第十二話 これで、先へ行ける
[湧水盤]の蓋を開けると、
「……これが原因だったのか」
内側には白いものがこびりついていた。
水を送り出す小さな弁が、その固まりに挟まれて動かなくなっている。
俺は顔を近づけ、[追従灯]の位置を少し下げた。
「何か、詰まってるのか?」
荷物をまとめていた男が、横から覗き込んだ。
「はい。ここの部品が動けなくなってます」
「壊れてるんじゃなくて?」
「今見えているのは、ここです。まず取り除いて、確かめます」
少しずつ水が減り、最後には止まった。
事務所で聞いた経過とも合う。
俺は状態を撮影し、管理事務所へ連絡した。作業内容を伝えて了承をもらうと、装置を止め、弁を取り外す。
白い固まりが、縁を厚く覆っていた。
なるほど。これでは外側から水鉢を洗っただけでは直らない訳だ。
「交換する部品、あるんですか?」
入口を見張っていた紗月さんが尋ねた。
「欠けたりしてなければ、このまま使えそうです」
俺は[収納鞄]から小さな容器とブラシを取り出した。
固まりを少しずつ落としていくと、その下から滑らかな金属の表面が現れる。
傷みは見当たらなかった。
汚れを拭き取り、元の位置へ戻す。
今度は、弁が引っかからずに動いた。
「……よし」
スキルでも異常が消えていることを確かめ、蓋を閉めた。
紗月さんが、入口からこちらへ視線を向ける。
「もう、終わりですか?」
「これから、動かしてみます」
俺が立ち上がると、ベンチに座っていた二人も腰を上げた。
五人分の視線が集まる。
いや、俺は装置を見ているので、四人分か。
余計なことを考えている間に、少し緊張してきた。
俺は[湧水盤]の縁にある起動部へ手を伸ばした。
*
青い皿の模様に、淡い光が灯った。
内側から、小さな音がする。
こぽ、と。
皿の中央に、水が盛り上がった。
「……出た」
誰かがつぶやいた。
透き通った水が、皿の縁を越える。
細い流れが下の水鉢へ落ち、乾いていた底を濡らした。
ちょろちょろと流れ出していた水が、やがて途切れない太さになる。
石造りの休憩所に、水音が広がった。
「おお……本当に出たぞ」
さっきの男が、一歩近づいた。
俺は水の出方を確かめる。うん。問題なさそうだ。資料にあった量まで、ちゃんとたまった。
一度止め、念のためもう一度動かす。
今度も、すぐに水が出た。
最初の水を流し終え、管理側から指定された確認も済ませる。
記録を送ると、ほどなく使用再開の許可が返ってきた。
「使って大丈夫です」
言った途端、男が水筒を取り出した。
「助かった。いや、本当に」
流れへ差し入れた水筒から、軽い音がする。
だんだんと音が低くなり、男は口元までたまったところで引き上げた。
隣の女性も水筒を差し出し、もう一人が空の容器を鞄から取り出す。
三人が順番に水をくんでいた。
さっきまで帰り支度をしていた場所で、今度は先へ進む準備が始まっている。
「どうする。予定どおり、九層まで行くか」
「行こう。時間もまだあるし」
「十層は様子を見てからな」
他のパーティメンバーと攻略計画の相談をしていた男が、俺へ向き直った。
「あんた、名前は?」
「瀬尾です」
「瀬尾さんか。ありがとう。これで、先へ行けるよ」
俺は小さく頭を下げた。
顔を上げると、男はもう仲間のほうを向き、鞄の口を締めていた。
水筒を腰へ戻す音。
肩紐を締め直す音。
それを聞きながら、俺は工具を布で拭いた。
さっきまで俺を守ってくれたのは、紗月さんの剣だった。
この三人を先へ進ませたのは、今、目の前で流れている水だ。
*
三人が出発したあと、紗月さんが水鉢の前へ来た。
入口へ目を配りながら、自分の水筒にも水を足す。
「私も、ここが止まってから困ってたんです」
「そうだったんですか?」
「いつもより水を持つと、その分荷物が増えるので。帰りに魔物が落としたドロップ品をしまう分まで考えると、結構悩むんですよ」
紗月さんは蓋を閉め終えると、俺の[収納鞄]へ目を向けた。
「それがあれば、少しは楽そうですけど」
「あのお店の木箱に、もう一つありましたっけ」
「なかったです。見てたので」
「……見てたんですね」
「便利そうなものは、見ますよ」
彼女はそう答え、軽く笑った。
俺は鞄の中へ、拭き終えた道具を戻した。
今回使った容器も、ブラシも、以前なら部屋に置いてきたかもしれない。
どうしても必要なものから工具箱へ詰めて、入りきらなかったものは諦める。
でも今日は違った。
「持ってきてよかったです。これ」
「はい。さっき、どんどん道具が出てきたので、ちょっと面白かったです」
紗月さんが俺の手元を見た。
「次は何が出るんだろうって」
「昼飯なら出ます」
俺は鞄から、出発前に買っておいたパンの袋を取り出した。
一瞬目を丸くした紗月さんだったが、
「ぷっ! うふふ……」
少し経つと可笑しそうに吹き出した。
そのまま二人で入口の見えるベンチへ座り昼飯を食べた。
食べている間にも、別の探索者が休憩所へ出入りする。
彼ら彼女らは水音を聞いては立ち止まり、[湧水盤]の前へ歩み寄っていく。
「直ってる……」
その度に、そんな小さなつぶやきが聞こえてきた。
紗月さんは何も言わず、パンを持ったまま俺を見た。
「……」
その顔は少し笑っていたが、何と無く照れくさかった俺は水筒へ手を伸ばしてごまかした。
*
帰り道も、紗月さんが俺を先導してくれた。
俺が直した剣が、腰で揺れている。
[追従灯]が足元を照らし、肩には道具を詰めた[収納鞄]。
行きより荷物が減ったわけではない。
けれど、不思議なことに戻る足取りは少し軽かった。
「瀬尾さん、今日の記録って残してます?」
紗月さんが振り返りながら、俺に尋ねてきた。暗がりの中でも彼女の銀色の髪の毛とエメラルドグリーンの瞳は綺麗な輝きを放っている。
「はい。直す前と、直した後──ちゃんと両方撮ってあります」
「私が一緒にいたことも、書いて大丈夫です。確認が必要なら答えるので」
俺は顔を上げた。
「ありがとうございます。実は、昇格の審査にも出せるかもしれなくて」
「支援の実績で、ですか?」
彼女の口をついて出てきた言葉に俺は目を丸くした。
「知ってたんですか?」
いつもより少し大きくなってしまった俺の声が岩肌に反響した。
「そういう方法がある、くらいです。使った人は、会ったことないですけど」
紗月さんはそう答えながら段差を上がり、俺が続くのを待った。
「でも、今日のは分かりやすいですよね。水が出なくて帰ろうとしてた人たちが、先へ行けたんですから」
俺は、あの三人を思い出した。
何を倒したわけでもない。
それでも、あの場所へ足を運んで、あの装置を修理して……
たくさんの人の役に立つことができた。
「……そう書いてみます」
「はい。私も、そのまま答えます」
紗月さんが前へ向き直る。
俺は背中を追いながら、胸ポケットの探索者証へ軽く触れた。
*




