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翌日、アリスは朝からそわそわと落ち着かなかった。昼のピークを過ぎ、人がまばらになると私たち調理班も一度昼休憩に入る。私はいそいそと厨房で焼きたてのパンと、ほんの少しだけ贅沢な果物を小さな包みに詰める。差し入れという名目だけれど、胸の奥は期待と緊張でいっぱいだった。
昼休憩が近づくと、アリスは周囲の目を気にしながら、そっと厨房を抜け出す。王宮の廊下を歩きながら、(本当にここで会えるのかな……迷惑じゃないかな……)と不安がよぎる。それでも、助けてくれたあの日のことを思い出し、勇気を振り絞って足を進めた。
第二書庫の前に立つと、普段は使われていない静けさが広がっている。アリスは包みを胸に抱きしめ、深呼吸をひとつ。扉の向こうにいるかもしれない彼を思い浮かべながら、そっと扉を開けて中へと足を踏み入れた。
静まり返った第二書庫の奥、薄暗い光の中でアドルフは一人、簡素な昼食を取っていた。大きな背中が静かに佇んでいる。
静まり返った第二車庫の奥、薄暗い光の中でアドルフは一人、簡素な昼食を取っていた。大きな背中が静かに佇んでいる。
アリスは包みを胸に抱え、そっと足音を忍ばせて近づく。緊張で手が汗ばみ、心臓が早鐘を打つ。
「……あの」
声をかけると、アドルフがゆっくりと振り返る。驚いたように目を見開き、すぐに視線をそらして「ここには俺しかいない」と低く言った。その言葉に胸が締めつけられる。違う、違うのに。他の誰でもなく、私はあなたに会いに来たのに――。自分に会いに来る人なんていない、そんな風に思っている彼の態度が、どうしようもなく悲しかった。
アリスは震える手で包みを差し出す。「あの、これ……お礼です。前に助けていただいたお礼で……」
アドルフはしばらく黙って包みを見つめていたが、やがて静かに受け取る。「……ありがとう」
その一言は短いけれど、どこか温かさがにじんでいた。
アリスはほっと息をつき、少しだけ微笑む。「また……お会いできて、うれしいです」
「……なんでおれなんかに?」
アドルフの低い声が、どこか自嘲気味に響く。
「えっと、だからアドルフ様に――」
「俺は伯爵家の三男だが、いずれ貴族席から抜ける。俺に媚を売ったって無駄だ。」
私の言葉を遮るように、アドルフが冷たく言い放つ。その言葉に胸が痛む。
「違います!!私はただ、あなたに一目惚れして!好き過ぎて!!」
思わず叫ぶように、気持ちがあふれ出した。言うつもりなんてなかった。両思いになれるなんて、かけらも思っていない。この思いを大切に、大切に、宝物みたいにしまっておきたかった。でも、できなかった。彼が自分なんかって言うから。優しい人なのに……。誰も怖がらせないように、驚かせないように、人気のない場所で食事をする彼は、本当はとても優しくて素敵な人なのに、誰もそのことに気づかなくて、本人すら気づいていないことがもどかしくて、伝えてしまった。
彼のことを知っているのは、ほんの少しだけ。でも、その思いがあふれて止まらなかった。
アドルフは驚いた顔のまま、固まっていた。
私は顔を真っ赤にして、包みを置いたまま、書庫を飛び出した。
休憩後、重い足取りで厨房に戻る。私の落ち込みように、ミーナもリナさんも心配そうに目配せした。私は何も言えず、力ない笑みを浮かべて仕事に没頭する。そうでもしていないと、恥ずかしさで埋まってしまいそうだった。
仕事が終わると、ミーナに手を引かれて部屋に押し込められる。
「一体何があったの!?」
ドアップで詰め寄られて、私は観念して白状した。「勢いで告白した。」
「はぁぁぁぁぁーーーー!?」
大きな声を出すミーナの口を慌てて塞ぐ。「なんでそんなことになったの!?」
「じ、じつは……」
ことのあらましを説明すると、ミーナは顎が外れそうなほど驚いていた。「あんたって意外ととんでもないことをしでかす女なのね。」
そんな言い方しなくても……。
「でも、ちょうどいい機会なんじゃない?後は押して押して押すだけよ。」
ミーナは驚きを通り越して、面白そうにそう言う。「告白するつもりなんかなかった。面白がらないでよ。」
頬を膨らませると、ミーナは素直に謝った。「ごめんごめん。あまりにも予想外の展開で。それよりもアリスはそれでいいの?このまま気まずくて会いに行かないままだと、一生会えないかもよ?せっかく育った好きな気持ち、萎れさせるの?」
一生会えないかも――重い一言に、心が鉛のように沈む。「それは嫌」
無意識に言葉がこぼれた。会いたい。
「でも、身分差があるならせめて見た目だけでも釣り合えたらいいのに……。相手が格好良すぎるよ……」
泣き言を言う私に、ミーナは呆れた顔をした。「何言ってるのよ。見た目の釣り合いが取れてないのは相手でしょ。アリスは自分の魅力がわかってないの?ミルクティー色のふわふわの髪はすごくキュートだし、大きな瞳も小ぶりな鼻も白い肌も、とても愛嬌があって素敵よ。」
ミーナの優しい慰めに、涙が出そうになる。最初の言葉には納得できないけれど、きっと私を元気づけるために言ってくれたのだ。
「明日また会いに行ってみようかな。」
勇気を振り絞ってそう言うと、ミーナは満面の笑みで頷いてくれた。




