僕の過ち (後)
コツ、コツ、コツ、と足音を響かせながら階段を上っていく。
僕の教室は校舎の三階にあるが、今、僕が目指しているのは教室ではなかった。
二階、三階、四階。
職員室を後にした僕は、ただひたすらに上を目指して階段を上っていく。
階段を上りきった先、少し大きめの扉の前で僕は足を止めた。
この扉の先には屋上がある。
でも、わざわざ寒い外へ出ることはしない。
僕が探していたのは、誰もいない静かな場所だった。
それなら、ここでも十分。
というわけで、僕は階段に腰を落とす。
お尻に床の固くひんやりとした感覚が伝わってきたが、すぐに慣れるだろう。
静かに考えることができる環境が整ったところで、僕は先ほど保留していた問題について思案を始めた。
今、この学校を恐怖に陥れている暴行犯のグループ。
当初は無差別に人を襲う通り魔だと思われていたが、それは違った。
奴らには目的があった。
先ほど先生を介して伝えられた事実。
それは『カミヤ リョウ』を……つまりは僕たちを探し出すことだった。
”探し物は見つかった”
金曜の放課後に男の一人が言い残した言葉が頭をよぎる。
あのときはなんのことなのかさっぱりだったが、あれはきっと僕たちのことを指していたのだろう。
だが、奴らの狙いが僕だとして、なぜ他の生徒にも危害を加えるような必要があったのだろうか?
被害を受けた生徒は僕と同じ学校に通っているというだけで、ほとんどは僕と無関係な人間のはずだ。
何か意味があるのか、それとも……
いや、それを僕が一人で考えても無駄だろう。
なにせ、まだこの事件の”首謀者”の実態が掴めていないのだから。
僕たちが襲われたあの日、男たちは実際に僕の顔を見ても僕が『カミヤ リョウ』だと認識してはいなかった。
つまり、あの三人は標的である僕の名前は知っていても、顔までは知らなかったということになる。
そして僕もあの三人との面識はない。
僕がその『カミヤ リョウ』であると気づけたのも、おそらく津山さんと恭太郎が、あの場で僕の名前を『神谷君』、『涼』と呼んでいたからだ。
だとすれば、他にいるはずなのだ。
今回の騒動を引き起こし、あの男たちに”カミヤリョウを探せ”と指示を出した、僕に恨みを持っているであろう、この事件の首謀者が。
その人物を捕らえることこそが、この事件解決の一番の早道であることは間違いない。
しかし現状では、その容疑者を絞り込むことがまったくできずにいた。
「まだ、情報が足りないか…………」
今ある手がかりは僕に恨みを持っている人間の犯行ということだけ。
それでは範囲が広すぎる。
向こうが僕の名前を知っていたように、こちらも何かせめてもう一つ手がかりがあれば、助かるのだが……
「あれ、名前……?」
ふと、一つの疑問が頭に浮かんだ。
どうして男たちは僕の名前を知っていたのだろう?
もちろん、首謀者と思わしき人間から聞いたのだろうが、その首謀者本人はどうやって僕の名前を知ったのか……
今まで僕が関わった暴力沙汰は僕が覚えている限り、自分で首をつっこむ形や巻き込まれる形で起こった、いわば突発的なものだ。
誰かとの長きにわたる因縁だとか確執だとか、そんなものではない。
相手は、ほぼすべて初対面の人間だったはず。
僕はそんな相手にわざわざ自分から名前を名乗ったことはないし、相手の名前も覚えていない、というか知らない。
だとしたら、どこで知ったのか?
口元に手を当てて、思考を回転させていく。
「誰かから聞き出した……?」
可能性としてはゼロではないだろうが、あまり現実的ではない気がする。
僕のことを知っている人間もそう多くはないだろうし、人の名前を聞いて回っているような不自然な人間がいれば、多少なりともその噂は本人である僕の耳にも届く可能性が高い。
とすれば、やはり僕と会ったそのときに知ったと考えるのが妥当だろうか。
僕が自分から名乗らなくとも、金曜のときのように第三者が僕の名前を呼んでいれば嫌でも耳に入る。
あくまでも推測の域を出ないが、もしそうであったとするならば、状況はかなり限られてくるはずだ。
容疑者の絞り込みもこれでだいぶ楽に、とそこまで思ったところで僕は思考を途切ってしまった。
「何をやってるんだろう、僕は……」
一人、探偵気取りで推理を繰り広げていた自分が途端にバカバカしくなった。
所詮は机上の空論だ。
ここで、いくら仮説を立てたとしても、それを確かめるまでにどれくらいの時間がかかる?
そのあいだにまたどれだけの犠牲が出る?
この方法ではダメだ。
もっと手っ取り早く、犯人を捕まえられる手段を考えなければ……
しかし、そこが一番の難問でもある。
それができれば、警察も苦労なんてしないだろう。
それ以前に僕の力でこの事件を解決に導くことができるのだろうか?
僕だけの力で……
「………………」
唐突な無力感が僕を襲った。
まだ暴行犯グループの規模も素性もわかっていない。
行動を起こすには、あまりにも情報が不足している。
今以上の情報を得るためには、奴らのグループの誰か一人を捕えて直接聞き出すのが一番手っ取り早い方法だろうが、前回の君との一戦を見る限り、僕程度の実力では、あの三人の内の一人にすら手も足も出ずに返り討ちにされるだろう。
頭で考えていてもダメ。
直接立ち向かってもダメ。
このままでは、ただ無駄に時間が過ぎ、いたずらに犠牲者が増えていく……
僕が原因で起きたことなのに、その様を僕は指をくわえて見ていることしかできないのだろうか。
はは……と自嘲気味に乾いた苦笑が漏れた。
考えれば考えるほどに自分の不甲斐なさが浮き彫りになっていく。
ああ、こんなときに……いや、こんなときだからこそ、僕は君が羨ましかった。
僕がどんなに望んでも手に入れられない『強さ』を君は持っているのだ。
誰かを守ることのできる力を。
「くそっ!」
誰に向けることもできない拳を床に打ちつける。
昔の僕ならこんな悔しさを感じることも、物に当たるなんてこともなかっただろうに。
僕は変わった。
君の言い方を借りれば、なくしたものを取り戻したと言うことになるのだから、これが本来の僕なのだろうが……
しかし、それでも変わらないこともあった。
固いコンクリートに打ちつけた拳は赤くなり、ジンジンと痛みを走らせている。
「痛いのは嫌いだ……でも、それを他人に向けるのはもっと……っ」
君に頼るという選択肢を僕は選ぶことができなかった。
また同じ過ちを繰り返してしまうのが怖かったからだ。
憎しみに憎しみをぶつけるだけでは何も変えられないことは、現状が示している。
方法を選んでいる余裕なんてないことは重々承知の上だ。
一刻も早くこんなバカげたことを終わらせなければいけないのはわかっているのに……
目の前の現実から、自分は無関係だと目を逸らしてしまいたくすらなった。
すぐには無理でも、いずれは警察が全力を出せば、いくら暴行犯たちであろうと逃げ切ることは不可能なはずだ。
それまで何事も見て見ぬふりをしていれば、僕は自分を……
「……もう、わかんないよ」
様々な想いがぐちゃぐちゃになった頭を抱えて、うずくまる。
なんで僕はこんなにも無力なんだろう────
「──またこんなところに来て。なに? なんとかと煙は高いところが好きって言うけど、涼もその類?」
不意に階段の下から聞こえた声に、僕は足元に向けていた顔を少しだけ上げた。
「茜……」
階段の下にいた茜は、僕と目が合うなり階段を上ってくる。
「……どうしたの、僕に何か用?」
僕を見下げるように立つ茜に向かって、腑抜けたような声で問う。
それを聞いた茜は肩をすくめ一言。
「先生に何か言われたの?」
そう言われた僕は驚きを通り越し、茜の鋭さに感心してしまった。
さすがはみんなから頼りにされる委員長だ。
人を引っ張る才能があるだけあって、他人の変化を見る目もあるのかもしれない。
「いや、たいしたことは言われてないよ」
「じゃあ、どうしてこんなところでいじけてるのよ?」
「いじけてなんてないって」
自分でも珍しいと思う僕の強がり。
茜の指摘を認めまいと、なかば意地になっている自分がいた。
「なら鏡で見せてあげましょうか、あんたの顔。今にも泣きそうよ」
しかし茜の前ではそんなつけ焼刃の化けの皮はすぐに剥がされてしまう。
僕の弱さを見透かされたような茜の優しさに、ついつい情けない自分をさらけ出してしまいそうになった。
もし、茜にこの事を相談したらなんて言ってくれるのだろうか?
女々しい男だと馬鹿にされるのか、それともそれはしょうがないと慰めてくれるのか。
差し伸べられた優しさに僕の気持ちが楽な方へと誘われていく。
「実は……」
言いかけて、すがるように茜を見ていた自分に嫌気がさし、僕は表情を隠すように茜から顔をそらした。
「涼?」
「ごめん、なんでもない」
僕は馬鹿か……?
自分から大切な人を巻き込むような真似をしてどうする?
自分の行いを咎めるように下唇を強く噛んだ。
それにしても、どうして茜は、いつも僕のことをこんなにも心配してくれるのだろう。
こんなにも見ていてくれるのだろう。
「なんで茜は、いつも僕のことを心配してくれるの?」
不自然な間を取り繕わんとする意思が、自然と頭に浮かんだ疑問を口にさせた。
「──え?」
すると茜は、呆気にとられたような声を出す。
「どうしてって……それは……」
何に困惑したのか、茜の整った眉が歪に形を変えた。
僕のおかしな質問で茜を困らせてしまったようで、なんだか申し訳ない気持ちになった。
こんなことを尋ねてしまうなんて、悩み過ぎで僕の思考は変な方向に行ってしまっていたようだ。
僕は立ち上がり、自分のおしりをポンポンとはたく。
「変なこと聞いてごめん。茜の想像どおり、さっきまでたしかに僕は悩んでたよ」
今さら、なぜ心配してくれるのか、などそんなことを気にする間柄でもない。
僕だって、恭太郎でも津山さんでも茜でも悩んでいれば心配するし、困っていれば助けてあげたいと思う。
それに僕の知っている茜は、いつもちょっとおせっかいで、人助けにいちいち理由をつけるような性格でもなかった。
彼女は自分の正しいと思ったことを信じて貫く強さを持ち合わせている。
「でも、それはね──」
そんな茜が僕にとってかけがえのない存在だからこそ、
「──茜には関係のないことだ」
僕は茜の優しさを拒絶した。
「ありがとう、僕たちのことを気にかけてくれて」
できるかぎりの笑顔で茜にそう告げ、階段を下りていく。
僕は最低な男だ。
だって、平然と茜の優しさを踏みにじるような行為を行っているのだから。
茜と話せたおかげか、僕は自分が自惚れていたことに気づかされた。
僕は別に何か特別な力を持っているわけでもない、ただの気弱な学生だ。
そんな僕が自分の力だけで荒事を無事に解決させるなんて映画のヒーローみたいなこと、最初からできるわけがなかった。
今の僕にできることなんて、ほんの些細なことにしか過ぎない。
けど、今回の事は僕自身でけじめをつけなければいけないこと。
僕に必要だったのは、その覚悟を決めることだった。
それで僕が本当に守りたいものを守ることができるのだとしたら、それが僕のやるべきことなんだと思った。
たとえ僕が、どんな目に遭うことになったとしても────
「ありがとう、僕たちのことを気にかけてくれて」
私にそう言って、涼は階段を下りていく。
涼がいなければ、私がここに一人でいる意味もない。
私も教室に戻ろうと階段を降りようとするが、踏み出そうとした足は鉛のように重かった。
ただ並んで階段を下りるだけなのに……
そんな簡単なことをするのも、今の私には、はばかられてしまう。
”なんで茜は、いつも僕のことを心配してくれるの?”
なぜ私は、その疑問にハッキリと答えられなかったのだろう。
突然そんなことを聞かれて驚いたから?
それとも理由を言うのが恥ずかしかったから?
体の良い言い訳はいくらでも思い浮かぶけれど、いくら小奇麗に言い繕ったとしてもなんの意味もない。
私はいつの頃からか気づいていた。
私が涼を必要以上に気にかけてしまうのは、私の中にある罪悪感を薄めるための自己満足に過ぎないのだと────
善良な心から来る親切心、ではなく、負い目から来る償い。
私は過去に一つの過ちを犯した。
その、私のこの胸の奥に秘めた罪を素直に本人に謝れば、それで済まされるのかもしれない。
今の涼なら笑って許してくれるだろうと、なんとなく思えていた。
なのに私にはその勇気がなかった。
長いあいだ涼と接してきたからこそ、今の私は真実を知ることに臆病になってしまっていたのだ。
私は過去の出来事から、今もずっと逃げ続けている。
「……いくじなし」
自分を責める言葉。
この言葉も、もう本心かどうかもわからなくなってきた。
こうして自分を貶めることで、安心感を得ているだけなのかもしれないと……
だんだんと遠くなる涼の背中。
私はそんな涼の背中をただ黙って見送ることしかできなかった────




