(19)逃亡
三人は急いで街を出ると街道からそれて林の中の細い獣道を歩いた。道が踏みしめられているから、誰か人が通ることがあるのだろう。モニカの荷物は街に置いてきたため、クリスの荷物をモニカが背負い歩いている。クリスは自分で持つと言い張ったが、モニカに押し負けてしぶしぶ荷物を渡した。
しかし朝から動きっぱなしなうえに精神的な疲労の色が濃い三人は、すでに息をあげていた。太陽は赤く染まりだし、もうすぐ辺りが闇につつまれてしまう。林の中はすでにうす暗い。完全に陽が落ちる前になんとか安全な場所に落ち着きたい。
「いたっ」
歩く途中草で傷つけたモニカの手の甲に、ジワっと赤い血がにじんだ。
「だいじょうぶか、モニカ。見せてみろ」
何てことはない、ただの切り傷だ。切った草に毒性もないし、そのうち血もとまるだろう。しかしクリスはモニカの手をにぎりながら、うーんと悩んだ。可愛い顔に眉間にしわがよっている。林の中はどんどん暗くなっていき、腰を落ち着けれそうな場所はまだない。ちらっとウィリアムを見ると言いにくそうに頼んだ。
「……ウィリアム。頼まれてくれんか。」
ウィリアムは恨みがましい目でクリスと見ると、はあ、とひとつ盛大なため息をついた。
「モニカ嬢、ちょっと怪我した手を見せてもらえますか」
クリスと場所をかるようにモニカの手をとる。ケガの様子と出血量の確認だ。
「……今からとんでもない事をするかもしれませんが……というかするんですが。その、心配しないでください。あなたに害は加えないし、少し急ぎたいので」
言っているうちに語尾が小さくなり顔が赤くなっていった。いったいなんの説明なのかよく分からない。言い訳にも聞こえるような言葉を残し、ウィリアムはそっとモニカの手の甲の傷に口をつけた。ぴりっとした痛みとともに舌でなめとられる感触がする。
「え?」
「すいません、抱えます。しばらく我慢してください」
わずかに見えたウィリアムの見た目がすこし変わっていたように思えた。しかしどこが、と詳しく見る前にモニカの視界がぐるりと回転した。もう地面とウィリアムの足しか見えない。
戸惑うモニカを左肩に、なんとも言えない表情をするクリスを右肩に担ぐと、ウィリアムは先ほどよりもぐんとスピードをあげて歩き出した。ウィリアムは一人で自分の荷物とクリス、クリスの荷物、モニカの重量を背負って移動していることになる。担がれたほうが楽なんてことはなく、ウィリアムの歩く振動で体がゆれて結構しんどい。お腹が圧迫されて、下手したら胃の中身がでてきそうだ。横を見るとクリスも苦しげに顔をしかめていた。あたりはしんと静まっていて、ウィリアムの荒い息遣いと足音が辺りに響く。
「何か看板があります。近くに温泉小屋があるみたいですね。そこを目指します」
道に傾斜がでてきて、体にかかる負担も大きくなりモニカは「うっ」と思わず声がもれそうになる。看板の案内通りに進めば山の中に開けた場所にでた。驚異的なスピードで登ったおかげで、ほとんど暗闇とはいえなんとか景色が拾えるぐらいの明るさがあった。小屋を目の前にして、ウィリアムはずるずるとへたりこんだ。モニカとクリスが両脇を抱えてなんとか小屋の入り口まで進む。この小屋は近くにある温泉利用客用の休憩小屋で、管理はコルダという町がしていると小屋の入り口に記されていた。
鍵はついておらず、中はがらんとしていた。雨風がしのげる程度の小屋だ。薪をくべる小さな暖炉はついているが、今は冷たく鎮座している。しかしそれで十分とばかりにモニカたちは中に入り込んだ。荷物を床に置いてそれぞれ座り込む。モニカもクリスもぐったりしており、ウィリアムは壁に頭をもたれて息を荒く吐いていた。
「ウィリアム、すまん。無理をさせたな」
「……いえ。大丈夫、です」
部屋は冷たくて、それだけでも体力が削られそうだ。
「今日はこのまま寝るか」
「そうですね」
寝床は確保できたし、追っ手の心配は今のところない。シーンとした室内に、ぐぎゅーっとお腹の音が鳴った。
「すまん、わしじゃ」
モニカを逃すために二人が満身創痍である事が申し訳なかった。しかも小さい子がお腹を空かせている。しばらく考えてから、パシッと自分の両頬を叩いた。自分に気合をいれて立ち上がる。
「クリスさん、ウィリアムさん、ちょっと待っていてください」
外へでて小屋の裏手に積んである薪を暖炉に放り込む。火打ち石でなんとか火をおこし、ランタンにも灯りをいれて部屋に吊るす。たいして明るくはならないが、それだけでも十分心休まるだろう。外には井戸もあって、かなり年季が入っていたが利用する分には問題なかった。多めに水をくみ、小屋の中へ持っていくと、今度は料理の支度を始めた。まだもう少し動ける。モニカは腕をまくって準備を始めた。
ひとこと断ってからウィリアムたちの荷物の中から調理道具をとりだす。鍋があったので吊るして火にかけた。
「ウィリアムさん、この中身使っていいですか?」
「え、ええ」
食材袋を持ち上げて見せると了承が取れたので、ありがたく使わせてもらう事にする。日持ちのする根菜類や麦など、色々と入っていた。鍋が温まったら昨日の残りのベーコンを細かく刻んで投入し、油がよく出たら野菜をナイフで削りながら入れる。よく炒めたら麦とたっぷりの水を入れて煮込むだけだ。さほど美味しくはないが、こんなモノでもお腹に入れたら多少は元気になる。
合間にお湯を沸かした。スープができるまでもう少し時間がかかる。少し熱いくらいの温度に調整して、そこへ手ぬぐいを突っ込んだ。ギュッと絞るとまずクリスの元へ近づいた。マントを広げた上でこてんと横になっていたので、クリスの頭を膝にのせて、温かい手ぬぐいで顔を拭いていった。
「むー、気持ちいいぞー……」
顔がきれいになったら今度は手の裏と表をキレイに拭いて終了した。心地よかったのか、また横になってうとうとしている。顔はだらしなく緩んでいた。鍋からはコトコトと音と共にふんわりと良い香りが漂い、だんだんと部屋の中が快適に暖かくなっていく。
◇
手ぬぐいをお湯につけて絞ると、続けてウィリアムの方へにじり寄った。普段なら嫌がりそうだが、今のウィリアムはされるがままだ。モニカの手が触れた瞬間わずかに体を硬直させたが、膝に頭を乗せるとそっと目を閉じた。疲労が濃い顔を温かな布でそっと拭う。
「手も良いですか?」
そう言うと素直にウィリアムは手を差し出した。クリスより節くれだった大きな手だった。
静かに時間が過ぎる。暖炉の火がパチリとはぜた。
さあ終わり、と身体を離そうとしたらウィリアムに手を取られた。指先を優しくつまむように、ゆるく握られている。モニカは驚いてウィリアムを見るも、その瞳は閉じられたままでなんの感情も感じられない。
「……俺が怖くないの」
小さく掠れるような声でウィリアムがささやいた。いつもの丁寧さがない分、素に近いのかもしれない。
ここまでの道中で見たウィリアムは、人間の身体能力をはるかに超えていた。自分と違うモノ、自分を脅かすモノを人はひどく嫌う。こんな人間離れしている自分が不気味ではないのか。ウィリアムは不思議だった。しかもモニカだって疲労困ぱいなのに料理を作り、暖かな布で肌を拭ってくれている。
「今、君のこの指に噛み付きたい」
モニカの指先を自分の口元に引き寄せる。くちびるの湿った柔らかさを指先に感じた。しかし、やろうと思えばすぐできるのに、そうしたいと言うだけで素ぶりも見せない。
「……もうすぐスープが出来るので、そちらをまずどうぞ」
言いながら、モニカは自分が面白がっていることに気がついた。遠い遠い昔にも、似たような事を言った気がする。
ウィリアムは自嘲気味に笑うとモニカの指を離した。離れる瞬間に押し付けられた温もりは、ひどく優しい口づけのようにも思えた。




