俺が俺であるために (中上)
嵐の前の静けさというのだろうか。
この二人を取り巻く空気は今、恐ろしいほどに澄んでいた。
「聞きたいことがある」
拒否を許さぬ男の言葉にリョウは嬉しそうにそっと口元を綻ばせる。
リョウは、この男の正体に心当たりがあったのだ。
まさか話を聞いたその日に出会うことになろうとは、さすがに思ってもいなかったが。
「テメェが噂の通り魔か?」
リョウはくすくすと笑いながら問い返した。
確証はない。
男を一目見たときに感じた直感。
いわゆる動物的な野生の勘というやつだ。
意外な一言に少しだけ驚き、男は表情をピクリと動かした。
静けさに僅かな乱れが生じる。
「おいおい、人の話は最後まで聞けっての」
「あいにく、見ず知らずの野郎の話につき合ってるやるほど俺は暇じゃねぇんだよ。そんなに聞きたきゃ、テメェに襲われたっていう奴らみたいに俺の体にでも直接聞くんだな」
瞬時にリョウは後ろに跳び、男と正面から向かい合う。
「へぇ、もうそんな噂になってんのか。別に俺だって、好きでこんなことやってるわけじゃないんだぜ」
男はリョウの決めつけたような言葉を否定せず、自分が噂の通り魔だとでも言うように話を進めていく。
これから自分が行おうとすることを考えると嘘をつく意味を見いだせなかったからだ。
それに何より、違うと言っても、目の前のこいつは信じないだろうと男はなんとなく予想していた。
「はっ、その割には口元が緩んでるぜ」
それ見たことか、と男は自分の勘を褒める。
フードの隙間から見える男の口元も今のリョウと同様に白い歯を覗かせていた。
「そこまでわかっていて逃げ出さないってことは……まさか、逃げるのをあきらめたってわけじゃないだろ?」
「逆だ。どうやってテメェを逃がさないようにするのか考えてんのさ」
「いらぬ心配だな。それにしても口の割には、やけにおとなしいじゃねぇかよ、小僧」
「間の悪いことに今の俺は善良な市民だからな。理由がいんだよ……テメェをぶっ殺しても平気な、正当防衛ってやつのな」
そこまで聞いて男は、へへっ、と声を出して笑った。
リョウのあまりの堂々たる態度と挑発に苛立ちを覚えるどころか、歓喜に体が震える。
昨夜のような、自分の姿を一目見ただけで縮み上がるような腰抜けとは明らかに違う毅然とした立ち振る舞いに見るものすべてを射殺すような視線。
それを身に受けるだけで、男は気分が高揚し、自らの血が騒ぎ立つのを感じた。
「嬉しいことを言ってくれるねぇ。ならその理由、俺がつくってやるよ」
ポケットから手を出し、ゴキンッと指を鳴らす。
その反応を受けたリョウも、持っていたカバンを端に投げ捨てた。
”今日の俺は運がいい”
奇しくも二人は、同時に同じ言葉を思い浮かべていた。
互いに敵と認識しあった二人の男は、ニタリと口を歪めたまま向かい合う。
距離にして約一メートル。
雑音はなく、ただ風の吹く音だけが流れているが、それとは裏腹に二人を取り巻く空気は、ビリビリと激しく揺れ動いているようだった。
まだ出会ってから間もない二人だが、これ以上の言葉を必要とはしていない。
視線の衝突はすでに始まっている。
もう抑えきれぬとばかりに二人は弾けるように足を踏み出した。
が、またもや同時に衝突すんでのところで動きを止めた。
落胆したようにため息をつき、リョウは己の来た道を。
男は目に映る背景の先を見た。
リョウたちの耳に届いたのは、こちらに走り寄ってくる二つの足音。
視界に現れたのは、二人の男女の学生だ。
しかも今のリョウにとっては残念なことに、それは互いによく知る人物だった。
「涼!」
向こうもこちらに気づいたように声を投げてくる。
こちらに向かって走ってきていたのは、恭太郎と美咲。
余計な邪魔者の登場と言いたいところだったが、リョウは二人の恐ろしい何かから逃げるような必死の形相と不自然な足運びをする恭太郎の足首の怪我から異常な事態を察知した。
恭太郎たちはリョウの姿というより、リョウの背後に立つ大男にギョッと驚き、足を止めた。
「お、おい、こんなところで何やってんだよ!?」
それはこっちのセリフだと言いたげに、リョウは無言で恭太郎を睨む。
「ああっ、でも今はそんなことどうでもいいから、涼も一緒にここを離れるぞ」
焦るようにリョウを急き立てる恭太郎たち。
「ああ? なんでだよ?」
「なんでもだよ!」
事態を飲み込めないリョウは、そんな二人の様子を訝しみながら眉をひそめた。
「私たち追われているんです」
「早くしないと、お前もアイツらに襲われるぞ!」
「アイツら?」
何かを確認するようにリョウは背後の男にチラリと目を向けた。
すると今度は違う音が聞こえてきた。
否が応でも耳をつんざくこの音は、そこの男の背後にあるような単車のエンジン音。
新たな招かれざる者の登場かとリョウが機嫌を損ねかけていた矢先……
「やべ、追いつかれちまった!」
恭太郎が恐怖を滲ませる声を上げた。
美咲とリョウを連れて再び走り出そうとするも、フードの男がそれを阻む。
阻むと言っても道の真ん中で立っているだけなのだが、それでも壁としては十分な役割を果たしていた。
ここは一本道。
ともなれば、もう三人の学生の逃げ道はない。
「ケッ、もう逃がさねーぞ」
恭太郎たちの後を追って現れたのは、一台のバイク。
それから降りたのは、フルフェイスのメットをかぶった男と、全身黒ずくめの男。
「なんだ、お前たちも来てたのかよ」
フードの男が、見知ったように二人の男に話しかける。
「あん? そりゃこっちのセリフだ。そいつらは俺たちの獲物だぜ。横取りするなよ」
メットの男がそれに答える。
どうやらこの三人は仲間のようだと、リョウたちは会話の内容からすぐに理解した。
恭太郎と美咲はさらに状況が悪化したと顔を青ざめさせていたがリョウだけは違った。
「なるほど。そういういことか……くく、はっはっは!」
恭太郎の足の怪我の件も含め、とりあえずの状況をすべて飲み込めたリョウは、損ないかけた機嫌を直し、嬉しそうに高笑いを上げる。
「うるせぇぞ! なに一人で笑ってやがんだよ!?」
木刀を取り出したメットの男が言いながら前に出た。
リョウは男の怒声を受け流し何とか笑いをこらえる。
かと思うとボソボソと独りでに喋り始めた。
「得体のしれない男が三人。おまけに武器を持ち、俺たちいたいけな学生を襲おうとしている」
それは、まるで絵に描かれた状況を説明でもするかのよう。
「抵抗しなければ、命にすらかかわるかもしれない危険な状況だ。逃げ道はない。前も後ろも通せんぼ。たとえこの場を逃げたとしても、バイクで追いつかれることは必須。逃げ切ることはほぼ不可能」
絶望的な状況をご機嫌にこと細かに解説する。
「誰がどう見ても────正当防衛の成立だな。くははっ……!」
その口調は、どこかの誰かに語りかけるようにも聞こえた。
「どいてろ」
スッキリとした様子で己の中で何かを解決させたリョウは、恭太郎と美咲を横に押しのけ、メットの男と対峙する。
「ふはっ、まさかお前、俺とやる気か?」
今にも吹き出しそうなメットの男の問いは、完全にリョウのことを下に見ている証だ。
そんな男をリョウは鼻で笑った。
「いや、別に雑魚を狩ってもおもしろくもなんともないからな」
軽い挑発。
「なんだと!? あまり調子こいてんとぶっ殺すぞ、ガキが!」
しかし下に見ていた者からの挑発は、この男には効果覿面だった。
「はっ、できるもんならやってみろよ」
ちょいちょいと指を動かし男をさらに煽る。
リョウから先に手を出すことはしない。
あくまでも襲いかかってきた相手を返り討つ。
それが正当防衛の絶対的な条件だ。
「おい、今からこいつも俺の獲物だ。文句はねぇな!?」
仲間に確認を取るようにメットの男は叫ぶ。
黒ずくめの男は終始無言。
フードの男は呆れたように頭を掻くと、
「いいぜ。今回は譲ってるよ」
そいつに負けるようじゃ俺がやる意味はないからな、と小さい声でつけ足し、身を引いた。
仕切り直しになったとはいえ、状況はリョウにとって喜ばしい方向へと好転していた。
今この場において、自分を止める者はいない。
まだかまだかと、うずく体の衝動を必死に抑え込む。
「一人でいいのか? なんなら三人まとめてでもいいんだぜ」
「ケッ、お前みたいなガキ、俺一人でももったいねーよ」
「くく、身の程をわきまえないバカが。テメェごときが俺に敵うと思うのか?」
相手が何者であろうと、リョウの自信は揺らがない。
それほどまでにリョウは己の力に過信とも思えるほどの絶大な信頼を寄せていた。
リョウにとって自分の力が負けるということは、自分の存在を否定されることも同じ。
なぜなら、その力だけが今のリョウに残された唯一のモノだったから。
だからこそ勝つ。
勝った瞬間にこそ、居場所はなけれど自分という個が存在しているのだとリョウは実感できるのだ。
「おい小僧、一つ忠告しておいてやるよ。あまり俺たちをなめない方がいい」
「その言葉、そっくりお返ししてやるぜ」
フードの男の忠告にリョウは振り返り答える。
敵前にも関わらず、あまりにも無防備な姿。
構えもしないどころか、よそ見すらする始末。
喧嘩に合図はない。
すると決めた瞬間に勝負はもう始まっているのだ────
「──油断しやがって! バカは、てめぇの方だ!!」
リョウが背後に気を取られている隙にメットの男がリョウへと飛びかかる。
不意を突いた男の一撃。
両腕で振り上げた木刀をリョウの脳天に目がけ、縦一直線に振り下ろした。
本来ならば、あるまじき油断。
否、リョウに関して言えば油断という表現はいささか語弊がある。
「これはな、余裕ってんだよっ!」
それに裏打ちされた実力は男の一撃を容易く躱し、すかさず蹴りを男の顔面に向かって返す。
男は即座に腕を引き戻し、間一髪、木刀で蹴りを受け止めた。
だが衝撃までは吸収しきれず、後方へと弾き飛ばされる。
「ひゅ~、やるぅ」
黒ずくめの男が静観している中、フードの男は茶々を入れるように驚きを声に表した。
「くそガキがぁ……」
自分の不意打ちが躱されただけでなく、思いもよらぬ反撃を受けたことに男は怒りと悔しさの感情を込めてつぶやいた。
しかし、怒りに我を忘れるような真似はしない。
マグマのように沸き立つ感情を鎮め、過去の自分を戒める。
「へぇ、本当に口先だけじゃなさそうだ。こいつは、少しは楽しめるかもな」
考えを改めたのは、男だけではなかった。
それはリョウも同様。
確実に決まると思っていた蹴りを防がれた。
予想外の出来事だが、決して予想以上ではない。
自分が今まで相手にしてきた不良たちよりは、少しマシと言う程度だ。
「一発返したくらいで調子に乗りやがって……すぐにその口開けなくしてやんぜ」
男の思考は瞬時に切り替わった。
生意気なガキの目障りな薄ら笑いを消すためだけに全神経を集中させる。
握り直した木刀を正面に構えながら、男はジリジリと間合いを詰めていく。
いら立っていた男の怒気はいつのまにか消えていた。
剣の基本となる正眼の構え。
男の放つ静かな殺気と合わせると、向けられた剣先は、まるで真剣であるかのような錯覚さえ起こしかねない。
そんな男の変化を肌で感じ取ったのか、リョウも数秒のあいだ男の出方をうかがっていたが、
「ふん……」
小馬鹿にしたように鼻を鳴らすと、今度はリョウの方から大きく動く。
じれったい、とばかりにリョウが攻勢に出た。
向けられた剣先を左手で弾こうと男の制空権に足を踏み入れる。
すると男は焦りを見せることもなく、冷静に木刀を振り上げ、正面から来るリョウを迎え撃った。
斜め上から対角線を描くように振り下ろす袈裟切り。
リョウが足を一歩動かし、体を斜にすると木刀は風切り音を上げながら空を切る。
ここからリョウの反撃返し、とはいかず。
当らないことも想定の内だと、男は即座に木刀を引き戻し、突き出した。
それもリョウの前では空を突くのみ。
男は流れるような動きで、さらに突きだした木刀を横なぎにはらう。
僅か数十センチの距離しか離れていなかったにも関わらず、リョウは瞬時に上体を反らし、これをも躱した。
しかし男の攻撃の手が休まることはなかった。
目にも止まらぬ烈火のごとき連続攻撃。
それもいたずらに木刀を振り回しているだけではない。
顔、胸、腹。
その一振り一振りが人体の急所を狙う、鋭い一刀。
近寄る隙も反撃する暇も与えず、木刀のリーチを存分に生かしている。
素手のリョウでは、どう足掻いても、あと一歩半は踏み込まなければ男には攻撃が届かない。
すべての攻撃を紙一重で躱してはいるものの、もし一太刀でも受ければ骨の一本は覚悟をする必要があるだろう。
「いくらなんでも涼の奴ヤバいんじゃないか……?」
一方的に攻め込まれているリョウの戦況を見かねた恭太郎が口を開く。
「……相手も木刀をただの凶器ではなく、武器として扱っています。あれはまるで……」
「俺も加勢に行った方が……」
「おっと、お前らはおとなしくしていてもらおうか」
後ろで二人の会話を聞いていたフードの男が、声で恭太郎を静止させる。
男にはその風貌だけでも十分に強いと思わせる説得力があった。
自分の喧嘩の腕だけではこの男に勝つことはできないだろうと、恭太郎自身も強く痛感している。
「今は言うとおりにしましょう」
「……くそっ」
力になれない悔しさをグッとこらえ、恭太郎はリョウの戦いを見守った。
幾重にも襲い来る木刀の嵐を躱すことに専念していたリョウだったが、それでは埒が明かないと踏んだのか、攻めに転じようと強引に足を前へと踏み込ませた。
瞬間、メットの下で男の目が見開く。
その強引な前進を予期していたかのように、動きに合わせ、渾身の突きをリョウの右目へと穿った────




