63 呪いを解きましょう
すぐ近く、俺たちの真上を飛ぶ赤いドラゴンは、自らのブレスで発生した炎を風圧で揺らす。俺はその光景をただ眺めていた。
「熱くないな。」
「当たり前でしょう、私が何の手を打たないとでも思ったの?」
マリアの言葉通り、俺たちは結界によって守られているため、すぐそばにある炎の熱さえ、俺たちには届かない。
「ちょっと待っていて。あれを片づけてくるから。」
マリアはそう言うと、立ち上がって宙に浮く。
その様子を見たドラゴンは、次の攻撃の準備をしているようだった。次もブレスを吐くのだろうと思う。
俺は、ただその光景を見守る。以前、ドラゴンを目の前にした俺は、恐怖で何もできなかったが、今は何も感じない。何もできないことは変わらないのだが。
おそらく今回もあの時と同じで、一瞬で片が付く。もちろん、マリアの圧勝だ。
しまった。そう思ったときには遅かった。マリアの前には、首の骨が折れたドラゴンが泡を吹いて倒れている。
デートの日に、ドラゴンの首を折って倒す女。流石にないと思った。これでは、引かれてしまうのが目に見えている。
それも、簡単に倒してしまった。勇者が弱いことはわかっているので、ドラゴンはマリアが倒すしかない。しかし、それでももう少し苦戦するべきだったのではないかと、マリアは顔を青ざめさせた。
振り返れない。勇者がどんな顔をしているのか、もし恐怖に染まった顔をしていたら、マリアは立ち直れない。
人間は、自分より強い者に恐怖し、嫉妬し、蔑む。それが、マリアの知っている人間というもの。魔人の中でさえ、自分の力のせいで孤独を味わった。
女のくせに。平民のくせに。人間のくせに。
浮かぶ言葉は自分を否定するもの。勇者がそう言ってきたら、目で語ってきたら、自分は我慢ができるだろうか?
恐怖も嫉妬も、彼女の望むものではない。
動けない彼女は、その場に立ち尽くした。そんな彼女の様子を見て、勇者は彼女の名を呼ぶ。
「マリア?」
「・・・」
「大丈夫か!マリア!」
慌てた声が聞こえ、馬のいななきと共に、何かが地面に落ちる音が聞こえた。そこで、マリアは驚いて振り返る。
そこには、落馬して地面に落ちながらも、こちらに駆けよる勇者の姿があった。
「マリア、怪我をしたのか!?」
いつもの優しげな口調ではなく、どこか荒々しい口調と表情の勇者。猫をかぶる暇もなかった勇者の素の姿が、マリアの目の前にあった。
「ロウ?」
「マリア。」
近づき、マリアの肩に手を置いて、顔を覗き込む勇者。その目には、恐怖の色も嫉妬の色もない。ただ、心配そうにマリアを見つめる瞳があるだけだ。
「痛いところはあるか?悪い、お前が強いからって、お前だけに任せて。無理して一人で戦っていたんだな・・・俺がもっと強ければ。」
次々と勇者の口から出る言葉は、マリアが掛けられたこともない言葉ばかりでマリアは戸惑い、意味が分からなかった。でも、意味が分かり、その言葉をかみしめれば、鼻がツンとなって、目に涙が溜まり始めた。
「あれ、なんで。」
悲しいわけではないのに、涙があふれたことに戸惑う。
「え・・・あぁ・・・どうすればいいんだ。・・・確かこういうときは。」
勇者は、マリアの背を撫でた。その行動に、思わずマリアは笑った。ここは、普通なら抱きしめて慰める場面だろうに。特に勇者は婚約者なのだから。
「ふふっ。」
「お?もう元気になったのか。効果てきめんだな。」
「そうね。あなたは、本当に・・・変わっているわね。でも、そこが好きよ。」
「へ?」
マリアは目を閉じた。それが意味することを理解できない勇者ではない。
勇者は、マリアに顔を近づけて、キスをした。頬に。
口ではなく、頬というところに、マリアは驚いた後に笑った。それにつられて、勇者も赤くなって笑う。
もうすぐ結婚式だというのに、2人の関係はその先へとは進まなかった。
ついに迎えた結婚式当日。新郎の控室で、俺は頭を抱えていた。
「本当にこれでいいのか。」
「なんじゃ、マリッジブルーかの?」
「全く情けない限りです。」
「勇者様、お気を確かに。不安に思うことはありません、俺が一生守りますから。」
上からロジ、バスル、サウスの言葉だ。
「サウス、お主はいい加減にせい。傍から見ていて気持ち悪いぞ。今の言葉だけを聞けば、お主と小僧が結婚するようじゃぞ。」
「勇者はマリア様のものです。騎士風情には渡しませんよ。」
「勇者様は物じゃありませんっ!」
「バスル、お主もやめい!サウスをあおるでないわ。」
「失礼、面白いもので、クセになってしまって。」
「たちが悪いの。」
いつも通りのにぎやかさに、重たかった俺の心が軽くなる。
「バスル、もう時間か?」
「はい、丁度お伝えしようと思っていたところです。」
「なら、行くか。」
調子を取り戻した俺に、男3人は笑い合う。本当にこいつらは仲がいい。サウスとロジはわかるが、いつの間にかそこにバスルまで加わった。この3人には、人間とか魔人の壁はないようだ。
これが、本来の世界のあるべき姿だろうと、漠然と思った。
結婚式がついに始まる。
俺は、指定された場所に立ち、マリアを待つ。
結婚式は教会で、ステンドグラスから差し込む幻想的な光を照明として、片隅で弾くピアノをBGMに行われる。今は、招待客の談笑する声がBGMとなっているが。
俺が立つのは、神父の前、教会の奥の真ん中あたりだった。神父に背を向ければ、赤い絨毯が出口まで敷かれていて、それを挟むように席が並んでいる。意外と絨毯が長いな。
ここを重いウエディングドレスで歩くマリアは大変だなと思い、出口まで迎えに行きたかった。
そんなことを考えていると、談笑の声がぴたりと止み、静寂が訪れた。そして、扉が音をたてて開く。
青い長い髪に、凍るような目つきをした青い瞳。口元は皮肉気に笑っている。色味は似ているが、俺の婚約者ではない。
「お前は・・・!」
俺の驚愕の声だけが、会場に響き渡る。
「こうして、面と向かって話すのは初めてですね。」
聞き覚えのある落ち着いた声に、やはりと確信した。
「女神・・・」
「はい、なんですか?」
マリアと同じ色の髪と瞳。どこか冷たく見えるのはマリアも同じだが、このような性格の悪そうな顔をマリアはしない。
「驚きましたか?実は、今日は最後の不幸の知らせを伝えに来たのです。」
「・・・なんだ。」
「おや、わめき散らしたりしないのですか?せっかくの結婚式に水を差されて、怒り心頭ではないのですか?」
「確かにそうだ。だが、怒っても仕方がない。時間の無駄だ。何か起こるのなら、その対策をとるために時間を使うべきだからな。」
「・・・つまらないわね。でもいいでしょう。」
女神は、俺の方へと一歩一歩近づいてくる。
「あなたの本当の姿は、今の姿ではないでしょう?」
「あぁ。」
「即答ですか。いいでしょう。なら、丁度良かったというものです。」
「何の話だ?」
「あなたが本当の姿に戻るという話ですよ。」
にっと笑った女神の顔が、俺の顔を覗き込んだ。性格は悪いが、この女も整った顔をしていて、マリアと同じ白くてすべすべとした肌をしている。
「俺が、あの姿に戻るのか?」
「嬉しいでしょう。実は、戻り方なんて簡単だったのですよ?」
そう言って、女神は俺のネクタイを下に引っ張り、俺は前のめりになった。そんな俺の唇を、女神は奪う。
「はっ!?」
慌てて女神を突き飛ばすが、女神は動じた様子もなく離れたところで笑っていた。
「あら、やはり私ではだめなようね。ま、あなたのことなんてなんとも思ってないし、あなたも同じでしょうからね。」
「・・・頭が痛い。誰かこいつをどうにかしてくれないかな。」
「ま、今のでわかったでしょう?」
「・・・キスで戻れるのか。」
俺は袖で口を拭いながら聞いた。それを面白そうに見て、女神は頷く。
「でも、ちゃんと愛のある口づけでないとだめですよ。それもお互いにね。古今東西、魔法や呪いというのは愛の口づけで解けるもの。」
「はっ、そんなの白雪姫とかの話か?だがな、シンデレラは時間制限だし、カエルの王様にいたっては、壁にたたきつけられたんだぜ。」
「へぇ、それは面白い。なら、あなたの場合はナイフで刺されるにすればよかったかしら。」
どうやら余計なことを言ってしまったようだ。
「冗談よ。それでは、また。」
「待て。またとはなんだ。」
「そのままの意味よ。また会いましょうということ。」
「なんでだ?さっき最後のお知らせと言っていただろうが。」
「言ったわね。でも、それは不幸のお知らせの話よ。もしも、あなたが無事に魔王と結婚し、世界に平和をもたらしたのなら・・・」
ざわざわと、耳に談笑の音が聞こえ、俺は辺りを見回した。目の前には女神の姿はなく、周りの者たちは先ほど女神が現れる前と同じように自由に過ごしている。
「また、唐突に現れて、去ったな。」
「いかがなさいましたか?」
背後から神父に声をかけられて、俺は愛想笑いで返した。
俺の頭の中には、最後の不幸の知らせのことしかない。
元の姿に戻る。それは、一見いいことのように思える。だが、思い出して欲しい。
マリアは、俺の今の顔が好きだ。マリアは、俺に外見しか求めなかった。つまり、その外見が変わるということは、俺に価値がなくなるということ。




