ハラミ駅
連作になっていましたので、次作を作りました。
汽車は、黒い窓の外に青い火をいくつも映しながら、しずかに走っていた。
「ジョバンニ、見て」
カンパネルラが指さした。
窓のむこうに、小さな駅があった。駅の屋根には、銀の煙がうすくかかっていて、そこに白い字で、ハラミ駅、と書いてあった。
「ハラミ駅だ」
「うん」
「降りるの」
「少しだけ」
二人がホームへ降りると、そこは駅なのに、あちこちに小さな七輪が置いてあった。線路の枕木のあいだからも、細い煙が立っていた。肉の匂いは、夜露みたいにしずかで、それでいて、どこか急いでいた。
駅員のいない改札を抜けると、丸い卓がいくつも並んでいた。
ジョバンニとカンパネルラは、いちばん端の卓に座った。
網の上には、薄いハラミが二枚のった。赤いところと、白いところが、星雲のしまのようにゆれていた。
「これは、すぐ焼けるね」
「うん。でも、すぐなくなる」
ジョバンニは箸を持ったまま、肉を見つめた。
「なくなるのは、さびしいね」
「でも、なくならない肉は、焼肉じゃないよ」
カンパネルラはそう言って、肉を裏返した。
そのとき、となりの卓で、急に声がはねた。
「あっ、それ俺の!」
ジョバンニはびくっとして、箸を止めた。
別の手が、もう肉をつまんでいた。その肉は、網の上でよく焼けて、ちょうどいい茶色になっていた。
「これはよく焼けて、うまみがばっちりですな」
その手の持ち主は、たいへん満足そうに言った。
「あ、ケンカになりそう」
カンパネルラが小さく言った。
「返せよ」
「もう、たれにつけましたな」
「塩で食べるつもりだったんだよ」
「塩は早い」
「早いってなんだ、たれに沈めれば、みんな同じだろ」
「同じじゃない。肉がかわいそうだ」
「取ったやつが言うな」
声はだんだん大きくなった。けれど、どの声も、星の砂を踏んだみたいに軽かった。
盗られたらしい人は、空の皿をじっと見た。盗ったらしい人は、口をもぐもぐさせながら、少しだけ遠くを見た。
「ジョバンニ」
「うん」
「こっちの肉、焼けてる」
カンパネルラが言った。
ジョバンニは、あわてて自分たちの網を見た。ハラミは端のほうが少し丸まり、火の色を細く抱いていた。
「ほんとうだ」
「取られる前に」
「ここ、二人しかいないよ」
「夜は、わからない」
ジョバンニは笑いそうになって、けれど笑わずに、肉を一枚つまんだ。
「これは、カンパネルラの」
「ありがとう」
「たれ」
「今日は塩」
ジョバンニは、言われたとおりにした。塩は白い星くずみたいだった。
となりの卓では、まだ小さな争いが続いていた。
「だから、それはこっちの網のだって」
「網はみんなの空ですな」
「いや、卓で分かれてる」
「たれの皿も分かれてる」
少し間を置いて、また同じ声がした。
「では、この空の皿は誰のですかな」
「空の皿を持ち上げるな」
ジョバンニは、その様子を見ていた。
「人の肉って、取ったらだめなんだね」
「肉だけじゃないと思うよ」
カンパネルラは、そう言って、網の上のもう一枚を返した。
火が、ぱっと青く立った。
さっきまで騒いでいた声が、その一瞬だけ、遠い駅のベルみたいに小さくなった。
「肉だけじゃない」
ジョバンニはくり返した。
「うん」
「じゃあ、ぼくは、きみのを取らない」
「ぼくも、ジョバンニのを取らない」
「でも、焼けたら教えて」
「それは言うよ」
二人は少し笑った。
カンパネルラは、焼けたハラミをジョバンニの皿に置いた。ジョバンニは、それをすぐには食べなかった。たれの丸い光の中で、肉は小さな駅のようにしずかだった。
「冷めるよ」
「うん」
「もう焼けているよ」
ジョバンニはうなずいて、肉を口に入れた。
やわらかくて、少しだけ、遠かった。
汽車の窓の外では、ハラミ駅の灯が、ひとつずつ後ろへ流れていった。となりの卓の声も、たれも、塩も、煙にまじって、銀河の暗いところへほどけていった。
カンパネルラは窓を見ていた。
ジョバンニも、同じ窓を見た。
次の駅の名は、まだ見えなかった。
人の肉・だめ・絶対




