動、全てで勝つことなど出来ない。きっと逃げてもすぐ見つかり、その先は決まっている。
それでもリリアは逃げてでも、ほんの短時間でも良いから一緒に居たいと思ってしまった。
それほどに選択肢は無いのだ。最善はきっと、戻って向き合いハジメを認めさせる。
それがどれだけ難しいか、ハジメも、リリアも、エリスだって分かっている。だから今悩んでいる。
恐らく、一番危険なのはハジメの命だ。
リリアと違い実績もまだまだ少なく、エリスのように何か特別があるわけでもない。少し優秀な程度の普通。安全のために切られてもおかしくない。
リリアも当然分かっている。
なのにハジメは気にしていない。絶対大丈夫、そう言うかのよう。
「大丈夫だから、信頼して。今は明日のドラゴン狩りに向けて準備しよう」
ハジメはそう手を伸ばすと、膝をついて座るリリアに手を向ける。
「――でも、」
リリアがその手を掴むと、不安そうに呟く。しかしその先を言う事は出来ず、小さく俯く。
その不安そうな信頼をハジメは小さく微笑み、少し力を込めるとリリアを立たせた。
「俺は信頼できない?」
「そんなことない」
ハジメの言葉にリリアは小さく首を振ると、けれど不安を隠し切れない。ハジメはリリアから盗っていたスープの器を返した。
「なら俺だけじゃなくて、グレンさんを信頼して。きっと大丈夫だから」




