第四話 復旧不能の診断書
約束の十五分前に着いたのに、入口にはもう人が立っていた。
灰色の作業着を着た、五十代くらいの男だ。俺が工具箱を持ち直すと、向こうも気づいて頭を下げた。
「瀬尾さんですね。管理責任者の小田です。お待ちしてました」
その言葉に、用意していた挨拶が一瞬飛んだ。
待たれている。
ただそれだけのことが、妙に落ち着かなかった。
「……瀬尾です。よろしくお願いします」
探索者証と入場許可を確認してもらい、小田さんの後ろへついて歩く。通路は舗装され、頭上には照明が等間隔に並んでいた。
迷宮というより、古い地下工場に近い。
やがて通路が開けると、写真で見た荷台が現れた。
実物は、思っていたより大きかった。軽自動車を二台並べられそうな床。その両側には、鉱石を詰めたコンテナが積み上がっている。
「以前は、これが上の集積所まで運んでくれていたんです」
小田さんが、天井に延びるレールを指した。
「今は小分けにして人が運んでます。昨日も残業で、みんな、腰が痛いって」
少し先で、作業員が二人掛かりで台車を押していた。車輪が床の継ぎ目に引っかかり、一人が肩を入れて押し直す。
俺はその様子を見てから、荷台へ向き直った。
「止まる前、変な音とかはありましたか?」
「いえ。荷物を降ろして、次を載せようとしたら、それきりです」
「何かにぶつかったりは?」
「それも、聞いてませんね」
返事をメモし、制御盤の前へしゃがんだ。
蓋には赤い札が下がっている。
【復旧不能】
その四文字を脇へよけて、手袋を外した。
掌を当てると、金属の内側が淡く透け始める。幾重にも重なった回路の奥で、一本の線だけが赤く光っていた。
スキル、【故障診断】。
壊れた箇所は見える。だがどう手を入れるかは、俺が考えなければならない。
光をたどると、配線が窮屈に折れ曲がっている場所へ行き着いた。
「何か分かりましたか?」
背後から聞かれ、俺は顔を上げた。
「荷台の位置を知らせる線が切れてるみたいです」
「位置?」
「装置からすると、荷台がどこにいるか分からないんです。それで、危なくないように止まってる」
小田さんは目の前の荷台を見て、それから俺へ視線を戻した。
「では、本体が駄目になったわけでは……」
「まだ確認が要ります。少し待ってください」
電源を切ってもらい、蓋を開ける。工具箱から取り出したのは、昨日買ったばかりのテスターだ。
スキルで見つけた箇所を調べると、表示は、線が正常につながっているときの範囲から外れていた。
俺にしか見えない赤い光とは違う。こちらは、小田さんにも確かめてもらえる。
「ここです。この値なら、やっぱり途中で切れています」
表示と配線を順に示すと、小田さんが身をかがめた。
「交換すれば直るんですか?」
「動く見込みはあります。交換後にもう一度測って、それから実際に荷台を動かして確かめます」
小田さんが、ゆっくり息を吐いた。
胸ポケットからハンカチを取り出し、口元へ当てる。
「……全部、交換しなくてもいいんですか」
「今調べた限りでは、その必要はなさそうです」
俺が答えると、小田さんは持っていたファイルを開いた。
差し出された紙には、太い文字で金額が書かれていた。
───二千四百万円。
俺は思わず桁を数え直した。
「前の業者さんの見積もりです。交換工事に三か月かかると。修理の募集は、それが決まる前の最後のつもりでした」
八十万円は、俺にとって途方もない金額だ。
だが、小田さんにとっては、二千四百万円と三か月の休止を避けるための金だった。
通路では、さっきの作業員が空の台車を押して戻ってきていた。もう一人は腰に手を当て、コンテナの前で待っている。
俺は工具箱からペンを取り出した。
「見積もりを作ります。必要な部品と、作業内容も書いて」
「お願いします。事務所、使ってください」
*
地上の事務所で机を借り、俺は澪へ電話をかけた。
『どうでした?』
「原因は分かりました。線の交換で済みそうです」
『よかった。声、朝より元気ですね』
そんなことまで分かるのか。
俺は少し声を落とし、見積もりの内容を伝えた。
「部品代は二千円くらいです。でもそれで、八十万円って……」
ぼったくり商売でもやっているようで、気が引けた。尻すぼみしながら今回の報酬金額を改めて呟くと、
『昨日、確認した報酬ですよ』
澪の平坦な返答が電話口から返ってきた。
「いや、でも。そんなに大変な交換じゃないんで」
電話の向こうで、澪が少し間を置いた。
『原因を見つけるまでが、誰にでもできる仕事じゃないんでしょう?』
俺は、手元に置いたテスターを見た。
普通なら、大きな装置のどこを調べるか、そこから考えなければならない。
『向こうは、その条件で直してほしくて募集したんです。安くしなきゃって、律さんだけが思わなくてもいいと思います』
書きかけの見積書へ視線を戻す。
───成功報酬、八十万円。
消しかけていた数字を、そのまま残した。
「……分かりました」
『できたら送ってください。一緒に確認します』
通話を終える頃、小田さんがお茶を持って戻ってきた。
「前の調査報告書も置いておきます。参考になるか分かりませんが」
小さくお礼を言うと俺はお茶が入った紙コップに口をつけながら差し出されたファイルを開いた。
【駆動部の劣化が著しく、部分修理による復旧は困難】
俺の診断とは違っていた。
何を調べたのか、次のページをめくる。写真はあったが、肝心の故障箇所を示すものは見当たらない。
そして、最後の署名欄で指が止まった。
【北辰設備株式会社】
【担当責任者 黒崎】
急に手の感覚がなくなったように錯覚した。紙コップから伝わるお茶の温もりが急に遠のいて行った。
――お前のスキルの説明はいらない。
「瀬尾さん?」
呼ばれて、顔を上げる。
「その担当者が、明日、貸していた機材を引き取りに来るそうです。確認したいことがあれば、時間を合わせられますが」
俺は署名をもう一度見た。
会社を辞めた日、二度と聞かずに済むと思った名前だった。
その隣には、俺が作った見積書がある。
故障箇所も、確認した数値も、今回は書いてある。説明を途中で終わらせる理由はなかった。
「……明日、何時ですか」
紙を押さえた指先に、少しだけ力が入った。




