29 奪われる
トイレに行ってくると言った俺は、川の前で呆然としていた。
妹に言われた、本当に俺が怖いのは、死ではないという言葉。それが俺を悩ませる。
死ではないなら、なんだ?もうすぐ出かかると言うところで、俺は考えるのをやめる。
認めたくないのだ。それが怖いことを。
川を見る。流れる川に、俺が怖いと思わせる原因ともいえる記憶を流すイメージをした。気やすめだが少し楽になった気がする。俺は、その行為を繰り返した。
思い出されるのは女のことばかり。顔も思い出せない女どもの、醜くゆがむ笑い顔は、どれも同じ顔をしている気がした。
そんな思い出たちが、というか女の顔が、川を流れていく。次々と流れていく女の顔。次々と思い出される女の顔。それを、次々と川に流していく。
俺は、その行為に集中していた。
それがいけなかったのだろう。俺は、背後から近づく気配に気づくのが遅れた。
気づいて振り返ると、小汚い男が俺に剣を振り下ろすところだった。
「なっ!?」
振り下ろされる剣。いやらしい笑みを浮かべた男。俺は死ぬのか?
目をつぶることなく、おそらく逆に見開いていた俺は、しっかりとその光景を見ていた。
突然現れた背中は、見慣れた男のもの。それは、この世界でもっとも頼ってきた背中だ。その事実に気づいたのは今だが。
俺に剣を振り下ろそうとしていた男は、剣を落とし、肩から腹まで一直線に斬られ、倒れた。血の匂いが辺りに広がる。
「ごふぉっ・・・」
男の口から赤黒い血があふれ、傷口からも大量の血が流れた。もう助からないだろう。この男は死ぬ。そう、頭で理解したとたん、俺の全身は震えだして、立っていることすらままならない状態になった
「え、そ・・・」
口から意味もない言葉が出るが、俺を守る男・・・サウスはこちらを見ることなく、正面を見据えていた。その正面には、3人の男が険しい顔をして立っている。
「ちっ。護衛は狩りに行ったんじゃなかったのか!」
唾を吐きながら、怒声をあげる男。
サウスは、改めて剣を構え直す。
「仕方ねぇ。ここまで来たら、あれを持ち帰るしかねぇ。じゃねぇと無駄死にだ。囲めっ!」
その声に反応して、男たちが動き出す。指示に従い、男たちは俺たちを囲んだ。俺たちの周りには3人の男が剣を構えている。
だが、俺にはそんなこと、どうでもよかった。いや、気にすることすらできない状態だった。
いまだに漂う血の匂い。その元、血を流している男から目を離せない。
死ぬ。この男は死ぬ。俺の前で死ぬ。俺の前で人が死ぬ。
やはり、死は怖い。それは、自分の死だけではなく、他人の死も同じだ。
遠ざけたくなる死。だが、目の前にある現実は変わらない。
悪あがきで、物理的な距離だけでも取ろうとしたのか、俺は震える足を後退させていた。それに気づいたサウスが、俺を止めたが遅かった。
落ちたときの独特の感覚。そして、冷たいものに全身を包まれ、周りの音が異質になった。川に落ちたのだ。
まずい。そう思って、川の中で立てるか試そうとした。そこまで深くなかったようで、足はつきそうだが、慌てているせいか滑ってうまく立てない。それが、また焦る原因となって、悪循環だ。
死にたくない。そう思って、必死に手をばたつかせた。それが何の役に立つかはわからないが、自然とそうしていた。
そして、俺を掴む何かによって、俺は川から引き揚げられた。
水を飲んでいたようで、引き上げられるとすぐに、咳き込んで水を外に吐き出した。喉が痛い。涙がでる。
多少落ち着いた俺は、引き上げてくれた何か・・・サウスを見た。
サウスは険しい顔をして、自分の右手を見ていた。
「ごほっごほっ・・・大丈夫か?」
我ながらおかしなことを言うと思う。助けてもらった方が言う言葉ではないだろう。俺は気を取り直して、言い直した。
「いや、助かった・・・ありがとう。」
「・・・」
「サウス?」
俺が礼を言っても反応しないサウス。彼らしくない。
「いえ。お怪我はございませんか?」
「あ、あぁ。この通り平気だ。ちょっとのどが痛いが、すぐ治るだろう。」
「そうですか。では、戻りましょうか。」
サウスは立ち上がって、すたすたと先に行ってしまった。怒らせてしまったのだろうか?
俺はサウスの後を、無言でついて歩いた。なぜ、サウスがここにいるのか。狩りに行ったのではないかという疑問があったが、口にできずそのままみんなのところへと戻った。
そして、襲われたのは俺だけではないことを知る。
襲ってきたのは盗賊で、馬車の乗客全員が奴らの獲物だったのだ。
奪われたのは、金とそれに代わるもの。そして・・・
男の泣き声が響き渡っていた。それは、地面にうずくまる兄の泣き声。いつもそばにいる妹はいない。
妹を含める、女が3人連れていかれた。
それが意味することが分からないほど、俺は子供じゃない。俺は血の気が引いた。
流石にそれは、ない。
女なんて・・・と俺はよく言うが、別に女に死んで欲しいとか思ったことはないし、そこまでひどい目にあえとも思わない。だから、こんなのは嬉しくない。
確かに、妹は俺の嫌いな女だ。男を金なんかで決める、最低の女だと思う。でも、これはあんまりではないか。
兄と笑い合う妹の顔が、頭に浮かんだ。
無力な俺は、それを2度と見ることはないだろう。




