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僕の選択 (前)

「おっしゃ、やっと終わったぜー」

 今年最後の授業を終え、恭太郎は背もたれによっかかりながら腕を大きく上げて、うんと背筋を伸ばした。

 明日の終業式が終われば、待ちに待った冬休み。

 だが、残念なことに恭太郎のクリスマスの予定は今年も未定のまま過ぎ去ろうとしていた、が今さらそんなことで挫ける男でもない。

 家に帰れば、自分だけを見てくれる女の子が……画面の中にたくさんいるのだから。

 コツコツと小遣いをため、クリスマス当日に発売する新作への対策もぬかりはない。

 今年も充実したクリスマスライフを送れるはずなのに恭太郎の心は、今一つ浮かれ気分に乗り切れずにいた。

 それは連日にも及ぶ暴行事件のせいでもあったが、どうやらそれだけではなさそうだった。

 ふと恭太郎は、数時間前の昼休みの出来事を思い返す────


 午前の授業が終わり昼休みになると、涼は担任の言いつけどおり、職員室へ向かうために教室を出ていった。

 どうせすぐ戻ってくるだろう。

 そう思った恭太郎は先に昼食をとり、先週決着のつかなかった将棋を指す用意をして涼の帰りを待つことに。

 時間つぶしに近くにいた美咲と雑談。

 美咲の方もいつもの小言の多い相方は不在の模様だ。

 恭太郎がどうしたのかと尋ねると、茜も先生からの頼まれごとで職員室に用事があるとのこと。

 委員長も大変だねぇ、と恭太郎は他人事のようにぼやいた。


 すぐに戻ってくるだろうという恭太郎の思惑もはずれ、しばらく待っても涼は教室に戻ってはこなかった。

「ったく、涼の奴おっせーな」

 教室の時計を見ながら、いい加減待ち飽きたと恭太郎が口をとがらせる。

「そういえば、茜ちゃんも遅いですねぇ。すぐ戻るって言ってたんですけど」

 要件が長引いているのか、教室にいる恭太郎たちには今の涼たちの様子を知ることはできない。

 だからと言って、わざわざ職員室に行くほどのことでもないだろと、二人が椅子に座りながら、時間をさらに潰すこと約十分。

 恭太郎がもう何時間も待っているような気分にさらされている中、先に教室に戻ってきたのは涼の方だった。

「遅いぞー、涼。もう待ちくたびれちまったよ」

 拗ねた子供のように文句を言う恭太郎に涼はごめんごめん、と苦笑いを交えて返した。


「先生の話、そんなに長かったんですか?」

「ううん、先生との話はそんなにかからなかったけど……」

 いまいち歯切れの悪い涼に二人は一度、顔を見合わせる。

「けど?」

「なんでもないよ。ほら恭太郎、昼休みに将棋やる約束だったでしょ。早くやらないと昼休み終わっちゃうよ」

「ん、ああ。けど涼はまだ昼飯食ってないだろ、いいのか?」

「今日はパンだから、やりながらでも食べられるよ」

「……よっしゃ! 今日こそは涼にリベンジ決めてやるぜ」


 目の前の少年がどんな人間であるのか、数年のつき合いながらも恭太郎は自分なりに理解を深めていた。

 争いを嫌い、自分よりも他人を優先する今の時代では珍しいタイプの人間。

 他人に気を使ってしまう性格ゆえなのか、涼は昔から隠し事がヘタだった。

 悩み事や後ろめたいことなどがあると、相手にそれを気取られないようにまた気を使う。

 本人はうまく取り繕っているつもりだろうが、いつも一緒にいる恭太郎の目には、どうにも不自然に映ってしまっていた。

 何か悩み事か? と直接尋ねても、お茶を濁されることは目に見えていたので、帰り道になにげなく聞いてみようと、このとき恭太郎は決めたのだった。

 暗い出来事が連続する中で、やっと戻ってきた一時の日常。

 しかしそう思っているのは自分だけで、まだ傍らの親友は大きな問題を抱えているのかもしれない。

 そう思うと恭太郎も、今を以前のように純粋に楽しむことはできなかったのだった────


 そんなことを思い返し終えた恭太郎は一度自分の頬をパンッと叩くと真っ先に涼の席へと向かった。

「涼。今日は一緒に帰ろうぜ」

 先週は無下に断られ続けた下校の誘い。

 刺々とした態度も身を潜め、温和な性格に戻った涼ならば断わらないだろうと思っていた矢先。

「ごめん。僕ちょっと寄らなきゃいけないところがあるから」

 女だけでなく、男の連敗記録も更新することになった恭太郎。

 早々に出鼻を挫かれたが、まだあきらめるわけにはいかない。


「寄るとこ? 別に買い物くらいならつき合うぜ。今の状況で一人で下校するのは危ないだろ」

「気持ちは嬉しいけど、恭太郎が来てもつまらないと思うよ。ああそうだ、あとこれも忘れないうちに返しておくよ」

 そう言うと、涼は自分の財布の中から小銭をいくらか取り出し、恭太郎に手渡した。

「なんだよこれ?」

 とりあえず受け取ってみたものの、恭太郎にはなんのお返しなのか理解できていない。

「先週、恭太郎に僕の分のパンを買わせちゃったでしょ、その分の代金」

 数秒考えたのち、そんなこともあったけな、と恭太郎は頭の隅から記憶を掘り返した。

「相変わらず、こういうとこは律儀だよな」

 正直、恭太郎自身はもうとっくに忘れてしまっていた過去の出来事。

 恭太郎が感心しながら小銭をしまうのを確認すると、涼はじゃあ、と鞄を片手に歩きだした。

「え、ちょっ、マジで一人で帰っちまうのかよ!?」

 背後から聞こえる恭太郎の必死の呼び止め声を聞いて、涼は困ったように笑いながら振り返る。

「ありがとう、恭太郎。でもごめん、これは恭太郎には関係のないことだから」

 涼から向けられた笑み。

「でも、明日からもそうやって友達でいてくれたら嬉しいよ」

 それは恭太郎にとって不自然なほどに不気味に感じられた。

 まるで作りモノのような微笑み。

 表情とは裏腹にやんわりと拒絶されたような感覚を恭太郎は覚える。

 そんな姿に恭太郎が呆気にとられているあいだに、涼は廊下へと消えていった。


「どうやら また今日も神谷君にフラれちゃったみたいですね」

 横から美咲に声をかけられて、呆然と立ち尽くしていた恭太郎は我に返った。

「な、なんだよ、うるせーな。男同士でフラれたもクソもあるか!」

「それで、神谷君はどうして一人で帰っちゃったんですか?」

 恭太郎の文句を美咲はさらりと受け流し、尋ねる。

「なんか寄るところがあるんだってよ」

 口をへの字に曲げ、しぶしぶと恭太郎は答えた。

「寄るところ、ですか。どちらへ?」

「わかんね。俺にとってはつまらなくて、関係ないところだってさ。……実家とか?」

「仮にそうだったとしても、それが一人で帰る理由にはならないんじゃないですか?」

「じゃあなんで涼は俺と一緒に帰ってくれねーんだよ」

 拗ねた子供さながらに恭太郎が美咲に八つ当ると、

「それはきっと菅君が神谷君に嫌われているからですよ」

 フフッ、と美咲は黒い笑みを浮かべながら言葉のナイフを突き立てる。

「な…………」

 美咲としてはもちろん冗談のつもりで言ったのだが、当の本人は真に受けてしまっているようだった。

 どれほどショックだったのか、固まったまま口だけをパクパクとさせている。

「じ、冗談ですよ。冗談」

 さすがの美咲もこれには罪悪感を覚えたのか、すぐに嘘であることを打ち明ける。

 すると恭太郎は、脅かすなよ、と心底安心したように息を吐き出した。


「しかし、実際に神谷君は菅君と一緒に帰るのをあえて避けたようにも思えますね」

 それを聞いて恭太郎はまた顔をしかめた。

「げっ、だから嫌な言い方するなって」

「別にそれをネガティブにとらえる必要もないですよ」

 美咲の回りくどい言い回しに、恭太郎は指を顎に当てて考える。

「えーっと、つまりどういうこと?」

 そしてすぐに考えるのをあきらめた。

「ですから、行先を他人に知られたくないということです。あくまでも私の推測ですけどね」

「なんで?」

「そんなの私にはわかりません。でも、知られたくないというのは隠したいからに決まっています。あっ、もしかしたら彼女さんと会うとかかもしれませんねぇ」

「それはないな。絶対にありえない」

 ニヤニヤと表情を緩める美咲に対し、ふふん、と鼻を鳴らしながらドヤ顔で否定する恭太郎

「どうしてですか?」

「お互いに彼女ができたら、隠さずに教える約束を俺と涼はしているからだ!」

 そしてその理由のくだらなさに美咲は言葉を失った。


「……まあ、菅君たちの彼女事情はこの際、捨て置きましょう」

「なんでだよ!!」

「話を本題に戻しますけど、菅君はなにか気になったことはありますか?」

「……うーん、気になるというか、なんだかアイツ、昼休みのときからいつもと様子が違うような気がしたから、ちょっと心配ではある。涼って、自分からは悩みの相談とかしてこねーからさ」

「そうですね。でもそこが神谷君の良いところでもあり、悪いところでもあります」

 長所と短所は表裏一体。

 どんな長所でも過ぎればそれは短所にもなりうる。

「…………」

「……気になりますか?」

 ぼーっと天井を見上げる恭太郎に美咲が問いかけると、恭太郎はまーな、と頷いた。

「だったら、やることは一つですね!────」


「────はあ? 涼の後をつけるって……お前ってさ、プライベートって言葉知ってる?」

 美咲の提案を聞いて恭太郎は心底呆れたように言った。

「どの口がそんなことを言えるんですかねぇ。いつか私の後をつけてきたのはどこのどなたたちでしたっけ?」

 言われて恭太郎はうっ、と身を引いた。

 以前、美咲が学校を抜け出し、河原で密かに猫の世話をしていたことを恭太郎たちは学校帰りに美咲の後をこっそりとつけて暴いたことがあったのだ。

「あれはだな、若気の至りと言うか……津山のことを心配して……」

 しどろもどろになりながらも恭太郎はなんとか弁明をしようとする。

 実のところはおもしろ半分でなんて、本人の前では口が裂けても言えない。

 そんな恭太郎の本音を見透かしているかのように美咲は顔をほころばせた。

 恭太郎をからかって楽しんでいるのか、それとも心配されたことが素直に嬉しかったのだろうか。


「でもどういう風の吹き回しだよ。やけに涼のことを気にかけるじゃねーか」

 今日に限って執拗に涼の事情に踏み込もうとする美咲に恭太郎は疑問を覚えた。

「私も同じですよ、神谷君のことが心配なんです。でも、私よりももっと神谷君のことを気にかけている人がいますよ。ねっ、茜ちゃん」

 美咲は教室の隅で息を殺し続けていた女生徒の名を呼ぶ。

「え……あ、あたし?」

 美咲の不意打ちに茜は驚いたように声を出した。

 まさか話を盗み聞きしていたことがバレていたとはと、戸惑いを隠せないようだ。


「茜ちゃんってば、授業中もしきりに神谷君のこと気にしてましたよね。私にはわかりましたよ」

「別に気にしてなんて…………」

 そう、昼休み以降に様子が変わったのは涼だけではなかった。

 涼の後に戻ってきた茜の様子の変化にも美咲は違和感を感じていたのだ。

 同じ時間、同じ場所に赴いてから様子の変わった二人。

 もしや涼と茜の間に何かあったのかと美咲は探りを入れることにした。

 少しバツの悪そうな顔の茜を見るに美咲は自分の考えが概ね正しかったのだと結論付ける。


「私と菅君はこれから神谷君の後を追います。茜ちゃんも一緒に来ますか?」

 俺もかよ、という言葉が直後に空しく響く。

「私は……」

 茜は悩んだ。

 自分には関係のないことだと、一度は拒まれた事。

 そんな自分がこれ以上、涼の問題に踏み込んでいいものなのか……

 たとえ無理やりに踏み込んだとして、その先に待っているのが後悔だけではないのかと。

 もしくは、これもまた己の贖罪のために涼への気持ちを利用しているだけなのかもしれない。


 本来ならば、行くべきではない。

 それは茜自身が一番よく理解していた。

 しているはずなのに、茜は今も涼のことを気にかけている。

 たしかに自分に罪悪感があるのは事実だと茜は心の中で認めた。

 だがそれだけではない。

 ここで背を向けてはいけない気がすると、揺れ動かされる何かが茜の中にはあった。

 一度、息を深く吸い込み吐き出す。

 俯けていた顔を上げ、茜は答えた。


「ええ、涼には悪いけど私も行くわ────」

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