第2話-1 殺人犯は殺人現場の夢を見る
あれから数日。僕、逆凪楓はいつも通りの日常を過ごしていた。変わったことといえば、恋人と呼べる相手がいなくなったことくらいだろうか。
ただ、付き合う前よりも少し息がしやすくなっていることに、僕はまだ気づいていなかった。
そして今日、あの日貸した電車代を回収しに僕はとある場所へ向かっていた。
そう、月隠探偵事務所である。別れる際に一応地図をもらったが役に立たず、名刺の住所を見て向かっていた。
そのさらっと書いた手書きの地図には、道案内よりも目立って謎の落書きもあった。おそらく、顔なのだろうが…お世辞にも上手とは言えなかった。
ビル街の一角のようだが、このビルだろうか。テナント募集中だらけの看板の一つに月隠探偵事務所とあった。
入るには少し度胸がいる外観だが、看板を信じ足を進める。階段を上り、二階にある扉には月隠探偵事務所と書かれていた。
特に何の変哲もない扉で、中からガラス越しに光が見える。透子さんはいるのだろう。そう思い、「失礼します」と言いながら扉をノックし、すっと開ける。
外見に反して中は綺麗だった。改築工事をしたのだろうかと一目で分かる。
そんな小綺麗な事務所に一つ異質なものがあった。入って正面、ソファに挟まれ机がある場所。向かいのソファにタバコの煙に包まれた男がいた。
僕の人生経験では、それをヤクザ以外の言葉で説明できない程の風貌をしている。
「あぁ?何だ、てめぇ」
まさに見た目通りのセリフが飛んできた。焦って無言で開いた扉を閉め階段を駆け下りる。
間違えた⁉間違えたか⁉しかし、確認は何度もした。そこにはしっかりと月隠探偵事務所という名前が書いてあった。透子の姿が見えると思ったが、中を開けてみるといたのは強面の男一人。
あまりにも真逆の存在で完全にビビってしまい何も言わずに出て行ってしまった。
「だっ誰だあれ…」
思わず声が漏れる。膝に手をつき息を整えつつもう一度看板を見直す。どう見ても《《月隠探偵事務所》》である。様々な考えが頭をよぎるが、一番に思ったのは、
「借金取り…?」
風貌からして、その手の関係者に違いない。透子さんなら借金ぐらい…してそうだ。彼女の言動を思い出すと否定しきれない。むしろ無い方が不自然なくらいに。
どうしようかと考えていると、ついに奴が現れた。
「あっ楓さん。来てらしたんですね」
ニコニコしながら債務者(疑惑)は近づいてくる。彼女の名を月隠透子と言う。彼女は何やら重そうな袋を持っていた。
まさか…札束でも出てくるのか?
ここは持ちましょうか?とでも言うべきなのだろうが、中身が分からない以上、そんなことを言う勇気は出なかった。
「とっ透子さん…」
何を告げればいいのかわからない。ただ中に入っては危険だと言うべきだろうか。
しかし、透子は「是非上がってゆっくりしていってください」と、階段を上がりこちらを手招きしている。そのまま行けば必ずあの男と鉢合わせるだろう。
「なっ中に怖い人が…!!」
楓は透子に危険を伝える。階段を駆け上がり、透子の後を追おうとするが、もう手遅れだった。透子が「怖い人?」と振り向きながら扉を開く。
楓は諦めるしかないのか、まだ間に合うのかと中に入る透子に続き、透子の前に立つ。先ほど見た男はまだ同じところにいた。
「あぁ?何だお前。さっきから出たり入ったり」
怖い怖すぎる。見た目といい口調といい明らかに圧を感じる。このままいけば殺される、そう思ってしまう。何を喋れば助かるのか分からず、その場で震える。場に緊張感が走っていたが、楓の後ろにいた透子がひょっこり顔を出し、「あっ」と声に出し続けて、
「龍巳さん。またお客さんをびびらしたんですか?」
とまさかの知り合いのような口調で話しかける。
「しっ知り合いなんですか?」
「知り合いも何も私の下っ端です。」
「しっ下っ…端?」
思わず声が漏れ出てしまうが、龍巳はすぐにそれを否定した。
「透子よぉ。お前帰ってきて早々嘘つくのやめろ」
「えぇ⁉違うんですか⁉」
何が何だかわからない。二人はコントのような会話を繰り広げている。
男の名を龍巳ということだけわかった。ただ、二人がどういう関係性なのか全くわからない。
僕の後ろから出てきた透子は龍巳の方に向かうが、ただそれを眺めていることしかできなかった。というより、動きの許可を欲しいくらいだ。
しどろもどろしていると気を利かして透子が「こっち来て、ソファにでも座っててください」と言ってくれたので、とりあえず従いソファ、つまり龍巳という男の向かいに恐る恐る腰掛ける。
僕がソファに座ると同時に、透子は奥の方に消えていった。
何故二人にするのかと、透子を恨む。今なら誰でも呪い殺せそうに感じる。
近くで見るとより圧を感じる。殺気でも常に放っているかとでも思ってしまう。笑顔とか無いのだろうか。
「お前、何しに来た?」
低い声、サングラス越しの上目遣いで龍巳がこちらに問いかけてくる。あまりの気迫にしてもいないことも吐きそうになる。
いや、ここで押されてはならない。こちらも正直に真っすぐ答えていれば、何も起きないはず。意外とこういう人は優しい人が多い…はず。
「電車代を……返してもらいに来ました」
こちらも上目遣いで返し、真っ直ぐな目をぶつける。
すると龍巳は突然立ち上がり、思わずビクッとしてしまった。何か気に障ることでも言ってしまっただろうか。下を向いて龍巳の動向を待つ。
龍巳は振り返り、透子がいる方を向いて、
「お前さ!!そろそろ財布の中身計算して持っていってくれない⁉」
と叫んだ。このビル中に響いただろう。そのあまりの大声に、逆に少し落ち着いた。
そして、その声に応じて透子が出てきた。
「そう言わないでくださいよー。これ、どうぞ」
龍巳の叱責を軽く受け流した透子は、そのままこちらに近づいてきて、コーヒーを出してきた。
「買いたて挽きたてほやほやのコーヒーです。どうぞ召し上がってください」
さっきの紙袋の中身はこれだったのか。コーヒーのいい香りが部屋中を包む。甘いクッキーでも欲しくなる。
「透子さんコーヒー作れるんですね。いただきます…―――っ!!」
せっかく出してくれたものなので口にすると―――まずい。それだけが脳裏をよぎる。これまでに飲んだことないような液体。苦くも甘くもない。ただ、まずい。
透子はニコニコしながらこちらを見てくる。何と答えればいい。吐きそうとまでは言わないが、これ以上飲みたくはない。
龍巳は気づけば窓へ近づき、タバコを吸いながら窓を開け、外に煙を逃がしている。
「どうぞ、これも先ほど買ったクッキーです」
透子はさっきまで欲しかったクッキーを差し出してくれた。しかし、クッキーとは合うはずもないコーヒー。何とか飲み干すための逃げ道を用意してくれたのはありがたいが…。
「どうでしょうか。いつも龍巳さんはマズイと言うのですけど、お客さんは皆おいしいと言ってくれるんですよね。自信はあります」
自信満々でそう言われても、お客さんたちは気を使ってくれているのだろうとしか言いようがない味であった。
僕もその数多のお客さんの一人になるべきなのか。いや、ここは
「こう…独特でいいと思います…」
逃げるような発言で非常に申し訳なくなる。
誰に謝っているって?今後のお客たちである。
「独特な味ですか…?」
透子は頭の上に疑問符でも浮かべていそうな顔をしていた。素直にまずいと言えば良かったのだろうか。こちらの苦悩など知る由もなく「まだ欲しかったら言ってくださいね」と透子は泥水を作る準備はできているようだ。
早く飲み干して逃げなければ。
勇気を振り絞って一気に飲み干そうとすると、突然部屋にノックの音が鳴り響く。
それはもちろん僕と透子が入ってきた扉からの音であった。
ガチャリと開いた扉からは若い女性が入ってきた。
「こちらが……月隠探偵事務所で合っていますか」
そう言ってから、女性は崩れるように頭を下げた。
「お願いします。息子を……息子を助けてください」
部屋の三人は一斉にそちらを向き、場に沈黙が落ちた。すると、女性は僕と同じように来る場所を間違えてしまったのか?と言いたげに動揺している。明らかに不安そうに、三人を順番に見ていく。
透子は女性に近づき、「どうぞ、依頼者ですね」と僕が座っているソファに誘導する。
女性は少しだけ表情を緩め、透子に促されるままソファへ向かった。
「楓さん。コーヒーもまだ残っていますし、あっちでゆっくり飲んでいてください。入れ直しましょうか?」
透子は物置のような部屋を指差し、移動を促す。
しまった。まだ電車代を受け取っていない。貰ってさえいれば、このままお暇させて頂くだけだったのだが。早く電車代をくださいなんて、僕に言うことはできない。それに透子はコーヒーは飲みきってね、という顔でこちらを見つめてくる。やめてほしい。その表情でこれまで何人の舌を破壊してきたんだ。
仕方なく、「コーヒーはこのままで大丈夫です」とだけ苦笑いしながら言い残し、小分けのクッキーを鷲掴みし、コーヒーカップをゆっくり持ち上げ部屋に移動する。
その部屋は実際に物置としても使われていそうで、ダンボールが手前の角の方に何個か積まれていた。机と椅子はあるので使わせていただくことにしよう。
それ以外に目立ったものといえば、正面にある棚だろうか。少し見るだけなら大丈夫だろうと近づき、眺めていく。
ほとんどがファイルに綴じられた書類で、重要書類なのだろうと眺めてみると、一つの本棚の数段に目が奪われる。それは数十冊にも及ぶノートであった。
まだ、大丈夫だよなと扉の方を見て、ガラス越しに会話している透子を見る。そして、引き込まれるようにそのノートの一冊を手に取る。
表紙には日付の範囲だけ書かれていた。その日付は数年前のものであった。
左上の方から取ったので、おそらく右下に進むに連れて日付が進んでいくのだろうと、もう一冊下の段から取ってみると、案の定日付は現在に近づいていた。
あまりこういうものを黙って見るのは、良くないとは分かっているものの、手に取ってしまった以上開きたくなってしまうのは何故だろうか。
まぁバレないだろうとパラパラと捲っていく。
そこには意味不明な事ばかり書かれていた。
海にいたら海からライオンが出てきて、一緒にダンスを始めた。
空から落ちていたら飛行機に飛び乗り、翼を掴んで操縦権を奪い、そのまま墜落した。
何を言っているのかわからないと同時に、一つのこのノートの答えを思いつく。
《《夢》》。確かに夢は意味不明なものだが、何故そんなものを記録しているのだろう。
ずっとこんな調子で続いていくが、最後のページに目が止まった。それは夢の内容なのだろうが、どちらかというと《《夢の中から人を帰さないため》》の記録に見えた。
読み入っていると、扉の方に人の気配がする。僕は慌ててノートを棚に戻し椅子に座り何もしていなかったように振る舞う。
扉がノックされ、透子がひょっこり顔を出す。いつもの笑顔は消えてなかったが、とても申し訳なさそうだった。
「すみません。楓さん―――私に《《同行》》していただけませんか?」
不幸なのかどうかは分からない。
ただ一つ分かるのは、僕はまた、あの女の夢に関わることになるらしい。




