(20)逃亡
モニカが二人に買った木の器にスープをよそって渡した。
「すまんのモニカ。疲れているじゃろうに」
疲れているならそのまま寝かせておこうかと思ったが、鼻がきくのかスープが食べごろになった辺りでクリスは目をパチリと覚ました。
「いえ、私が巻き込んだんですし。これくらいさせてください」
食べているうちに、二人の顔色がだいぶ良くなってきたのでモニカは安心した。クリスが食べ終わったらその皿を借りて自分も食べる。柔らか具材と温かなスープが疲れた体に沁み渡った。
パチパチと暖炉が小さな火をあげている。外は完全な暗闇で、月が細く光っていた。モニカは今ぐっすりと寝ており、ウィリアムとクリスは壁に寄りかかりながらその寝顔を見ていた。二人の瞳は暖炉の火が映りこんで不思議に揺れている。
「……お嬢、ぶっちゃけて良いですか」
「ぶっちゃけるな」
悪い予感しかしないクリスは即答した。
「実はですね、」
「続けるんかい」
ウィリアムはマイペースだった。
「お嬢とモニカ嬢担いでここまで来たじゃないですか」
「ああ、そうじゃな」
やけくそ気味で返事をしているが、結局話を聞いているクリスは優しいのかもしれない。
「モニカ嬢って、その、胸大きいじゃないですか」
「……そうじゃな」
「歩くたびに、当たったんですよ。背中に柔らかいものが。ふわん、ふわんって。いや、モニカ嬢のだという確信はないんですけど態勢的にそうなのかなって。自分の背中に何が起こっているのか考えないようにがむしゃらに足動かしました。かと言って顔のすぐ横にはお尻とかもあるでしょ。もう頭沸騰しそうでホント死ぬかと思いました。だから小屋見つけたとたん、安心して思わず力抜けましたよ」
「聞かなきゃ良かった」
心配して損したと本気で思ったクリスだった。あーもー、と小さな手で乱暴に頭をがしがしとかく。
「……もうほんと、いっぱいいっぱいで」
言いながら思い出したのか、ウィリアムは顔を両手で抑えた。顔に集まる熱を散らすように、ズルズルと落ちながら壁にもたれかかる。背中に感じる柔らかな感触、そしてモニカとウィリアムのつかの間の会話。今でも唇にモニカのひんやりとした指先の感覚が残っている。あの時は血の作用で、ある種の興奮状態に陥っていた。自分でも突拍子のない事をしたと自覚があった。あの時噛みつきたいと言った欲求はホンモノだ。
「怖がらないし、聞きもしない。それどころか世話するって……ちょっとバカなんですかねあの人」
「おいこら。しかし、モニカはちょっと抜けたところがあるからの。もしかしたら“不思議なチカラを使えるなんかすごい人”くらいに思っているのかもしれんぞ」
「うわー、ありえそー」
そう思っていてくれるとありがたいのにな、とウィリアムは考える。自らに潜む忌々しいナニカの存在。この正体を知ったらどうなるだろうか。ウィリアムはクリスが前に言っていた「知られたくない」という言葉が、理解できる気がした。
ふぅ、とひと息ついて前を見据える。
「これからどうしましょうか」
「そこはわしも考えておったが……カラスの言っていた事も気になる。あやつにはもう一度会わなければ。それからモニカじゃ。あいつらがモニカを連れて行こうとした理由が知りたい。一度かわせば諦めてくれるのか、それとも追いかけてくるのか」
「明日にでもモニカ嬢に心当たりがないか聞いてみましょう」
「そうしよう。あ、そうじゃ。近くに温泉が湧いているとあったから、朝探してみようかの」
◇
——この村から逃げろ。詳しく説明する時間がない。できるだけ早く、村から出るんだ……
翌朝モニカは登り始めた太陽と共に目を覚ますと体中あちこちが痛かった。しかし体を動かした方が治りが早いような気がして、恒例の乳清掃タイムを行った後に朝の散策を開始した。できれば朝ごはんになるようなものが見つかれば嬉しい。珍しくクリスも起きてこなかったのでモニカ一人、鼻歌をふんふんとうたいながら小屋の周りを歩いた。
正直、一人で考えたいことが色々あった。モニカの頭は立派な作りをしていないので、立て続けに事が起こってもパンクしてしまう。昨夜は疲れの為にぐっすり寝たのでだいぶ頭はすっきりしたものの、いろんなものにハテナマークがついたままだ。
クリスとウィリアムには感謝しかない。モニカに勇気をくれ、助け、逃亡にも手を貸してくれた。村から出たことがないモニカが初めて出会った二人。チティティカ様を知らないと聞いたときは本当に驚いた。自分がいた世界は狭くて、世の中には自分の知らないことがたくさんあるのだと強烈に感じた。なのでモニカはクリスとウィリアムが多少不思議な力を使ったところで、「すごい人」くらいの認識で、それすらも「自分が知らないだけで、そういう人もいるんだ」と驚異の適応力を発揮している。彼らの予想はおおむね当たっていた。
(エリは無事だって言っていた。だったらあそこのマスターさんも大丈夫だわ。お店の服を着たまま来ちゃったから、落ち着いたら返しにいかないと。きっと私の荷物もあそこにある)
ちょうどいい切り株をみつけたのでちょこんと腰をかけてみた。朝の冷たい空気が気持ちよく吹き抜ける。
(でも、落ち着いたらってなに?)
この辺りは草や木がみずみずしい。土もしっとりしていた。最近雨が降ったのだろう。
プリシラは言っていた。テッテピッコル村が大変だと。それを解消するためにはモニカが必要だと言っていた。事実スペラーレまでわざわざ迎えに来たのだからそれは嘘ではなさそうだ。なぜスペラーレにいることが分かったのか、しかも詳しい場所まで分かっていたのは驚くべきことだ。考えてもわからないことはよそに置いていく。大事なのは「テッテピッコル村が大変」で「モニカが必要」ということだ。連れて行き方がいささか強引だった為そこに不安を覚えた。必要であっても丁寧な扱いはないのかもしれない。さらにプリシラは選ばれた巫女であると言った。
(……村に危機が訪れた場合、生贄をささげて巫女が祈る)
村では天災や大きな事故が起こった場合、女神にそれを鎮めてもらうよう巫女を通してお願いする。その為に必要なモノが生贄。モニカが物心ついてからはそう事態が無かったので詳細が分からない。しかしモニカは思い出した。村では今かつてないほど雨が降っていなかった。人間はまだなんとか地下水でしのげていたが、地上の植物はみるみる元気をなくしていた。これ以上雨が降らなかったら、作物がかれ、動物たちが飢え、連鎖的に人間も飢える。確かに村は危機的状況だ。
(だとしたら、私は生贄?)
おっぱいが大きい事で色々からかわれたことがあるが、「生贄ならモニカで決まり」と言われたことを思い出した。確かに、女神チティティカの教えでは巨乳は絶対悪だ。生贄がどういう扱いをされるのかは謎で、うわさでは鞭打ちされるだの、血を抜かれるだの、首をとってチティティカ様に捧げるだの、恐ろしいことしか聞かない。魔にとりつかれた悪しき巨乳がそもそも災いの根源である説と、チティティカ様が嫌う巨乳を差し出すことでご機嫌をとる説で、村の若者が熱くディベートしていたこともある。
(だからロメオはあの時、私に逃げろと言ったの?)
そうだったら色々とつじつまが合う。村をでる日の前夜、モニカは密かにロメオに呼び出された。ロメオは始終険しい表情をしていて、モニカに「この村からすぐ逃げろ」と言ったのだ。詳しくは何も話してくれなかった。ただエスペラーレにはイヴァンナがいるはずだ、イヴァンナを訪ねろと強く言われた。いきなりの事でかなり動揺したが、モニカは信じて行動した。今までロメオは自分を助けてくれた。逃げろと言うのだったら、逃げるしかない。
干ばつという村の危機に立ち上がった巫女プリシラ。そしてチティティカ様に願い入れるために必要な生贄。ロメオとプリシラは婚約関係で、その話をロメオが聞いていてもおかしくはない。不憫と思ってくれたか、妹分を救いたいと思ったのかは分からないが、結果としてロメオはモニカに忠告しにいった。
逃げろと言ったロメオ。
戻れと言ったプリシラ。
儀式が行われないとしたら村はどうなる。




