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月隠透子の夢日記  作者: セキ アク


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第1話-1 彼女は彼の夢を見る

あれから一週間。毎日十二時三十分。同じ時間、同じ場所に僕、逆凪楓(さかなぎかえで)は訪れていた。

大学生なので講義が丁度ない昼休みに合わせている。土日はもちろん講義はないが、一度時間をずらしてしまうと行かなくなる自信がある。

最初は見舞い品もあったものの三回目から迷惑と思い持っていくのをやめた。何かを持ってくることで、自分のしていることに意味があるような顔をするのが嫌だった。

213号室。

彼女が眠る部屋に向かう足は今日も重い。自分なんかが目覚めない彼女に会って、何かなるのだろうか、そんなことを考えながら病室に足を運ぶ。


1週間前、夕刻六時、彼女――いわゆるガールフレンドである越智葵(おちあおい)と口喧嘩をしてしまった。

些細なことだった、とは言い切れない。些細なことだけで済むなら、あんなふうにはならない。会う回数が減っていたこともあって、たまっていた不満がちょうどその日にまとめて噴き出した、という感じだった。

喧嘩する直前、僕自身早く別れを告げた方がいいと薄々感じながらも、ずるずる彼女と時間を過ごしていた。

思い出しても酷いものであったに違いない。周りの人はどんな顔をして見ていたのだろうか。


そんな口喧嘩をして別れた次の日、彼女は階段から落ちたと聞いた。まさにあの口喧嘩をした後のことであった。以来、彼女は目を覚まさないらしい。

もしあの時。引き留めていたら。謝っていたら。もう少しまともな言葉を選べていたら。そんなことをあり得たかもしれない過去を考えながら、彼女の部屋の前に着いた。


毎日これだ。部屋の扉に手を伸ばそうとする手がなかなか伸びない。

重りを付けているというより何かに手を引っ張られている感覚だ。その場を離れるための足だけは、やけに軽かった。

この時間は数秒が数時間に感じる。

そんな無限のような時間を感じながら、意を決し、勢いだけで扉に手を掛け部屋を覗く。

そこにはいつも通り点滴につながれ、眠る彼女と―――見たことのない女が座っていた。



女はベッド脇の椅子に座り、葵の顔をじっと見ている。

そして、扉が開いたことに気づき、こちらを見てきた。

後ろ姿では髪の色のせいか、少し年上っぽく見えたが、振り返った姿は年下に見える。

白黒のメッシュが入ったボブ。白の綺麗なワンピース。容姿端麗というよりは可愛らしいという言葉の方がいいだろう。おしとやかな感じだ。手ぶらだろうか。何も持っていなさそうに見える。


一週間通って初めて見る顔だ。大学の友達とかであれば一度は見たことはあるはずだが、そうでないなら、大学より前の友達か親戚とかか?


「あの、親戚の方ですか?」


そう考えていると、先に口を開いたのは、見知らぬ顔の女だった。


「あぁいえ。僕は何というか...葵の彼氏でして。ご友人ですか?」


まだ彼氏で合っているのか不安が起き、少し間を置き、苦笑いしながらそう返した。すると少し右上を向いて考えたような顔をして次にこう喋った。


「お名前は?聞いてもいいですか?」


「名前ですか?逆凪楓です。…ちなみにあなたは?葵の友人の方ですか?」


「私ですか?私は―――眠り探偵、月隠透子(つきがくれとうこ)です」


ニコッと笑って彼女は自己紹介をした。「あっこれ名刺です」と立ち上がってご丁寧に名刺を渡してきた。返す名刺も持っていないが、こういう時なんて返したらいいかわからず「どうも」と一言だけ言って名刺に目を通す。

月隠探偵事務所つきがくれたんていじむしょと書かれていて、住所と電話番号としっかり月隠透子の名前があった。

眠り探偵?聞いたこともない。探偵漫画にでも影響された、少し変わった人なのだろうか。


「眠り探偵…ですか。まさか寝たら事件を解決するんですか?」


冗談交じりで某有名漫画のように解決するのか、という意味で聞いた。

すると食い気味に「はい、そうです」とすぐに返ってきた。冗談で返した僕がかえってふざけて見える。寝て何でも解決してしまうなら探偵も警察もいらなくなってしまうのでは?


「あの、いつ頃からお付き合いを?」


名刺をまじまじと見つめていると彼女が切り出してきた。

何故そんなことが気になるのかはわからないが、一応探偵ということも名乗っているので何か調べているのだろうか。


「えっと三か月ほど前から」


「三か月前ですかぁ」とだけ言い少しまた考えたような顔をして次に「…だいたい見えてきました。楓さん…彼女がどうして目覚めないのか、わかります?」と語り始めた。急にこの世の全てを知ったような顔をして。たった付き合い始めた時期を教えただけなのだが。


「…階段から落ちたと聞きましたが。当たり所が悪かったとかじゃないでしょうか。やはり頭を打てば最悪死に至ると思いますし」


眠ったままの理由なんて、それくらいしかないのではないだろうか。実際階段から落ちたわけだし、何か他の要因なんてパッと思いつかない。

階段から落ちた。頭を打って倒れた。それ以外の理由は、その時の僕には思いつかなかった。


「何故眠ったか、ではありません。何故目覚めないのか、です」


月隠透子は僕の答えに対してそんな問いを再度投げかけてきた。

何故目覚めないのか?どういうことだ?

意味も分からず黙ってうつむいているとそのまま続けて月隠透子は、


「彼女が目覚めなくなった原因は他にあります」


「…え?…他に?他にって、どういうことですか?」


「ですから答え合わせに行きましょう」


「答え合わせに行くって一体どこに?」


訳も分からないまま、月隠透子は続けて予想だにしない言葉を放った。


「もちろん、―――夢の中にです」


「夢の…中…?」


さっき言った冗談を本気で言い始めてしまった。唖然としてしまい、数秒この部屋の時が止まったように感じた。すぐに正気に戻り、


「夢の中ってどうやって入るんです?そんなことができるわけ…」


そうやって適当なことを言う眠り探偵さんにふざけたことを言うなと暗に伝えるように言い返すが、


「今から彼女の夢に入りますから、見ててください。それともどうです?楓さんも来ますか?」


「今から入るって…僕も入れるんですか!?」


自分も夢の中に行けると言われ、思わず驚いてしまった。結構大きな声を出してしまったので、周りの部屋に迷惑になっていないか咄嗟に不安になった。がそんな不安も裏腹に部屋に駆け込んでくる人はいなかった。


「もちろん。あなたも彼女が抱える闇、見たくないですか?」


悪そうな顔をして誘ってくる。悪いことに手を貸す気分だ。


「もし、夢の中に行かなかったら彼女は…葵は目を覚まさないんですか?」


月隠透子は「そうですね…」とだけ口を動かし、何も喋らなかった。

もし本当に今後目を覚ますことがないなら…謝りたい。あの時のことを。

仲直りをして関係を修復したいなんて思わない。これはケジメだ。自分自身への。


「行きます。いえ、行かせてください」


「助かります」


月隠透子はもの凄く嬉しそうな声色で僕の手を掴んできた。なんだ?そこまで喜ばれたら逆に不安になってきた。

しかし、やっぱりやめるなんて言い出せない。そんな雰囲気にされてしまった。思えばずっとペースを掴まれている気がする。


「もし断っていてもなんとしても連れていく予定だったので助かります」


より恐怖が増した。何をされるのだろうか。もしかしたら僕もこのまま眠りから覚めぬものの一人へとされてしまうのだろうか。迂闊であったに違いない。出会って間もない見ず知らずの眠り探偵を名乗る変な人の話に乗るなんて。

掴まれた手を引っ張られ葵の眠る傍まで連れていかれた。

そして、訳も分からぬまま椅子に座らされ、「もうこのまま寝ちゃいましょう」と月隠透子は葵のベッドに腕を置き、授業中の居眠りみたいな体勢になり、僕の手を握ってきた。


「…手握るんですか?」


「何か問題でも?」


「いや、その寝づらいと言いますか」


「何ですか?恥ずかしいんですか?」


「…頑張って寝ます」


「…仕方ないですねぇ」


そう言うと眠り探偵はポケットをまさぐり始めて、何かを取り出したと思うと、こちらに渡してきた。


「これ、頭の下にでも敷いててください」


恥ずかしがり屋さんだなぁと言いたそうな顔でこちらに差し出してきたそれは白いハンカチだった。何の変哲もないただのハンカチ。これを下に敷くのと、手を繋ぐことが同等の行為なのであれば先にハンカチを差し出してほしかったものだが。


「大事なものなので、よだれとかたらさないでくださいね?」


「わ、わかってますよ」


言われるがまま頭の下にハンカチを敷き眠りにつこうとする。こんな状況でも寝られるのか?と思われると思うが、最近まともに寝られていないのが功を奏したというべきかすぐに眠りに落ちることが出来た。


―――――――


そうだ。そういえば今日はあそこへ行かなければならない日だ。


楓は体を起こし、18時30分で止まった時計を眺めて支度を始める。

ものの数分で支度を済ませ、楓は旅に出る。遠く、途方もない道。ゴールテープなんて無く、引き返すこともできない、ただ進むしかない道。


「そうだ。あれ、持っていかなきゃ。これがないと」


楓が手に取ったのは一つの白いハンカチ。汚れ一つ無く、持っていた覚えもない。

ただ、それがとても大切なものだという認識はあった。

これがないといけないという認識だけはあった。

今日も笑える?笑えるよな。苦しくなんかない。何故そんなことを気にしているのかはわからないが、楓は鏡に向かって口角を上げた。

そこに映った顔は、確かに笑っている形をしていた。

ドアノブに手を掛け部屋を出る。真っ暗闇だから道を踏み外さないようにゆっくりと足を出す。


「ちょっと待ってください」


楓が振り向くと、そこには見たことのある場所に眠り探偵が立っていた。


「そこから先に行けば戻ってこれないですよ。だって引き返す道もないんですから」


「何を言ってるんですか?行かなきゃいけないんですよ」


続けて答えようとする。


「だって僕が行かなきゃ…」


行かなきゃ、何だ?わからない。引き返したことなど無かった。引き返し方などわからなかった。何故進まなきゃいけない?進まないと、誰かを見失う?


「引き返していいんです。人は道を戻れますし、道を変えることもできます。何のための足ですか?」


透子は静かに楓に語り掛けた。


「だって、だって僕が…」


悪いから?本当に?

誰がいつそんなことを?

楓はポケットにしまい込んだハンカチを握る。それだけが妙に握りやすかった。


「…ここは、そうだ。葵に」


楓は思い出したかのように、暗闇を向いていた顔を透子の方に向ける。


「そうです。さぁ行きましょう」


透子は楓に手を差し出す。

その手を見失わないように楓はすぐに掴んだ。

次の瞬間、辺りは見たことのあるようで見たことのない風景へと変わった。

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