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俺が俺であるために (中下)

 まるでこの空間だけが凍りついたかのように制止する。

 突きだされた木刀も男もリョウも、そして周りの観戦者たちも動くことを忘れたように止まっていた。


「な──」

 メットの男は目前の出来事が信じられないとばかりに音にしかならない声を発する。

 かろうじて、止まっていたのは動きだけだった。

 頭の中は、変わらずにさまざまな思考を巡らせている。

 最初の交戦でリョウの強さをその身で体感した男は、珍しく一つの戦術をとった。

 ただ闇雲に刀を振るうだけでは、おそらく何時間振り続けようと当たらない。

 ならば、当たるように誘い込むまで、と。

 すべての行動はそのための布石。

 思惑どおり、リョウは男の連撃を前にしても怯むことなく前進を試みた。

 そこに狙い澄ましていた突きを差し込む。

 男が脳裏に描いていたシナリオでは、そこであっけなく終幕。

 それで終わるはずだった。

 だったのにもかかわらず……


「残念、惜しかったなぁ」

 シナリオどおりに終えてもなお、少年は生き生きと笑みを浮かべていた。

 右目十センチ手前まで迫った切っ先を右手で握り締めながら、男に向かって嘲るように慰めの言葉をかける。


「な、に……?」

 お膳立ても筋書きも十分。

 突きの速さも威力もタイミングも申し分はない。

 しかし必殺の一撃も必中の一撃にはならず。

 避けるわけでも、防ぐわけでもなく……

 文字どおり、リョウは木刀の一閃を掴み取った。

 そう、男の誤算はたった一つ────そこに立つ一人の少年という現実が男の想像を凌駕した。


 周りの観戦者たちも、その光景に思わず息を飲む。

 予測すらなしに『見て』から掴むという、常人とは一線を画した、驚異的な反応速度。

 だが、防がれた当人が驚愕したのは、その結果ではなくその行為そのものだった。

 男は、ふと考える。

 もし同じことをされたらどうするだろうか、と。

 おそらく反射的に避けるか腕で防ぐなどの行為で身を守るだろう。

 なぜか?

 それが最も安全だからだ。

 僅かでも目測を誤れば、大怪我を負っていたであろう一撃。

 誰が好き好んで、掴み取るなどという無駄なリスクを冒すものか。

 こじつけたような簡単な理屈。

 だが、そんな男を臆病者だと揶揄する人間は少ないだろう。

 男の理屈には周りを納得させるだけの筋が通っている。


 しかし現実に目の前の少年は、男の理屈を一笑に付すかのごとく、迷うことなくそれを実行し成し遂げた。

 どれほどの度胸が必要なのかは、それこそ実行した本人にしかわかりえない。

 ただ、大半の人間はその度胸を持つことができない、というのだけはかろうじてわかる。

 それを成し遂げた後もリョウは愉しそうに笑みを浮かべているだけだった。

 危険が迫ったという焦りも、それを回避したという安堵も感じさせない。


 なんでこいつは笑ってやがる……?

 リョウの狂気じみた笑いは、男に僅かな恐怖を植えつける。

 男はリョウを根本から誤解していたのだ。

 リョウには脅える必要も危険を感じる必要もないだけ。

 おもちゃの刀を持った子供相手のチャンバラごっこに脅威を感じる大人がどこにいるという話。

 この戦いはリョウにとってそう思えるに等しかった。

 余裕綽々のリョウに対し、鬼気迫る様子の男。

 二人の心の余裕の差は、そのまま実力の差となって表れていたのである。


 男が押しても引いても、木刀はピクリとも動かない。

 勝負あり、とさらに醜悪に顔を歪めたリョウは、木刀を掴んだまま、左足をさらに踏み込ませ左拳による追撃をくらわせようとする。


「神谷君ッ、危ないっ!!」


「────!?」

 背後から美咲の声を受けた直後、リョウは突き刺さるような殺気を感じ、反射的に周囲に意識を張り巡らせた。

 即座に前方、男の背後から自分の額に向かって何かが飛んできたのを確認したリョウは、踏み込んだ左足に踏ん張りをきかせ、後ろへ飛び退く。

 同時に首を横に反らすと投擲物は目標を見失い、リョウをすり抜けるように通り過ぎた。

 勢いをなくし、独特の金属音を立てて落ちたそれは、鋭い光を放つ一本のナイフだった。


「チッ、惜しい惜しい」

 ナイフを投げつけた黒ずくめの男がひっそりと言葉を口にする。

「おいっ、手ぇ出すなって言っただろうが!」

 リョウが木刀を手放したおかげで自由になった男が、背後にいた黒ずくめの男に向かって声を荒立てる。

「強がんなよ。俺が助けなきゃ、今頃そこで寝てたくせに」

「んだと!?」

 二人の男たちは言い争いを始めた。

 仲間割れだろうか。

 恭太郎たちの目にはそう見えた。


「おい、いい加減にしろ」

 二人の言い争いにフードの男の言葉が割って入る。

「もういい、今日のところは引くぞ」

「ああ!? 何でだよ、俺はまだ……」

「そりゃ、お前の都合だ。まさか頭に血が上り過ぎて目的を忘れたわけじゃないだろうな?」

 いったいなんのことを話しているのか、会話の外にいるリョウたちにはわからなかった。

 ただ、それを言われたメットの男が何も言い返せなかったことを見るに、その目的とはこの男たちにとって重要なものであることは確からしい。

 リョウにしてみればどうでもいい話ではあったが……


「探し物は見つかった。もうここにいる意味はねぇよ」

 言って、フードの男は足元に転がってきたナイフをひょいと拾い上げた。

 メットの男は一度リョウの方に顔を向けると、仕方ねぇと舌打ちをしながらも木刀を収める。


「逃げんのか?」

 撤退をする気満々の男たちに小さな火種を投下する。

 しかしリョウの思惑は外れ、今度は誰もその火種には寄りつかない。

「このまま俺が、テメェらをみすみす逃がすとでも思うか?」

「そんないきり立つなよ。安心しな、嫌でもお前は、また俺たちと会うことになる」

 いつまでも闘争心を抑えようとしないリョウをフードの男がバイクに跨りながらなだめた。

「また……だと? どういう意味だ?」

 まるで確証のない男の予言にリョウは眉を寄せる。

「そのうちわかるさ。そのときになったら俺と心行くまでやり合おうぜ……カミヤリョウ君」

 最後にリョウの名前を口にすると、男たちのバイクは爆音を轟かせながら風のように去っていった。

 その背中をリョウは気にくわぬ様子で見送る。

 最後に言われた男の言葉。

 自分が手のひらの上で踊らされているような妙な感覚にリョウは不快感を覚えた。


「神谷君! 怪我はありませんか?」

 男たちが完全に去ったことを確認すると、美咲と恭太郎の二人がリョウの下へ駆け寄ってきた。

 そういえばこいつらもいたんだったな、とリョウは今さらながらにさっきまでの状況を思い出す。

「危ないところを助けていただき、本当にありがとうございました」

「ごめんな、加勢してやれなくて……俺がふがいないばっかりに……」

「はん、誰がテメェらの力なんて借りるかよ。それに俺は助けたつもりもない」

 平常どおりのつっけんどんな態度。

 わざわざ気を使うなんて真似はしない。

 事実、リョウは戦っている最中に二人のことなど頭にはなかった。


 男たちを逃がしたことか、それとも不完全燃焼による欲求不満からか、リョウはイライラしたように舌を打つと、道端に投げたカバンを拾い、この場を離れようとする。

「どこに行くんだ?」

「帰るんだよ」

 敵もいなくなり、リョウがこの場にとどまる理由はもうなかった。

 恭太郎と美咲は顔を見合わせ、なんとなくリョウを引き留めようかとも考えたが、リョウが帰ることをやめる以上の理由が見当たらなかったのでそれを断念する。


「今回のことは、念のため私の方から学校に伝えておきます。とりあえず犯人の情報が増えれば、それだけ早く捕まると思いますから。もちろん神谷君が喧嘩したこととかは伏せておきますので安心してください」

 それは一度、文化祭の乱闘騒動の件で停学をくらっているリョウを気遣っての美咲の配慮だ。

 犯人逮捕に関係のない情報は余計な混乱を招くだけ、と美咲は理由づけた。

 最後にリョウは美咲の方を振り向き、ふん、と小さく鼻を鳴らすと再び帰路に就く。


「涼もいちおう気をつけろよ。またあいつらが襲ってくるかもしれないからな」

「はっ、他人より自分の心配でもしておくんだな」

 振り向かず、リョウは皮肉めいた声で言った。

「そうだ、やべぇ……制服破いたなんてこと知れたら、また母ちゃんにどやさせる……」

「そんなことよりも、足の怪我の方を心配してください……」

 どうしようもないことを心配している恭太郎に美咲は心底呆れていたのだった。




「よお、さっきは珍しくおとなしかったな。てっきり邪魔に入ってくると思ったぜ」

 久しぶりに体を動かせてまだ気分が落ち着かないのか、道すがら、リョウは珍しく涼に話しかける。

(さすがにあれは緊急事態だったから……しょうがないよ)

 心なしか、涼の声は重い。

「ずいぶん暗いご様子だな。何か嫌なことでもあったのか?」

 おもしろ半分にリョウは尋ねた。

(そういうわけじゃない。ただ、さっき男の一人が僕たちの名前を呼んでいたのが気になって……)

「名前? それがどうかしたのか?」

(……なんだか妙な胸騒ぎがするんだ)

「胸騒ぎねぇ……。まあ、奴の言っていたことがどこまで本当かは知らないが、もし次に俺の前に現れたなら逃がしはしない。今度こそ全員叩き潰してやるぜ」

 はははっ、となんの不安もなさげに愉快に笑う。


 たしかにリョウは強かった。

 得体の知れない連中を相手にしても一歩も引けを取らないどこか相手を圧倒させる実力。

 その力はリョウが生まれ持った身体能力と幼き頃にすべてを失った経験があるからこそ得られたものだ。

 そして、良くも悪くも自分自身という個に依存しきった強さ……

 強固な意思に支えられてはいるが、それは頑丈な分あまりにも脆い。

 僅かでもヒビが入ってしまえば、たちまち崩れ去ってしまうであろう諸刃の剣だ。


 ゆえに涼はリョウに対して言い知れぬ危険を感じている。

 それに涼の不安の種はそれだけではない。

 さっきの連中は、捕まらない限りまた現れるはず。

 そうなったとき、涼は自身の中で肯定することをためらったが、一番頼りになるのはリョウの存在だろう。

 しかし、そんなリョウの存在を踏まえてもなお、胸中に渦巻く不安を解消することはできなかった。


(週明けまでには、捕まってくれていればいいけど……)

 二人の『賭け』の期限は今日が終われば残り半分。

 すでにいたる所で振られた賽。

 徐々に傾き始めた日常は、いったい二人にどのような影響をもたらすのだろうか……




「やれやれ、着いちまったか」

 しばらくして、やっと目的の実家へとたどり着いたリョウは、玄関の前で意気消沈したようにつぶやいた。

 ここは、神谷涼の叔父と叔母の待つ家だ。

『家族』という今のリョウにとっては未知数極まりない存在。

 正直なところ、二人とはどう接したものかと、さすがのリョウも悩んでいるようだった。

 年相応の反抗期さながらな態度でも取って涼を困らせてやろうかとも考えていたようだが、それは実行に移す前に面倒になったのでやめにした。

 だが、他に悩んだところで答えは出ない。

 必要最小限に接していればいいだろうと決め、玄関のドアを開ける。

 家の中に入ってドアを閉めたところで、叔母の出迎えがあった。


「おかえりなさい、涼君」

「……ああ」

 そっけない返事。

「あら、少し見ないあいだになんか雰囲気変わった?」

 さすがに長いあいだ親をやっているだけあり、叔母は涼の変化に違和感を感じている様子だ。

「別に」

「そう……私の気のせいかしら?」

 どうも腑に落ちないリョウの変化に叔母は首を傾げている。

「あっ、お夕飯、もう少しでできるからね」

「わかった」

 そう言うと、余計なボロを出すまいとリョウは靴を脱いで一直線に自室へと向かうのだった。


「ったく、ある意味、ここは学校よりも面倒だな」

 自室のドアを閉め、制服の上着を脱いでベッドに身を投げる。

 すると日頃の気苦労による疲れが出てきたのか、リョウは一気に眠気に襲われた。

「……寝るか」

 この後、さらに待っているであろう新たな気苦労から目を背けるようにリョウは静かに目を閉じた────




 そこは、街の陰に隠れるようにひっそりと建つ廃墟。

 とっくの昔に倒産した企業が残した六階建てのオフィスビルだったものだ。

 すでに建物は封鎖されてしまっており、警備なんてものはない。

 そのため、はぐれ者たちにとっては秘密の隠れ家として、うってつけの場所となっていた。

 今宵もまた、敷地の中には十台近いバイクが止まっており、中で何かが行われている。


 外に明かりが漏れぬように閉め切られた建物内部の一室。

 十人以上の人間が電灯替わりの淡い炎に照らされながら、集っていた。

 その中には、くちゃくちゃとガムを噛んでいるパーカーの男、木刀を片手に持つ赤いレザージャケットの男、そして異質な雰囲気を放つ黒ずくめの男の姿もある。

「っつーわけで、報告は以上だ」

 パーカーの男は、今日出会った学生たちの話を部屋の一番奥に座るリーダー格らしき人物に報告していた。


「ふーん、カミヤリョウねぇ。それで、実際にやってみてどうだったんだ?」

「ああ、あいつは強ぇよ。二十人を一人でやったってのも、あながち嘘じゃなさそうだ」

「ケッ、たいしたことはねーよあんな奴。俺が本気でやってれば……クソがっ!!」

 言って、男はムシャクシャとした様子で、ドンッっと壁を蹴とばした。

「クソッ! クソッ! クソッ!!」

 ドンッ、ドンッ、ドンッと声に合わせてリズミカルに音が続く。


「……とりあえずご苦労だったな。これで目標の目星はついた」

「それで、いつやるんだ?」

「本格的に動くのは週が明けてからだ。それまでは今までと同じ、目立たないように適当に狩りを続けろ。おっとお前たち三人はおとなしくしてろよ。素顔が割れてないとはいえ、姿を見られたんだからな」

 そう指示された男はパンッと膨らませたガムを割り、わかったよと頷いた。


「よかったな。お前の探し物が見つかってよ」

 リーダー格らしき男は部屋の隅にいた別の人影に向かって声を投げる。

 その人影は素顔を隠すように首から上を包帯で覆っていた。

「ああ。…………カミヤリョウ……お前は絶対に…………殺してやる……!!」

 親の仇のように激しい憎悪の念を込めた声で、包帯の人物は、そうつぶやいたのであった────

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