(21)逃亡
カァァ。近くで鳥の鳴き声が聞こえてモニカの集中力は切れた。難しい考え事はいったん横に置いて散策を再開する。小屋の周りは薪置き場と井戸とちょっとした道具をいれる倉庫のようなものがあるだけで、あとは草はらだ。それを取り囲むように木々が茂っている。しかし、一部だけレンガで綺麗に歩道を作ってあった。こちらへどうぞ、と木々の奥へと道が続いている。下から登ってきた道とは反対方向であるから、おそらくあの先には例の温泉があるのだろう。
「やあ、モニカ。良い朝だね」
突然声をかけられた。クリスとウィリアムはまだ小屋の中にいるはずだし、何より声が違う。そこに立っていたのは昨日も見た黒い麗人だった。
「……カラスさん?」
異国風の衣装をまとった青年が、木にもたれかかって立っていた。漆黒の髪は朝日を浴びてきらりと光り、いっそう神々しい事になっている。さっきまで誰もいなかったのに、どこから現れたんだろうとモニカは不思議に思った。と、同時に昨日の顔面接近事件を思い出してちょっぴり居心地が悪くなる。
「君たちがお腹空いてないかなーと思って差し入れ持って来たんだ。僕も準備するからさ、一緒に朝ごはん作ろうよ」
艶のある黒髪に泣きボクロのある目元は今日も麗しい。しかしカラスが手に持っていた食材を見てビックリした。さすが、世界は広い。自分は知らない事ばかりだとつくづく思うモニカだった。
◇
「……それで? いったいコレはどういう状況なんじゃ」
クリスはグッと寄せた眉間を押さえた。自分がみた光景が夢なのではないかと思ったのだ。しかしもう一度見ても、何度見ても変わらなかった。
「やあ、お邪魔しているよ」
クリスが外へ出ると、モニカが誰かと一緒にいた。目があうと、そいつは朗らかに笑ってそう言ったのだ。穏やかな口調、しかも友人のところへ遊びにきたような気安さでカラスは言った。楽しそうな顔でモニカと火を囲んでおり、それは小屋の脇にあったあまりのレンガで作ったコの字の簡易炉だった。レンガには串がかけてあって、得体のしれないそれは良い塩梅にこんがり焼けており、香ばしい匂いが漂っていた。
「なんで、カラスが、ここにいるっ! そして今食べているのはなんじゃっ!!」
いつも沈着冷静で人を食ったような態度が多いクリスが、こんなに慌てるなんて珍しいとモニカは驚いた。実際は何度となくモニカ関係で慌てているのだが、それは本人のあずかり知らぬところである。
「え、(ピーー)だよ。見て分からない?」
※一部の不快な表現あるいは単語を伏せ字にしております。
きょとんとした顔でカラスはそのまま串を頬張った。パリパリとした皮が美味しいようだ。横ではモニカが見よう見まねで(ピーー)をかじっていた。思わず「ペッしないさい! ペッ!」と言いそうになってクリスは慌てて言葉を飲み込む。
「うわ……」
モニカの後から出てきたウィリアムも、その光景をみて思わず声がでた。クリスはもうどこから突っ込んでいいやら途方にくれたが、ひとまずモニカとカラスの間に座ることにした。じろりと睨みつけてやる。会わねばならん相手と思っていたが、まさかここでとは思わなかった。いったいどうやって来た。なぜ分かった。
「君らあんまり食べ物持ってないでしょ? だから僕、持ってきてあげたんだよ」
善意ですよ。何か問題でも? と、あまりにも自然に答えるカラスに目眩がした。どこか面白がっている風ではあるがその真意は言葉通りのようだ。
「クリスさんも食べますか? ちょうど焼けてますよ」
モニカが笑顔で(ピーー)を勧めてきた。絵面がすごい事になっている。カラスが面白がっているのに気づき、クリスは自分のこめかみがヒクヒク痙攣するのを感じた。こちらの立場が弱いのをいいことに、遊んでいる。僕に聞きたい事があるのにそんな断るなんて事しないよね? しかもモニカが言っているんだよ? とその目が物語っている。
「ウム……」
震える手で受け取ると、クリスはごくりと喉を鳴らした。(ピーー)は食べられる。二人旅という不安定なモノをしているのだから、それこそ飢えの境地でこいつらのお世話になったこともある。しかし他に食があるのなら、絶対に手を出さないくらいには抵抗があるのだ。だからまさか、まさか今こうして馳走させるとは……!!クリスは手に持った(ピーー)をこっそり睨んだ。
「うわー、これって(ピーー)ですよね。形まんまじゃないですか」
ひとつ手にとってくるくる回すと、そのままのフォルムで串に刺さったそれに同情した。
「これとか(ピーー)いくつ刺さってるんですかね。足の数がすごいんですけど」
「ウィリアムさん、他にもまだありますよ。 こっちが(ピーー)で、(ピーー)もあるんです。こういうのも食べれるんですね! 私知りませんでした」
きらきらとした笑顔でそう言われると、クリスもウィリアムも弱い。だって食べられないことはないんだから。あとは好みの問題なのだから。
「昔よく食べましたねー……」
ウィリアムは遠い記憶に思いを馳せているようだ。ただし目は死んでいる。
カラスはモニカにちょいちょいアドバイスしている。
「モニカ、これは人間が食べる時はちゃんと火を通すんだよ。中に(ピーー)がいる場合があるからね」
ひな鳥の面倒を見る親鳥のような目をモニカに向けている。何も知らないモニカの反応が面白いようだ。
(ピーー)は骨が多くて見た目の割に可食部分は少ないが、風味は一番良かった。また(ピーー)は見た目がイマイチだが、意外と肉厚でありさっぱりと淡白で食べ応えがある。ウィリアムが苦手なのが(ピーー)で、これは幼少の頃に(ピーー)が(ピーー)する場面をまざまざと見せつけられたのちに(ピーーーーーー)…………
◇
「意外に食えたのが悔しい」
クリスが切り株に腰かけてうなだれていた。一方ウィリアムは割と平気そうだ。
「まあ食べ物だと認識しちゃえばいけますよ、大抵は」
「むむむ……」
ひと段落したところでカラスが提案した。
「ところでモニカ、あっちに温泉があるんだ。良かったら入っておいでよ」
「おんせん、ってどんなものか知らないです」
なぜかクリスの胸がキュンと甘くうずいた。何も知らない無色な子を俺色に染めるのが好きと誰かが言っていたのを思い出し、なるほどと納得してみる。
「温かいお湯がたまる池だよ。とっても気持ちいから、服も全部脱いではいってごらん。手ぬぐいは持っていくんだよ」
温かいお湯がたまる池とは。改めてモニカは世界にはいろんなものがあるのだと実感した。小屋に手ぬぐいを取りに戻ると、モニカはレンガ道の奥に消えていった。
「……さてと」
見送ったあと、カラスはクリスとウィリアムに視線を落とした。冷たい風がすぅっと吹き、ぴりっとした緊張感が漂う。
「君たちは僕に聞きたい事があるんだっけ?」
「そうだ。……わしらの聞きたい事はもう察しがついているのではないか?」
「そうだね」
いかにも、と言った風にカラスはこくりと頷いた。その黒い瞳はクリスを面白そうに覗いている。
「なら話は早い。教えてくれ。わしとウィリアムに宿るこの恐ろしいチカラはなんじゃ。わしの身体はなんじゃ」
深い森のような緑の瞳が揺れた。身を乗り出して迫るクリスの後ろには、わずかながら険しい顔をしたウィリアムがいる。しかしカラスは挑発するようにふふっと笑うと、とびっきり妖艶な笑顔で発した。
「そんなことより、今はモニカと一緒にお風呂に入りたいと思わない?」
パチンと指を鳴らすと、カラスの形がゆらりと揺れて、次の瞬間にはかわいらしい子犬の姿になっていた。
「なっ!?」
「え、犬?」
ハッハッと舌を出してつぶらな瞳をうるうるさせている。色は相変わらず真っ黒だが、子犬というかわいさの塊の前では黒だろうがピンクだろうが関係ない。わん、と甲高くひと声ないたあと、とてとてとレンガ道を進んでいったのであった。




