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月隠透子の夢日記  作者: セキ アク


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第1話-2 彼は彼女の夢を見る

(かえで)透子(とうこ)は駅に向かって少し急ぎ目に街を歩いていた。

その駅はこの夢の町の中でひときわ目立っている。

その見える駅というのが松山駅、まさに楓と葵が最後に別れた駅に似ていた。

実際に周りを見渡してあった時計は18時30分を指している。葵と別れた時間、18時から少し過ぎた時間であった。


「すみません。えっと月隠(つきがくれ)さん、お手数おかけしたようで」


「そんなもんですよ。明晰夢(めいせきむ)には訓練がいります。あとその呼び方嫌いなので透子って呼んでください」


「えっと…わかりました。透子さん」


楓としても月隠より透子の方が呼びやすいと感じた。しかし、初対面で下の名前呼びはどうなのかと迷いつつも透子と呼びなおした。


「あそこに葵がいるんですかね」


「おそらく。夢では重要な場所以外は曖昧になります。見ての通りあの駅以外の町は同じような形で出来ているでしょう?」


確かに町は同じような家やビルで構成され、駅までは一本道が通っていた。駅がこちらを誘っているようにも感じる。


「透子さんはいつもこうやって色々な人の夢の中に?」


「まぁーそうですね。といってもしょっちゅう入ってるわけでもないですが。…楓さんは夢とか見ます?」


「夢…ですか?見ている…んですかね。基本的には覚えていないんですけど」


楓は少しうつむきながら続けて、


「葵が目覚めなくなってから葵の夢を見るんです」


「それはどういった夢で?」


「えっと、すみません内容までは覚えていなくて。でも…僕はすごい怒っていた気がします」


「それは…」


透子が口にしたその先の言葉は楓はよく聞き取れなかった。

あえて聞こえないように言ったのか、それとも楓が聞き取れなかったのかはわからない。しかし、楓も大したことを言ったのではないと思い聞き返さなかった。

そして、二人は駅に着いたのであった。

人の気配はなく、電車が通っている気配もない。ただ形として駅がそこにあるだけだった。


「この駅、普段なら人はかなりいるはずですけど」


「そうですね。とりあえず、駅に足を踏み入れてみましょうか」


透子と楓は駅の中に入る。駅の入口は開けており、領域内に体を入れる感覚だった。

その瞬間―――周りには人や雑音で溢れた。


「―――どうなっているんですか?これ…」


楓はあまりにも突然雰囲気が変わったことに対して唖然としていた。先程まで生気のなかった駅が生き生きとしている。人の会話の声、電車の音や人が歩く音まで響いている。

そして目の前の階段の上、そこには葵がいた。


「葵…!」


葵を見た途端に楓は走り出す。何を口にしたらいいか何も考えていないが、身体が先に動き出した。

しかし、その足は葵の目の前にいた一人の男により、足を止めた。


「誰…だ…?」


楓には知らない男だった。見たことない。

ただ、人は本当に知らないものを見た時、あんなふうに息苦しくなるだろうか。

たとえば道端の通行人を見て、胃の裏側を掴まれるような感覚になるだろうか。

ならない。ならないはずだ。


「突然走り出したと思ったらすぐ止まってどうしたんですか」


透子はほんの数メートル走って楓に追いつく。駅の入口から階段の手前まで。本当にそれだけの距離だったのに、透子は軽く息を切らしていた。片手を膝に置き、もう片方の手で胸元を押さえ、数回、呼吸を整える。


「透子さん…運動苦手なんですか?」


「ぐうの音も出ません…。ところで楓さん。あの方は?」


「わかりま…せん」


本当にわからないのか、楓は頭の中をひたすら回す。


「…」


葵のスマホ。一瞬だけ表示された、知らない名前。急に曖昧になった予定。

「その日は無理」と言われた日。「友達と会う」と言われた日。

その友達の名前を、楓は聞かなかった。

聞けば何かが壊れる気がしたから。

それでも心当たりは無かった。《《そう思っている》》。

楓は心臓がきゅっとなる感覚に襲われる。


「本当にわからないですか?心当たりも?」


「…」


「仕方ないですね。では、見せてあげましょう」


「…」


「はぁ、かっこ悪い男ですね」


楓は透子の方を見つめて、微動だにしなかった。それは肯定と捉えるべきと踏んだ透子の後ろの電光掲示板にノイズが走る。

そして透子は口元だけニヤッとする。


「…さて―――夢の終わりの始まりです」


電光掲示板に映像が流れ始めた。


―――――


「はぁ、私に浮気調査。珍しいですね」


透子は、あからさまに気の乗らない声で言った。


「はぁ?お前探偵だよな」


月隠探偵事務所に一人の男が訪れたのは一人の男だった。

名を斎藤和也(さいとうかずや)という。依頼書は浮気調査とだけ書かれていた。


「探偵ですよ?全然やるんですけど、ただ付き合っているだけですよね?結婚とかされてないんですよね?」


透子はペン先で依頼書を軽く叩きながら、目を通していく。


「当然結婚なんてしていなければ慰謝料なんて取ることはかなり難しいと思いますし、ただ確認作業に近いものになってしまいますけど」


「いいよそれで。お宅のところ安いじゃん?それに俺仕事してるから他人に頼むんだったらちゃんとしてるところに頼んだ方がいいでしょ」


「まぁいいですけども。お金も確かに」


封筒から見えた金額は十万。平均相場は三十万〜四十万円程度なので圧倒的な安さで依頼を受けていた。


「そんな金額でよくやっていられるな。周りの同業他社によく言われるでしょ」


「そこはまぁ企業秘密なんで。そもそも一般の方がここを見つけるの苦労すると思うんですけど。…それでこの写真の方でいいんですかね?」


依頼書に添えられていた写真を手に取りまじまじと見始める。

その写真には―――越智葵の姿が映っていた。


―――――――


その後、すぐに透子は葵と楓が二人でいる現場を目撃していた。

和也のことを事務所に呼び出し、証拠写真を机に並べて透子は語り始めた。


「はい。こちらお二人の写真です。相手は大学の同級生っぽいです。距離は近いですね。いや、恋人と呼ぶには曖昧で、ただの友人と呼ぶには近すぎる。もしかして、あなた高校から付き合ってて、それで会う時間が少なくなってきたとか?それで相手方は他の相手を探していて、あなたのことは働いててとりあえずお金あるから保留みたいな?」


透子はにっこりしながら和也に対してペラペラと喋り続ける。

そんな透子に対し、和也は嫌な顔をしながら、


「…お前よく探偵なんかやってられるな」


と、悪態をついた。

それに対し透子は「よく言われます。だって本業ではないんで」と返し、その場でその話は終わった。

後日、透子に一本の電話が入った。それは透子がよく行く病院からの電話。

行くといっても、もう退院しているので通院が目的ではない。そういった患者が来るので定期的に連絡が入り、対処をする。

そしてその患者が―――越智葵であった。


――――――


「これが私が知っている範囲の記録です。夢が勝手に補完してくれるので、多少演出は入っていますけど。…まぁ今回に関しては本当にたまたまなんですけどね?」


透子はそう言うと、電光掲示板が元に戻った。周りの人はその映像が切り替わっていることに対し、気にする様子もない。映像を見たのは透子と楓の二人だけだったようだ。


「…知っていたんですね。透子さんは」


楓はその場で俯き、見た映像を頭の中で整理していた。葵。斎藤和也。浮気調査。写真。 一つひとつは理解できるのに、それらが自分の知っている葵と繋がることだけを、頭が拒んでいた。

そして、すぐそこにいる葵と和也の会話が始まる。


「和也…どっどうしたの?こんなところで」


「どうしたんだろうな。今日は友達と遊んでたんだよな?」


「そうよ?」


「そうか、あれが友達か」


「…!見たの?」


「だいぶ長いこと二人でいるようじゃあないか」


和也は葵に複数の写真を見せつけている。それが何の写真なのかは楓には一目瞭然だった。


「…友達」


「じゃねえだろ!!」


和也が駅内全員に聞こえるような声で怒鳴りつけた。周りがどよめき始める。葵もそれに対し応戦し始め、二人の会話は熱を帯びていく。しかし、誰も近づこうとはしない。まるで、誰もが最初から観客として配置されているみたいだった。

楓は周りの人とそれを眺めながら、透子に尋ねた。


「…なんでここに僕を連れてきたんですか?」


楓はその問いだけが、混乱の中で妙にはっきりしていた。楓自身、階段から転落した原因は喧嘩したことによる精神的不調と考えていた。しかし、楓には目の前の状況を見て、それだけが原因とは思えなかった。


「だってほら、見たくないですか?―――《《人間が落ちるの》》」


その言葉を聞いた瞬間、楓は初めて、月隠透子という人間を怖いと思った。

透子は本心でそれを言っているように見える。純粋で、最低で、最悪の人間。誰もが思うが口にはしないその言葉を軽く言ってのけた。

そんな中、葵と和也は周りの人は存在しないかのように、みるみるうちに会話をヒートアップさせている。


「おそらく、あのまま行けばあの先の階段に落ちるでしょう。現実の通り」


遂には葵と和也は押し合いにまで発展していた。

透子はその場に座り込む。まるでただの観客のようだ。


「…あなたは助けに来たんじゃないんですか?なんで座っているんですか?」


透子は楓の方を首だけ向けて、


「助けには来ましたよ?でも、私が階段から引き離しても意味がないです」


と呟く。透子は言葉を続けていく。


「楓さん―――《《関係を終わらせてください》》」


それは命令に近く、助言でもなんでもなかった。それは楓にとってはあまりにもひどい言葉のように感じた。

しかし、楓自身にも一つの考えが脳裏をよぎる。

「僕は彼女を本当に愛していたのか?」

楓は自分が誰かの生活から消えることに恐怖を感じていた。

誰からも見られなくなる。それが、楓にとっての枷。

楓にとって、別れるというのは、相手を嫌いになることではなかった。

ただ別に友達のままでいられたら、それだけでよかったのだ。

しかし、相手からの視点はどうだろうか。それを考えてしまっては進めずにいた。


「楓さん。『葵と僕はもう付き合ってない』と和也さんに言ってください。そうしたら、葵さんは和也さんと喧嘩することは無かったんですから」


楓は目の前で起きていることを目の当たりにしつつも動くことが出来ずにいた。

おそらく後数十秒もしたら葵は背後の階段から転落するのだろう。

動けない楓に対して透子は更に語り掛ける。


「別にほうっておいてもそれはそれでいいんじゃないんですかね。それも一つの選択です」


本当にこのままでいいのだろうか。このまま見ていたところで、他の人と同じで罪にはならないだろう。

だから、助けなくていいのか?

そして、その時は考える時間を待ってくれること無く訪れた。


「あっ…!」


葵が和也に押され、足が一段、後ろへずれる。

落下体勢に入っているのは一目瞭然。誰が見てももうダメだと思う。一人以外は。


「…透子さん。もし助けなかったら葵はどうなるんですか?」


楓は今更になってそのことを聞いていなかったことに気づいて透子に問う。

そもそも何故夢に入り、葵に会いに来たのか。楓に何を見せたかったのか。

助ける助けないを考えていた楓は最後にその疑問に辿り着いた。


「―――目を覚まさなくなります」


「―――だったら…!」


何故早くそれを言ってくれなかったのか。楓は走り出す。目の前の人を救う。たったそれだけのこと。それだけのことを楓はやらずにいようとした。

それだけはやってはダメなこと。楓はそれに気づく。おそらく誰であろうと楓は助けたであろう。


「間に合え…!」


楓は葵に手を伸ばす。精一杯伸びる限り手を。

時が止まったような感覚だった。

そしてその手は―――葵に届いた。


「大丈夫か!」


「…楓!?」


楓は掴んだ手を精一杯引っ張り葵を引き上げる。そして、間に合ったことに対する安堵で腰が抜けその場に座り込む。


「楓…どうしてここに…」


葵は不安と安堵が混ざったような複雑な顔で楓を見つめる。

楓はすぐにはその顔を見ることは出来なかった。


「お前…写真の」


楓の顔を見て和也はすぐに誰なのか気づいた。そして楓の胸倉を掴み無理やり立たせた。ただ、それだけで何も言わなかった。いや、何も言い出せなかった、という方が正しいのかもしれない。


「離してください…手を」


楓は冷静に和也に促す。それに対し和也は口を開く。


「…何しに来たんだお前」


「葵を…友達として助けに来ました」


「友達…?」


和也はその言葉を聞いて葵の方を見つめた。葵は少し迷ったものの葵の方を見ない楓を見て、頷いた。

それでも離さない和也に対し、毅然とした態度で和也の目を楓は離さない。

静寂が流れる。そんな静寂を破ったのは―――月隠透子だった。


「いやー間に合ってよかったですね!!」


ニコッとしていた月隠透子であった。

三人は透子を見つめて「なんだこいつ」と心の中で思った。

そんな中初めに動いたのは和也であった。


「なんか気ぃ悪いわ。帰る」


和也は舌打ちしながら楓のことを少し押しながら離し、人ごみの中へ消えていった。

透子のおかげで和也の頭は冷えたものの、場は冷え込んだままだった。

そして、楓と葵は誰も何も言うことが無かった。いや、言えなかったの方が正しいのかもしれない。二人は目も合わせられないまま、ただ時が流れていた。

ただ、口にしなければならない言葉はわかっていた。


「ごめん」


たったその一言を口にしたのは楓だった。あの時言えなかったその一言を静寂を破り、口にする。そして、その時初めて楓は葵の顔をちゃんと見た気がしていた。

葵は口を開けて何かを言おうとしていたが、声は出ていなかった。


「僕たち―――別れよう」


そんな葵を見て、楓は決心し、その一言を告げた。人を助ける行為が勇気をくれたのかはわからない。しかし、楓の心は何故かすっきりとしていた。わだかまりが取れたような感覚。言葉にするだけで、ここまで楽になれるのかと思うほどだった。


「でも、友達としてはまだいられるかな。ごめん、こんな優柔不断で。葵と遊ぶのは楽しかった。それだけは思うから」


楓は喋り続ける。葵との関係をできる限り崩さないように。

それに対し葵は黙り込んでいた口を遂に開いた。


「私も……ごめん。別れるのもわかった。でも和也とも別れるから…これからも一緒に…いや、だめだよね…うん、ごめん…」


ごめんと言った後、葵はしばらく黙っていた。

そして、もう一度口を開く。


「友達…友達でいよ」


少し葵は笑っているような気がした。それに対し楓も少し安堵したような顔で笑い返す。ぎこちない二人の笑顔だったが、二人はその距離感が丁度良く感じていた。

そんな二人を見て透子は二人とどうかしてしまったのかと疑問の表情になっていた。




その後葵は人混みの中へ歩いていき、数歩で輪郭が薄れていった。


「これで、葵は目を覚ますんですか?」


人ごみに消える葵を見送りながら、楓は透子に問いかける。これで覚まさないなんて言われたら楓は今度こそ闇へ歩いていくだろう。


「そうですね。これでこの夢は終わりです」


楓は安堵すると同時に、遠くを見つめる透子を見つめる。何か寂しいような、悲しいようなそんな顔をしていた気がした。


「そういえば僕たちはどうやったら目を覚ませるんですか?」


「えーそんなのこうするに決まってるじゃないですか」


透子は楓の方に手を伸ばし、楓をふわっと押す。楓の背後には階段。楓はバランスを崩し、そのまま落ちる感覚に襲われる。


「なっ!?」


透子は笑っていた。とても楽しそうに。そして、透子ともう一人その場にいた気がする。背丈は低い。子供のようにも見える。ただ、それが誰なのか、何なのかはまったくもってわからなかった。

そして、それを見た事も忘れ―――楓は夢から目を覚ます。




落ちる感覚に襲われ、眠りが覚める。そういえば、授業中居眠りをしている時よくあったような。

葵はまだ眠っている。ただ、心地よさそうな顔をしていた。

隣で寝ていた透子はすでにいなかった。敷いていた白いハンカチも見事に回収されていた。

彼女は一体何だったのだろうか。あの夢で起きたことは本当にあったことなのだろうか。

葵はまだ目を覚まさなさそう、というか起きた葵と顔を合わせるのが何か気まずさを感じる。

話せばまた、関係がこじれそうだから。しかし、長いこと眠った気がするのに時計は13時00分を指している。…講義遅刻確定だな。

葵の部屋を後にしようと、部屋を出ると、そこには月隠透子がいた。


「いい夢、見られました?」


透子はそう問いかけてくる。「そうですね」とだけ返し、部屋を見つめる。葵はまだ目を覚まさないかと、少し心配になってしまう。


「葵さんもしばらくしたら目を覚ますでしょう。家に帰るまでが遠足と一緒です。目を覚ますまでが夢ですから」


そのまま続けて「楓さんみたいにあの後、階段にでも突き落とせばびっくりして飛び起きたかもしれませんがね」と冗談でも言ってはいけない事を続けて言っているが、聞かなかったことにしよう。

まだ疑問に残ることは多いが、ここで詮索するような真似はやめておこう。これ以上踏み込むのは危険だと本能が言っている。何が?と思われるかもしれないが自分でもわからない。ただ、この女危険にしか思えない。それだけはわかる。

透子さんを少し見つめてその場を離れようとすると、


「それでなんですけどね…非常に言いづらいんですけど…」


透子は恥ずかしそうに、手を出す。何をするのかと思ったがそれは、


「電車代貸してくれませんか?」


どうやらこの人との縁は当分切れなさそうだ。

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