表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
34/54

俺が俺であるために (後上)

 少女は、ただ茫然と目の前の惨状を見ていることしかできなかった。

 一人の少年が、三人の同じ園児たちを痛ぶっている光景を……

 最初は、あんなに泣き声を張り上げていた三人も、今では泣きじゃくりながら体をブルブルと震わせているだけだった。

 少女も少年たちの争いを止めなければいけないというのはわかっているものの体がすくんでしまい動けずにいる。

 これは、少女が生まれて初めて感じていた恐怖という感情によるものだった。

 親に叱られるのが怖いと言った類のモノとは違う。

 例えるならば悪魔か死神か……姿形は問わずとも、命を脅かす危険がすぐそこにあるという本能的な恐怖だ。

 まだ幼い少女には、ただ恐いという感情でしかそれを表現できなかった。


 ふと気づいたように、三人を痛ぶっていた少年が少女の方を向いた。

 そして、少女の方へと歩いてくる。

 ”あの子は危険な子ではない。だから恐がる必要はない”と少女の理性は訴える。

 だが、命の危機に直面したとスイッチの入った本能の前には、そんな常識的な理性などなんの意味もなさない。

 ”逃げろ、逃げろ”と簡潔かつ一方的に少女に行動を促す。

 少年が一歩、一歩と近づいてくるたびに少女の心臓の鼓動は緊張に増していく。

 そして────




「────ッ!?」

 布団から跳ね起きるように、私は目を覚ました。

「う~……」

 まだ夢うつつな頭を気合と根性で、どうにか現実に引き戻す。


 えーと……たしか今日は土曜で学校はお休みだ。

 特に予定もなかったし、最近の外は少し物騒だしで、私は自室で時間を持て余していたんだっけ。

 それで持て余し過ぎて、ベッドの上でゴロゴロしてたら、いつの間にかうたた寝をしてしまったというわけか。

 どうやらストーブのおかげでポカポカと温い部屋の温度に眠気を刺激されたらしい。


「なんだか……嫌な夢を見た気がするわ……」

 私の身体はジワリと嫌な汗を滲ませていた。

 この部屋が暑いからではない。

 これは俗にいう冷や汗というやつだ。

 その汗の理由もおおかた検討がついている。

「また……あの夢か……」

 感傷にでも浸るかのように私はつぶやいた。


 時刻は午後四時。

 今日はまだこれといって何もしていないのに、時間だけはきっちりと過ぎていた。

 我ながら贅沢な時間の使い方だ。

 さてさて、頭が覚醒したのはいいものの、これからどう過ごしたものか……

 宿題……はさすがに寝起きでやる気にはならないし。

 他にやることも思いつかなかったので、とりあえず一階の居間でテレビでも見ることにした。


 一階に降りると台所には母の姿があった。

 ちょうど買い物から帰ってきたところなのだろう。

 買い物袋をテーブルの上に置き、買ってきた商品を取り出している最中だった。

 何気なく、母が買い物袋から取り出した品物を目で追ってみる。

 かぼちゃ、レンコン、サツマイモ、大葉、キノコ……と出てきたところで一つ目の袋は空に。

 今日は野菜が多いわね、と今晩のおかずを推理する。

 二つ目の袋からは、卵、お魚、エビ、以上。

 ふむ、これらの食材から察するに今日の我が家の食卓は……天ぷら、といったところか。


「茜。そんなところにボーっとつっ立って、何してるの?」

 母が私に気づき、声をかけてくる。

「なんでもないわよ。それより今夜は天ぷら?」

「そうよ」

 言いながら、母は戸棚を物色。

 よっしゃ、と私は心の中で自分の名推理を自画自賛する。

「ああー、しまったぁ……」

 そのとき、戸棚の中を確認していた母が、私の気分に水を差すような声を上げた。


「どうかしたの?」

「油が切れてるの忘れてたわ」

 やっちゃった、と言わんばかりに母はてへっと舌を出した。

 いい歳して何やってるの、と言わないのは私の優しさだ。

「ちゃんと確認しないからよ。もう、お母さんったら、しっかりしてよ」

 私はため息交じりの声を出す。

 しかし、これは一大事だ。

 油がなければ天ぷらは揚げられない。

 天ぷらが揚げられなければ今日のおかずがない……いや、野菜とか魚はあるけれど、それはそれ。

 まあ、なければ買ってくればいいだけ。

 これは当然の帰結だが、ここまで思って私は嫌な予感を覚える。

 そんな予感から逃げるように、そそくさと二階に上がろうとしたとき、母に呼び止められてしまった。

「悪いんだけど、ちょっとスーパーまで行って、買ってきてくれない?」

 えー、と私は母の頼みに唇を尖らせる。

 今日の私の頭は冴えに冴えていたけれど、これだけは外れてくれた方がよかった。

 ヘタに断って母の機嫌を損ね、生野菜と生魚をおかずに出されても困るので、渋々、私は晩ご飯のために母の頼みを受け入れたのだった。


 ともすれば、まずやるべきことは、部屋に戻って着替えだ。

 今日は特に出かけるつもりはなかったので、今の私は部屋着姿である。

 こう見えても私だって女子学生の端くれ。

 よく女らしくないとか、恭太郎なんかには、からかわれることもあるが、出かけるときくらいは、誰に見られてもはずかしくない程度の格好は心がけている。

 服を買いに行くときはだいたい美咲と一緒なので、服飾や流行に疎い私でも、無難な服を美咲に選んでもらっているため、ファッション的にも及第点なはずだ。

 たまに冗談か本気なのか、美咲はフリフリしたものすごく女の子な服を勧めてくるときがあるけど、自分の女度を理解している私は、自分には似合わない、としっかり断っていた。


 適当にタンスの中から見繕った服に着替え、コートを羽織る。

 ……あれ、上からコートを着るなら下にどんな服を着ても関係ないんじゃ、と十代の女子としてはあるまじきことを思ってしまった。

 そんなコートで隠せば問題ないなんて、どっかの……ゴホンッ。

 こんなことを美咲に聞かれたら、それこそお説教をされてしまう。

 曰く”見えないところにも気を配ってこそ女子”らしい。

「まったく耳に痛い言葉ね。よしっ、と準備完了!」

 服も着替え、髪もブラシでとかし、抜かりはない。

 私はサラダ油とついでに頼まれた諸々の買い物をするために家を出た。


「うー、さむっ」

 コートにマフラー、手袋とそれなりの防寒をして臨んだが、やはり真冬の寒さは骨身にしみる。

 今年は例年以上に寒さが厳しいとテレビでは言っていた。

 本当に外は雪が降り積もりそうなくらいに風が冷たい。

 早く買い物を済ませて温かい紅茶でも飲もうと私は足早にスーパーへと向かった。


 途中、パトカーと二回ほどすれ違う。

 パトロールの最中なのだろう。

 それだけ警察も街の安全に気を配ってくれているということか。

 今、この街、私たちの周りでは一つの事件が起きていた。

 私たちの学校の生徒が、次々と何者かに襲われるという事件だ。

 昨夜、私のもとに一通の電話が届いた。

 電話の主は美咲。

 聞けば、昨日の放課後、ちょうど私と別れた後に恭太郎と一緒に謎の集団に襲われたとのこと。

 驚きのあまり、私は電話越しに少し取り乱してしまったが、詳しい話を聞いて何とか落ち着きを取り戻した。

 そしてそのときの犯人の特徴と一緒に美咲はあることも教えてくれた。

 当初の私たちの予想どおり、犯人たちは私たちの学校の生徒だと確認したうえで襲ってきていたと……

 こうして私が背後に脅えることもなく外を出歩いているのも、私服ならば私がその学校の生徒だと特定されないからだ。

 もちろん、人通りの多い道を選ぶなどある程度の用心はしている。

 しかし、まだ犯人が捕まっていない以上、安心はできない。

 できることなら今すぐにでも、犯人が捕まってほしいものだ。


 ほどなくしてスーパーに着いた私は、買い物カゴを片手に店内を回る。

 最初はサラダ油だけだったのにお母さんときたらこの際だからと、やれバターやら煎餅やら缶詰やら、節操なしに色々つけ足すんだから。

 少しは私のことも考えてほしいと、文句の一つも出てしまう。

 渡されたメモに目をとおす。

「えーっと、次は……みかん」

 やっぱり冬と言えばコタツにみかんは欠かせない、って絶対これ自分が食べたいから書いただけよね。

 まあ、私もみかんは好きだからいいけど。

「ん? あれって……」

 みかんを買うために野菜売り場に向かうと、そこには見覚えのある人影が一つ。

「いや、でも……こんなところに来るような奴だったかしら……?」

 見間違いではないかともう一度確認するが、間違いない、あの顔はアイツ本人だ。


「奇遇ね、こんなところで会うなんて」

 なんの気の迷いか、私は好奇心でそいつ、神谷涼に接触を試みた。

「ああ? なんでテメェがここにいる」

 コイツは私を見るなり露骨に面倒くさそうな顔をした。

 ずいぶんと嫌われているものだ。

「それはこっちのセリフ。あんたがスーパーで買い物なんて、珍しいこともあるのね」

 買い物をすること自体は別におかしなことではないが、コイツの性格を知っている私からすれば違和感バリバリだ。

 普段は不良じみた態度の奴が、雨ざらしにされている猫を助けるならともかく、スーパーで買い物カゴを片手にメモ用紙持って、今晩のおかずどうしましょう、なんて悩んでいる例なんて聞いたことがない。


「これはただ家の奴に頼まれただけだ」

 そこまで聞いてああ、と私は納得する。

 家の奴という言い方は少々乱暴だが、おそらくコイツは今週末に寮ではなく実家に帰っていたのだ。

 それでおばさんあたりにでも、買い物を頼まれたのだろう。

 ここに来た境遇は私と同じというわけか。

 しかし意外だ。

 買い物に来たということは家の方ではちゃんと言うことを聞いているらしい。

 つまりコイツは外弁慶ということか……?

 うーん、そんな素直そうには見えないけど……

「チッ、なんで俺がこんなこと……それもこれもアイツが……」

 なんか一人でぶつぶつ文句言ってるし、カルシウムでも足りてないのかしら?


「それにしてもあんた、ちゃんと買い物できるの?」

「なんの冗談だ? そういうことは菅の奴にでも言え」

 恭太郎が聞いたら、なにおう! と勢いよく反論してきそうなセリフだ。

「買うものはわかってんだ。カゴ入れて、レジで金払えばいいだけだろ」

「わかってないわねぇ。ただ買えばいいってもんじゃないのよ。安くて、良い品物を選ぶことが大切なの」

「はっ、そんなこと俺の知ったことかよ。渡された金で頼まれたもの買って文句なんて言われちゃたまんねぇな。だったらテメェで買いに行きやがれって話だ」

 これだからガサツな男って奴は……

 まあ、最初からこうなることは目に見えていたわけで、釈迦に説法、いや、この場合は馬の耳に念仏と言った方が正しいか。

 ここまで自信満々に言われては部外者としてはおとなしく引き下がるしかない。

「あんたの言うとおりね。私の余計なお世話だったみたい、お邪魔したわ」

 コイツは私という邪魔者がいなくなることに清々したのか、それ以上は何も言わなかった。

 私もおとなしく自分の買い物に戻る。


 数分後。

 もしかしたらカルシウムが足りていなかったのは私の方かもしれないと反省する。

 気にするなと気にしている時点で、私はアイツのことを気にしてしまっていたのだ。

 ついアイツの買物ぶりを観察していた私の中には、今にも弾けそうなほどのイライラが募っていた。

 買い物リストであろうメモを見て、目的の野菜の前まで行き、見比べもせずに一秒足らずで目の前の野菜をカゴに放り入れる愚行。

 同じ品があんなにいっぱいあるのだから、少しでも色艶の良いものを選ぼうという気はないのかしら……

 おばさんも涼の方ならともかく、アイツに買い物を頼むこと自体が間違っていたのでは、とさえ思えてくる。


「料理酒? ……まあ、適当に酒を買えばいいか」

 違う! 料理酒は、お酒じゃなくて調味料よ。

 あーあ、アイツやっぱり日本酒をカゴに入れたわ。

 あまりに予想どおり過ぎて、目も当てられない。

 わからないなら店員さんにでも聞けばいいのに……何やってんのよあのアンポンタンは!

 ダメだわ、見ているこっちの方がイライラする。

 アイツは料理の『り』の字どころか買い物の『か』の字も知らない、まさしく主婦の敵。

 もう黙って見ちゃいらんない。

 今までお世話になった神谷家のおばさんたちのため、ここは私が一肌脱ぎましょう。


「あんた、ちょっと来なさい」

 有無を言わさず、私はコイツの腕を引き、商品を選び直すために売り場に戻った。

「おい、なんのつもりだ!?」

「いいから」

「ったく、いい加減にしやがれ」

 強引に私から手を引きはがすとコイツは顔をムッとさせた。

 そんな顔したって無駄よ、無駄。

 今の私は誰にも止められないんだから。


「あんた、あんなに偉そうなこと言ってたくせに何よそのお粗末な買い物は! なっちゃいない! ええ、もう本当になっちゃいないわ!!」

「人様のことでグダグダうるせぇんだよ」

「そんなんじゃ、家に帰ってもおばさんに呆れられるだけよ」

「……ああ? 俺はこの紙どおりに──」

「料理酒って書いてあるのを見て、まっさきに日本酒に走る時点でナンセンスなの。そもそも、あんたじゃお酒買えないでしょうが」

「…………!」

 私の言葉を聞き、コイツは面食らったような表情のまま数秒ほど固まっていた。

 残念なことにそこまでは頭が回っていなかったらしい。


「家の人の残念な顔と残念な夕飯を見たくなかったら、私の言うとおりにしなさい」

「ぐっ……」

 苦虫を噛み潰したように悔しがっている。

 この手の知識に関しては、世間の男同様にこいつもかなり疎いようで、私に反論する手立てが思いつかないのだろう。

「……礼なんて死んでも言わねぇからな」

「いらないわよ」

 しかし、いちいち感情が子供のように顔に出やすい男である。


 さっさと買い物を済ませて家で温かい紅茶を飲む予定はどこへやら、結局、私はコイツの買い物に半ば強引につき添った。

 どうにも他人のふりをして黙って見ていることができなかったからだ。

 こんな私のことを人は面倒見が良いと言ってくれる。

 でも、それは裏を返せばおせっかいということだ。

 自分でもそれはよくわかっている。

 人によっては善意の押し売りと不快に思うだろう。

 実際に今まで何度かは、横から余計な口出しをして、煙たがれらたこともあった。

 日頃から余計なお世話は禁物と自重してはいるが、どうにも涼や恭太郎のようにつき合いがそれなりに長い奴だと遠慮というものが薄れてきてしまう。

 困ったことに、これも私の性分らしい。

 しかし、よくよく考えてみれば、今は引きこもっているどこかのお人よしの影響を受けているのかもしれないな、と私は思ったのだった────

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ