第十一話 俺の知らない、第八層
迷宮の入口で、紗月さんが手を振っていた。
朝日を受けた銀色の髪が、白いジャケットの肩で揺れる。腰には、俺が修理した[新振動剣≪ネオ・ヴァイブロブレード≫]が下がっていた。
「おはようございます。荷物、それだけですか?」
彼女は髪の毛と同じ銀色の眉毛を吊り上げながら俺に尋ねた。驚くのも無理はない。
「中に全部入ってます」
肩の[収納鞄]を示すと、彼女は目を丸くした。
そんなこんなで、管理事務所を訪れた俺たちは入場の手続きを済ませた。
澪が事前に話をまとめてくれていたおかげで、受付では名前を確認するだけで済んだ。
「第八層の休憩所ですね。昨日も、水は止まったままだと報告が来ています」
担当者から資料を受け取る。
最初は出る量が減ったという報告が何件か入り、その後しばらくして、今度は完全に止まったという報告が入ってきたんだとか。
写真では分からなかった[湧水盤]の大きさなどもそこには書かれていた。両手で抱えられる程度の、青い皿のような装置だ。お正月に親戚が集まった時に刺身などを盛り付けるくらいしか使い道はなさそう。
「原因を調べたら、こちらへ連絡します」
「お願いします。利用者からも、何とかならないかと相談されてまして」
書類を鞄へしまい、俺と紗月さんは入口へ向かった。
「「……」」
壁には、迷宮の断面図が掲げられている。
第一層から第十層までが、薄い緑色。
その下からは、色が変わっていた。
【第十一層以降の単独探索は、Aランク以上に限る】
その一文で、俺の視線が止まった。
「今日は、ここです」
隣へ来た紗月さんが、第八層を指した。
図の中では、入口からかなり下った場所に存在しているように感じられた。
「……俺、こんなに下まで行くのは初めてです」
「普段は、何層くらいまで?」
「魔物がほとんど出ない第二層くらいまでですね」
ちなみに第十層までは、ランクに関係なく入ることができる。
「じゃあ、今日は私の後ろを歩いてください。止まってって言ったら、止まってもらえれば」
彼女は口角を吊り上げて俺に微笑んだ。とても頼りになりそうだ。
「分かりました」
「気になる機械があっても、勝手に脇道へ行っちゃ駄目ですよ」
俺は返事をしかけ、少し考えた。
「……先に言います」
「そこは、行きませんって言ってほしかったです」
今度は困ったような笑顔を浮かべた紗月さんが、まず先に階段を下り始めた。
*
第一層には、まだ人の声があった。
入口近くで装備を確かめる探索者。荷物を載せた台車を押す作業員。
壁には案内板があり、頭上の照明も明るい。
だが、やはり下へ進むにつれて、少しずつ景色が変わっていった。
まず舗装された床が途切れ、石の継ぎ目が増えた。
照明の間隔が広くなり、崩れた柱が通路の脇に転がっている。
「「……!」」
どこかで、水滴の落ちる音がした。
それが妙に遠くまで響いた。
「明かり、出してもいいですか?」
声が震えそうになるのを堪えて俺は紗月さんに訊いた。
「お願いします。足元、段差が多いので」
俺は[収納鞄]から[追従灯]を取り出した。
起動すると、暖かい紫色の光が浮かび上がる。
[追従灯]はすぐさま肩の高さまで上がってきた。ただこれでは少し高すぎる。店で教わったとおりに調整すると、今度は膝の高さで止まった。
「便利ですね、それ」
「はい。置く場所を探さなくて済むので」
両手を空けたまま、段差を下りる。
以前なら片手に工具箱、もう片方に作業灯を持っていたはずだ。
今日は、壁へ手をつく余裕がある。
本当にいい買い物だった。
そんなことを考えていると、前を歩く紗月さんの手が上がった。
「止まってください」
俺は足を止めた。
紗月さんは、通路の曲がり角を見ていた。
さっきまでと、目つきが違う。
「そこにいてくださいね」
俺がうなずくと、彼女は[新振動剣]を抜いた。
石を擦るような音が聞こえた。
次いで、角の向こうから現れたのは──
「……グルルッ」
黒っぽい獣だった。狼に似ている。
ただし、肩から背中にかけて、石のような突起が並んでいる。もっと厄介なやつなのは子供だって分かるだろう。
そいつが口を開くと、唾液の糸が牙の間に光った。
さらにその後ろに、
「……もう一匹」
仲間まで連れていた。
俺の手が、無意識に鞄の持ち手を握った。
工具なら、いくらでもある。
だが、ここで役に立ちそうなものは、一つもなさそうだ。
「……ッ!!」
まず一匹目が床を蹴る。
だが紗月さんは下がらなかった。
半歩だけ横へ動き、飛びかかってきた獣の首元へ剣を振る。
「せいっ……!」
青い光が走った。
そして獣が床へ落ちるより早く、彼女は剣を引き戻していた。
「……!?」
その様子を目の当たりにした二匹目は一瞬狼狽えたように見えたが、少し遅れて、その脇を抜けようとこちらへ駆け出してきた。
だがその瞬間、紗月さんが進路へ踏み込んだ。
低い唸り声と、短い刃の音。
「……!」
獣は俺の数歩手前で倒れ、そのまま動かなくなった。
「……もう大丈夫です」
剣先を下げた紗月さんが、周囲を確かめてから振り向く。
俺は、ようやく息を吐いた。
「速いですね」
「ここの魔物は、動きに慣れてるので」
そう言って、彼女は愛剣へ目を落とした。
「ちゃんと動いてます。すごく使いやすいです」
俺はうなずいた。
さっきまで、怖くて仕方がなかった。
あの狼のような獣に視線を移す。完全に息の根は止まっている。でも倒れた魔物へ近づきたいとは思わない。
「……」
彼女が握っている剣を見ると、少しだけ胸が熱くなった。
この中に俺が直した小さな部品も入っている。
やがて魔物の体が光になって崩れ、床に[魔石]が残った。
紗月さんはそれを拾うと腰の袋へ入れた。
道中の討伐で得たものは、彼女が受け取る取り決めなのだ。
「行けますか?」
「はい。……脚が動けば」
「ゆっくりで大丈夫ですよ」
紗月さんは笑わず、俺が歩き出すのを待ってくれた。
*
第七層へ下りたところで、通路が大きく開けた。
向こう側の壁が、明かりの届かない場所まで続いている。
天井から垂れた太い根が、崩れた建物の上へ伸びていた。
地下だというのに、これは街の残骸?
俺は足を止め、紗月さんの背中に話しかけた。
「……こんな場所があるんですね」
自分から他人に話しかけるなんて我ながら珍しいと思った。それくらい驚いていたのだ。
「そうですよね……初めて来たとき、私も驚きましたよ。でももっと下には、また違う景色があるそうですよ」
紗月さんは、広場の先へ目を向けた。
「十一層には、行ったことが?」
俺はまた紗月さんに質問を投げた。今日の俺はおしゃべりだ。
「一度だけ。パーティーに入れてもらって」
「どうでした?」
「同じ感覚で剣を振ったら、避けられました」
彼女は、少し苦い顔で笑った。
「上の階なら届いてたのに。ああ、ここから違うんだなって」
「それでも、一人で行きたいんですか?」
「行けるようにはなりたいです」
返事は、すぐに返ってきた。
「誰かに連れていってもらわなくても、自分で行き先を選べるくらいには。だから、Aランクが欲しいんです」
俺は入口で見た案内図を思い出した。
第十一層から、変わっていた色。
彼女にとっては、そこが目の前の目標なのだ。
「……俺は、今日の二匹でも十分です」
「瀬尾さんは、後ろにいてください。その代わり、装備が壊れたらお願いします」
それなら、任せてほしい。
「見ます。道具も持ってきてるので」
肩の鞄を軽く持ち上げると、紗月さんがうなずいた。
*
第八層の休憩所には、三人の探索者がいた。
二人はベンチに座り、一人が荷物をまとめている。
中央にある水鉢は、写真のとおり乾いていた。
その上に載った青い皿。
[湧水盤]だ。
「水、出ないよ」
近づこうとすると、荷物をまとめていた男が声をかけてきた。かなり強面だが、根は親切なのだろうか。
「入口にも書いてあっただろ。ここで補給するつもりだった?」
「いえ。修理の依頼で来ました」
俺がそう答えると、男の手が止まった。
ベンチの二人も、こちらを見る。
「これ、直しに来たの?」
「まず、調べます」
そう答えながら俺は鞄を下ろした。
紗月さんは周囲を見回し、入口の見える場所へ立つ。
「私、こっちを見てますね」
「お願いします」
工具箱を取り出すと、さっき荷物を整理していた男が水鉢の脇から荷物をどかしてくれた。
「助かるよ。ここで水を補給できないと、十層まで行って戻るのがきつくてな」
「今日は、引き返すんですか?」
「そのつもり。持ってきた分を、帰りまで残さないと」
男は困ったように笑いながら腰の水筒を持ち上げた。
ここの水が出ないせいで、この人たちは先へ進めない。
俺は[追従灯]を呼び寄せ、[湧水盤]の脇へしゃがんだ。
下側にある蓋へ掌を当てる。
内部に光が広がった。
幾つかの部品が重なった奥で、一か所だけが赤く浮かぶ。
俺は、その位置を確かめてから手を離した。
「何か、分かりました?」
入口を見ていた紗月さんが、顔だけをこちらへ向けた。
俺は工具箱の留め具を外した。
「はい。調べる場所は、分かりました」
さっきまでは、剣を振るう彼女の後ろ姿を見守ることしかできなかった。
「ここからは俺に任せてください」
俺は、紗月さんと荷物を整理していた男の前へ道具を並べた。




