第二十四話 『時計台の怪人』
それから交代で張り込みを続けているうちに、辺りはすっかり黄昏始めていた。
「——出たわ!」
休憩中、壁に寄りかかって微睡んでいたサクは緊張をはらんだトレーシーの声に目を覚ました。
壁の陰から覗き込むとアパートを足早に後にするクロートの背中が見える。
夕暮れの王都の中、四人は再び尾行を開始した。
クロートは慣れた様子で狭い路地から路地へと抜けて行きやがて運河に辿り着いた。
「どうやらスッド運河のバスに乗るようだな」
と、アイソポスが呟く。
「バス?」
「運河を定期的に周回する船です。北王都でも見たかもしれませんが日常の移動手段として利用されているんですよ」
「なるほど、水上バスですね」
間も無くバスが到着しクロートがそれに乗り込む。
「私たちはどうする?」
「無論乗るさ」
アイソポスはトレーシーの質問に即答するや乗船客の列に駆けていく。
そこで係員にバッジを見せると人差し指を自身の唇に当て、
「捜査中です。内密に」
と、小声で伝え乗船した。トレーシー、ゴーリキもそれに続く。
ところがサクの乗船に問題が発生していた。バッジはおろか一銭も所持していなかったのだ。
——ここで揉めるとクロートに気付かれる。
サクは咄嗟に乗船を諦め陸路で追う判断をした。すぐにそれをジェスチャーで船上の三人に伝える。
アイソポスはサクに頷いて見せた後、残りの二人に着席を促した。
客席のほぼ中央列に座るクロートに対して、ゴーリキーは船首側、アイソポスとトレーシーはカップルを装い船尾側に挟む形で着席している。
サクはその様子を見届けて桟橋を後にした。幸い、運河と並行に整備された街路を行けばバスを見失うことはないだろう。
「気持ちいいなあ⋯⋯」
思いがけなく一人きりで王都を歩いていた。
夕日を映し込み紅く染まる運河を賑やかに行き交う船。運河沿いの美しい街並みとそこに生活する人々の営み。それら全てがサクの目を愉しませる。
「この都市が老朽化問題を抱えているなんて信じられないや」
しかし、安穏としていられるのも束の間だった。
「————!」
不意にサクは刺さるような視線を感じて顔を上げる。
視線の先、丁度バスの進行方向に掛かる橋上にその人物は立っていた。
顔が隠れるほど深く被ったローブの影から覗く鋭い眼光。小柄な体格から放たれる圧倒的な威圧感——。
魂がビリビリと震え本能が危険を訴えている。サクは蛇に睨まれた蛙の様に身動きが出来ない。
「これはヤバイぞ! みんなに知らせないと⋯⋯」
と、一瞬バスに泳がせた視線を正面に戻す。
「——あれ?」
ところが意外にも『威圧の塊』はくるりと背を向け雑踏に消えていく。
遮る物のない橋上で、燃えるような赤い髪がローブからこぼれ風になびいていた。
サクはその後ろ姿をただ見送る事しかできなかった。
「何だったんだ⋯⋯」
極度の緊張から解放され、思わずその場にドシリと尻餅をつく。サクの身体はいつの間にか掻いた汗でびっしょりだ。
「——そうだ、バスは?」
慌てて運河に視線を向けると、バスは何事もなく橋の先で白波を立ている。
「⋯⋯良かった。急ごう!」
サクが追いついた頃、バスは次の停泊駅に到着し乗降客が忙しく行き来を始めていた。その中にクロートに近づく男の影があるのを船上の三人は見逃さなかった。
アイソポスは隣に座るトレーシーに目で合図を送る。
男は上質そうなコートに身を包み首元には白いタイを覗かせていた。面長で七三分けの頭髪に銀縁眼鏡を掛た容貌で一見堅実そうな印象を受ける。
そのままクロートの隣に腰を下ろすとバスが動き出した。
アイソポスとトレーシーは背後から対象二人の手元や唇の動きを注意深く観察している。一方ゴーリキは二人の会話に耳を澄ませていた。
やがて運河は大きくカーブし前方の視界が開けていく。バスは南王都のシンボルである時計台広場に差しかかろうとしていた。
「ウッ⋯⋯!」
突如、ハウリングのような耳鳴りに襲われサクは顔を歪る。その元凶へ視線を向けた瞬間、我が目を疑った。
「——なんだあいつは!?」
時計台の頂上に悠然と立つ人影——否、それは人ではなかった。
人型ではあるものの、臀部から生やした丸太のように太い尻尾を空に泳がせていたのだ。
さらに全身を覆う赤い光の鎧が体表周辺の空気を歪ませ実体がはっきり視認できない。
まさに『怪人』と呼ぶに相応しい異形の存在だ。
「さっきの⋯⋯奴なのか?」
と、橋上で出会ったローブ姿の『威圧の塊』が脳裏に浮かんだ。
しかし、相手の正体を考える間もなく怪人は行動を開始する。
長い尻尾を前方に向けるとその先端が一気に膨らんでいく——。
高密度のエネルギーが急速に収束していくのをサクは肌で感じていた。
「まずい! 狙いは⋯⋯バスか!」
サクは怪人のを標的を察知するや無我夢中で飛び出した。少し遅れて怪人の尻尾が怪しく発光する。
——誰も死なせない!
そう願った刹那、サクの見るもの全てがスローモーションと化していく。
直後、光弾がバスを貫き水上に大爆発を巻き起こしていた。怪人はその光景を満足そうに見届けると笑い声を上げて姿を消していった。
「——ぶはぁ! 何が起きた?」
水面に浮上したアイソポスは状況を把握しようと辺りを見回す。眼前には船の残骸が炎を上げており、周囲の水面に大勢の乗船客が浮かんでいる。どうやら全員放り出されたらしい。
「先輩! 大丈夫ですか?」
そこへ背後からゴリーキとトレーシーが泳いでくる。
「ああ、二人も怪我はないか? 目の前に迫る光弾を見たが⋯⋯よく助かったものだ」
「誰かに運河に放り投げられたような気がしたんスが⋯⋯。あそこ! サクさん?」
と、ゴーリキが水面に浮かぶサクを発見する。木片に体を預け肩で息をするほど疲労の色が窺える。三人は驚いて近寄っていく。
「サクさん、どうしてこんな所に? 陸から追っていた筈よね?」
「ハハ⋯⋯。少し乱暴だったけど皆んな助かったみたいでよかった⋯⋯」
サクは笑顔で答えた後、真剣な表情に作り変えて言葉を続ける。
「⋯⋯詳しい話は後で。今は乗客の救出と事件の処理を優先しましょう!」
「了解!」
三人が散った後、サクはゆっくりと岸辺を見上げる。バスの爆破直後から視線が纏わりつくのを感じていたのだ。
そこには例のローブ姿の『威圧の塊』が静かに佇んでいた。
しばらくそうして運河の様子を伺っていたが、サクの視線に気が付くと踵を返して去って行った。




