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第一話 その修理、三十万円

 棚を持ち上げ、女性の足を引き抜くまでに五分もかからなかった。


 工具箱に入れていた小型ジャッキが役に立った。


 女性は解放された脚を抱え、何度も息を吐いた。


「ありがとうございます……私、一ノ瀬(いちのせ)いちのせ澪(みお)です」


「瀬尾(せお)律(りつ)です」



 女性は碧眼を輝かせながら笑顔を浮かべて俺に礼を述べたが、俺は口元を最小限にしか動かさなかった。自己紹介が苦手だからというのもあるが、



「足、動かさないで。協会に迎えを頼みましょう」



 今はその女性──「一ノ瀬澪」の手当が先決だ。やはり脚のどこかを怪我しているらしい。彼女は体を横たえて首だけを持ち上げたまま俺の顔を見ている。



「はい……ありがとうございます」



 澪は小さくうなずき、体を捩りながら胸元から探索者証を取り出した。通信端末も兼ねたカードの表面に、青い文字が浮かぶ。


【一ノ瀬 澪/探索者ランクC】

【保有スキル:障壁展開】


 Cランクなら、浅層を一人で歩ける一人前だ。最下級のEに留まっている俺とは違う。



「落ちてきた石は防げたんですけど、棚までは……」



 困ったような笑顔を浮かべながら澪が、足元へ目を落とした。


 彼女はそのまま救助窓口につなぎ、今の状況と、俺が来た道を説明する。迎えの手配がついたところで、こちらへ端末を向けた。


「律さんの登録番号も教えてほしいそうです」


 俺は作業着の胸ポケットから、自分のカードを抜き澪に手渡した。



【瀬尾 律/探索者ランクE】

【保有スキル:故障診断】


 俺のスキルは見ての通り──機械に触れれば壊れた箇所が見えるというものだ。


 澪は番号を伝えたあと、カードと俺の顔を見比べた。



「Eランク……。じゃあ、あの扉はスキルで?」


「故障してる場所を調べただけです。線は自分で交換しました」



 もっとも、これは攻撃にも防御にも使えないハズレスキル。直すには工具も部品も要る。魔物相手の試験では何の役にも立たず、登録以来、ランクは一度も上がっていない。

 


「調べられたんですか? あれの中を」



 澪は長い睫毛に縁取られた瞼を大きく持ち上げながら俺に尋ねてきた。


 妙な聞き方だった。


 俺は開いた鉄扉を振り返る。制御盤の蓋を閉め忘れていたので、ドライバーを持って立ち上がった。


 すると今度は澪が背後で、端末を忙しく操作し始めた。そして、



「待って。扉の上、番号がありません?」



 そんなことを聞いてきた。


 俺はお喋りが好きじゃない。今は自分の脚の心配をしてくれ。



「七〇四って書いてあります」



 だが、流石に無視するわけにもいかないので早口で呟いた。



「やっぱり……!」



 彼女の声が跳ねた。「やっぱり」って、一体何がやっぱりなんだ?



「律さん。それ、三十万円です」



 ねじを落とした。


 床を転がる音を聞きながら、俺はゆっくり振り返った。初対面にも関わらずさっきから、ファーストネームで呼んでくることを咎めるためではなく、



「……壊した場合の弁償代ですか?」



 聞き間違えかどうかを確かめるためだ。


 三十万円という金額が本当だったとしたら──財布の中に入っている百円では、とても払えない。工具を売ったとしても焼け石に水だろうと考え始めた俺に、澪は首を横に振った。



「逆です。直した人が、もらえるんです」



 差し出された画面には、協会の依頼票が表示されていた。


【七〇四号隔壁・機能復旧】

【対象:異界設備/解析等級A】

【成功報酬:三〇〇、〇〇〇円】

【状態:未達成】



 数字を指で追い、もう一度、最初から数えた。



「これ、扉一枚で?」


 

 依頼票を指差す俺の人差し指は微かに震えていた。



「去年から出てる依頼です。私、この迷宮の取材をする前に調べたので」



 澪は興奮したように説明しかけ、俺の顔を見ると、少し声を落とした。



「ここが使えないから、奥へ行く人はみんな遠回りしてたんです。今日、その迂回路が崩れて……」



 なるほど。それで彼女は閉じ込められたのか。だが──



「切れてたのは線が二本ですよ」


「その二本が、ほかの人には分からなかったんじゃないですか?」



 俺は制御盤の中を見た。掌を当てれば、金属の奥に隠れた回路が透けて見える。故障箇所だけが赤く光るので、調べるのに困ったことはなかった。


 ただ、今まで持ち込まれたのは、誰でも分解できる古い機械ばかりだった。


 澪が依頼票の末尾を開く。



「管理会社の連絡先、ここです。確認してみましょう」


「いや、でも……」


「そんなに疑うんだったら実際に聞いて確かめてみたらいいじゃないですか!? 聞くだけなら、お金はかからないですよ」



 それは、確かにそうだった。


 俺がうなずくと、彼女はすぐに通話を始めた。


     *


 救護班と一緒に来た管理人は、扉の前で立ち止まった。



「本当に動いてる……」



 俺はその横で、三度目の開閉試験をしていた。澪は担架の上から首を捻ってこちらを見ている。立ち会いの映像を管理会社へ送り、故障箇所と交換した線を説明すると、ようやく先方の担当者も納得したようだった。



「後日、安全点検をしてから一般開放します。復旧の達成は確認できましたので、報酬は登録口座へお支払いします」


「……ありがとうございます」



 頭を下げたところで、澪が小さく手を振った。自分の口元を指し、何かを伝えようとしている。


 ああ。俺の声が小さすぎたのか。



「ありがとうございます!」



 言い直すと、彼女は笑って親指を立てた。


 地上へ出る頃には、雨が上がっていた。入口の屋根から落ちる雫を避け、携帯を確かめる。



【入金 三〇〇、〇〇〇円】



 画面を閉じる。もう一度開く。


 消えていない。


 滞納しかけた家賃を払える……!! 工具の部品も買える……!! 今夜は、食パンを残り枚数で分けなくていい……!! 大(・)をしても小(・)で流さずに済む……!!


 何から考えればいいのか分からずにいると、担架から車椅子へ移った澪が、俺の袖を軽く引いた。



「律さん。お仕事の依頼って、普段どこで探してます?」



 とっくに病院へ搬送されたもんだと思っていたが、どうやらまだ何か話があるようだ。向こうでは救護班の隊員が苦虫を噛み潰したような顔でこちらを睨めつけるように見ている。



「……知り合いから電話が来たら」


 

 おしゃべりはいいから、さっさと行ってくれ。「早くしなさい!」と怒られる前に話を切り上げたい。だが、彼女は話を切り上げようとしない。



「自分では探さないんですか?」


「説明とか、交渉とか。苦手なんで」



 セミロングの明るい茶髪を揺らしながら澪はうなずき、膝の上の端末をこちらへ向けた。さっきとは別の依頼票が並んでいる。



「じゃあ、私が探します。直せるかどうかは、律さんが判断してください」



 指先が、一件の写真で止まった。


【旧採掘区・搬送装置復旧/成功報酬:八十万円】



「まず、これ。一緒に下見へ行きませんか?」

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