第七話 三千円の相棒
探索者用品店の入口には、俺の家賃より高い盾が飾られていた。
傷ひとつない銀色の表面に、獅子の顔が浮き彫りになっている。
──六万八千円。
これを持って魔物に殴られるくらいなら、俺は全力で逃げる。
「いらっしゃい」
店の奥から声をかけられ、俺は盾から目を離した。
カウンターには、白髪交じりの店主が座っている。広げた布の上に指輪を並べ、小さな札をつけているところだった。
「あの。ネットに出ていた、三千円の[追従灯]を見たいんですが」
「ああ。あれを見てくれたのかい。まだあるよ」
店主は吸いかけのタバコを灰皿に押し付けると椅子から徐に立ち上がり、カウンターの脇から籠を持ち上げた。
中には片方だけの手袋や、留め具のない腕輪。それから、
「あった。これだ」
写真で見た青いランタンが入っていた。
店主が[追従灯]を取り出し、台の上へ置いた。
「明かりはつく。ただ、浮かないよ。そこは読んだ?」
あとでクレームをつけられるのが嫌なのか、店主は眉根を顰めながら俺に尋ねてきた。
「はい」
「直せる保証もないけど、大丈夫?」
「……触って見てもいいですか」
「どうぞ。落とさないでね」
台の上に置かれた[追従灯]を俺は両手で持ち上げた。
「……」
思っていたより軽い。
青い硝子には細かな傷があるが、銀色の枠はしっかりしていた。底の角に、一か所だけへこみがある。
掌を当てると、内部が淡く透けた。
明かりの下に、輪のような部品が収まっている。
赤く見えたのは、その脇だった。
曲がった小さな金具が輪を押さえ、動けなくしているようだ。
「……これ、落としたんですかね」
「持ち込んだ人は、そう言ってたね。急に魔物が出て、跳びのいた拍子にぶつかったって」
俺は首を傾けながら底のへこみを覗き込んだ。
これなら一度金具を外して形を戻せば、輪は再び動くようになるだろう。本当に浮くかは、もちろん実際に飛ばして確かめなければ分からないが。まあいいだろう。
「買います」
「三千円ね」
財布を開いた。
八十万円が振り込まれたにも関わらず、千円札を三枚抜くときには、少し指が止まった。
これで浮かなければ、ただの小さな照明だ。
いや。照明としては使えるのだから、三千円全部が無駄になるわけではない。
そう考えて、札を差し出した。
「袋、いる?」
「あ、大丈夫です。……それと」
俺は、カウンターの端にある空いた机へ目を向けた。
「少しだけ、そこで中を開けてもいいですか。外したものは、全部片づけます」
「今、ここで?」
店主が眉を吊り上げた。
やはり駄目だろうか。家まで持ち帰ればいい話なのだが、気になる場所が分かったせいで、早く確かめたくなっていたのだ。
俺はそわそわしながら口を開いた。
「修理の仕事をしてまして」
「ああ、そういうこと。じゃあ、そっち使って。細かいもの落とすと見つからないから、これ敷いてね」
店主は小さく頷くと快く俺の頼みを承諾してくれた。
彼から渡された布を広げ、俺は持ってきた工具箱を机へ置いた。
*
底の蓋を外すと、小さな金属の輪が現れた。
やはり、その脇の金具が曲がっている。
輪が回ろうとしても、これでは引っかかってしまう。
「そこが悪いの?」
「たぶん。ぶつけたときに、中まで曲がったみたいです」
店主は俺の肩越しに覗き込み、首を傾けた。
「よく分かったね。うちは明かりがつくところまで確認して、それきりだったよ」
「触ると、壊れてる場所が分かるんです。そういうスキルで」
言ってから、少しだけ手が止まった。
店主は、ふうん、と頷いた。
「便利だねえ」
「……はい」
それだけだった。
俺は工具箱へ手を伸ばした。
金具を外し、修理作業に取り掛かった。
予想していたよりも簡単だった。五分後、俺はもう一度スキルを用いて確かめてみた。
「……おっ」
赤い箇所は、消えていた。
「動かしてみます」
蓋を閉め、ねじを締める。
起動の仕方は、さっき店主に教えてもらった。持ち手を握り、その脇の小さな石を押せばいい。
青い硝子の奥に、暖かい光が灯る。
「……」
俺は机の上に置いたまま、そっと手を離した。
底から低い音がする。その時──
[追従灯]が、わずかに揺れた。
「……お」
[追従灯]の底と机の間に、隙間ができた。
指一本分。
そこからゆっくり持ち上がり、俺の肩の辺りまで浮上してきた。
「……ととっ」
思わず両手を差し出した。
落ちてきたら受け止めるつもりだったのだが、[追従灯]は空中で止まったままだった。
「浮いたね」
店主は腕組みをしながら口元の端を吊り上げた。彼も嬉しかったのだろう。
「……はい」
俺が半歩下がる。
すると[追従灯]は犬のようについてくる。
右へ動くと、少し遅れて右へ。
机の角を回ると、ぶつからないように外側を通りながら。
「おお……」
声が出た。
横から、下から、浮いている姿を確かめる。
糸もない。支えもない。
修理する前からそういう道具だとは分かっていたが、実際に自分の目で見ると妙にやはり嬉しいものだ。
俺はもう一度、机の周りを歩いた。
「気に入った?」
先ほどと同様に腕組みをしたままの店主に聞かれて、足が止まる。
全くいい年をして、店の中で何周するつもりだったんだ。まあいうてまだ二十四歳だが、
「……ちゃんと追ってくるか、確認してました」
「うん。よくついてきてるね」
店主はそう言って笑うと、俺の背後にもう一度視線を送った。
*
高さを変え、何度かホバーリングなどを試したが、[追従灯]が落ちることはなかった。
工具を片づけていると、店主が空いた籠を持ち上げた。
「ほかにも、こういうの直せる?」
蓋の閉まらない小箱を指しながら俺に訊いてきた。
「見てみないと分かりません。部品がなければ、直せないこともあるので」
「そりゃそうか。でも、頼める人がいると助かるんだよね。買い取っても、動かないとこういう値段で出すしかないから」
店主は三千円と書かれた札を摘まみ、脇へよけた。
「うちは売り買いが中心で、修理は外に頼んでるんだ。見てもらうまで待つことも多くてね」
「……そうなんですか」
「お客さんから相談されたとき、連絡してもいい?」
工具箱の留め具を閉じる手が止まった。
俺は、まだ空中に浮いている[追従灯]を見た。
三千円の買い物をしに来ただけだった。
なのに、次の仕事の話になっている。
「はい。ただ、金額と、できるかどうかは、その都度相談で」
「もちろん。名前、聞いてなかったね」
「瀬尾律です」
店主に連絡先を伝え、借りた机を拭いた。
布の上にねじや金具が残っていないことも確かめる。
帰ろうとして歩き出すと、[追従灯]が肩の横へついてきた。
「外でも、それ浮かせて帰るの?」
「……しまいます」
「そうかい。まるで犬の散歩だな」
店主は楽しそうに笑いながら俺を見送ってくれた。
*
帰りには、唐揚げ弁当を買った。
澪に言われたから、というだけではない。店の前を通ったら、ちょうど揚げたてが並んでいたのだ。
家へ戻り机に弁当を置く。
工具箱の片づけを済ませてから、[追従灯]を起動した。
六畳の部屋で浮かべると、思ったより近い。
箸を取るために立ち上がればついてきて、座ると肩の横で止まる。
「……近いな、お前」
少し押しやると、ゆっくり戻ってきた。本当に犬みたいなやつだ。そういえば昔おばあちゃんの家で飼っていたっけ。
俺は携帯を構え、写真を撮った。
それをそのまま澪へ送ろうとしたが……
「一枚だけじゃ、浮いているなんて分からないか」
今度は動画にした。
立ち上がり、二歩ほど歩く。[追従灯]がついてくるところまで撮って、送信した。
『直りました』
返事はすぐに来た。
『すごい! 本当に浮いてる!』
俺は画面を見ながら、弁当の蓋を外した。
続けて、もう一通。
『後ろの唐揚げ、冷めますよ』
……よく見ている。
携帯を伏せ、箸を割った。おっ、綺麗に真っ二つに割れた。
[追従灯]に照らされながら食う唐揚げは、普通にうまかった。
*
翌日の午前中、昨日の店主から電話がかかってきた。
『瀬尾さん。早速で悪いんだけど、剣って見られる?』
「剣、ですか」
俺は机の上の工具から顔を上げた。
「刃を研ぐとかは、専門じゃないんですが」
『いや、魔力で刃が振動するやつ。動いたり動かなかったりするらしいんだ。今、お客さんが持ってきててね』
なるほど刃を動かす仕組みがあるなら、調べられるかもしれない。
ただ、ランタンを一つ直せたからといって、何でも直せるとは限らない。
「故障箇所を調べるだけなら。直せるかは、そのあとで判断させてください」
『それでいいか、お客さんに聞いてみるよ』
受話口の向こうで、声が遠ざかった。
短いやり取りのあと、店主が戻ってくる。
『お願いしたいって。今日、来られる?』
俺は工具箱を開いた。
「これから行けます」
*
店へ着くと、カウンターの前に若い女性が立っていた。
白いジャケットに、黒っぽい細身のパンツ。長い明るい銀髪を後ろで編み留め、腰には剣を下げている。
俺が入ってくると、碧エメラルドグリーンの綺麗な目がこちらを向いた。
「あ。修理の……?」
「瀬尾です」
小さく頭を下げる。
女性は俺の工具箱を見てから、顔を上げた。
「桐谷紗月です。急に来てもらって、すみません」
「いえ。剣が、動かないんですか?」
「動くときもあるんです。昨日、戦ってる途中で一回、変になって」
紗月さんは腰から鞘ごと剣を外し、カウンターへ置いた。
柄の表面が、手の形に沿って擦れていた。
飾り物ではない。何度も握り、使ってきた剣なのだと分かる。
「そのあと試したら、普通に動いたんですけど……また同じことになったら、ちょっと怖くて」
言いながら、彼女の指が柄の上に残っていた。
店主が、俺へ場所を空けてくれる。
俺は工具箱を置き、剣の前へ立った。
「触ってもいいですか?」
「はい」
紗月さんが手を離した。
俺が柄へ掌を伸ばしたところで、彼女が口を開いた。
「あの。できれば、買い替えたくないんです」
手を止め、顔を上げる。
さっきより少しだけ、声が小さかった。
彼女の銀色の長い髪の毛が蛍光灯の光を反射した。
「やっと、使いやすくなってきたところなので」
俺は、擦れた柄へ目を戻した。
気持ちは分からなくはない。工具も、長く使っていると、握っただけで収まりのいい場所が分かるようになる。
新しければ何でもいいというわけではないのだ。
「……まず、見てみます」
掌を当てる。
柄の内側へ、淡い光が広がり始めた。




