6 sideアドルフ
公開演習の日が近づき、訓練はますます厳しさを増していた。騎士団全体が張り詰めた空気に包まれ、誰もが神経を尖らせている。だが、そんな中でも俺は書庫へ通うことだけは決してやめなかった。
寝る時間を削っても、食事を簡単に済ませても、アリスと会う時間だけは減らしたくなかった。むしろ、忙しさの中で唯一心が安らぐのが、彼女と過ごすひとときだった。
「なぁ、お前最近妙に機嫌良くないか?何かあったのか?」
訓練の合間、ゼノンが不思議そうに声をかけてきた。公開演習前のこの時期、普段なら俺はピリピリしているはずだ。だが、今の俺はどこか浮ついているらしい。
「そんなことない、何もない」
ギクッとしつつも、素知らぬ顔で返す。だがゼノンは容赦なく追及してくる。
「何もないわけあるかよ、毎年公開演習前は人一倍ブルーになるお前が!顔が怖くて威圧感があるってだけでいつもヒール役になるから裏方に回らせてくれって毎年ゴネているお前が!今年はおとなしいだけでなく、浮ついているんだぞ!」
ゼノンは何かを閃いたように目を見開く。
「わかった。団長に交渉して当日欠席する許可をもらったとか?ふざけんなよ、お前だけ逃げられると思ってんのか」
「違う!」
そうしたいのは山々だが、団長が首を縦に振るはずがない。
「じゃあ、元婚約者が不幸な目に遭ったとか?」
「元婚約者のことなんて全く興味ない。どうでもいい」
本当に、今の俺にはアリス以外の女のことなどどうでもよかった。彼女と出会ってから、他の誰かを思い浮かべる時間がもったいないとすら思うようになった。顔を見て悲鳴を上げられても、もう傷つかない。好かれているとわかるだけで、こんなにも世界が変わるのかと自分でも驚いている。
アリスのことを思い浮かべて、ふと笑みがこぼれる。慌てて顔を引き締めるが、ゼノンがそれを見逃すはずもない。
「もしかして・・・前に言っていた女の子に会えたのか?巡回の時に助けたっていう・・・」
「・・・違う」
「違わないだろ!お前、報告しろよ!会わせろよ!公開演習に連れてこい!」
やっぱりそう来たか。ゼノンにアリスを会わせるなんて絶対に嫌だ。
「絶対嫌だ」
「何でだよ!」
「お前に惚れたら困るだろうが!」
思わず声を荒げてしまい、我に返る。その瞬間、自分の気持ちを完全に認めてしまった。俺はアリスを番だと認めてしまった。魂にそれが刻まれる感覚があった。
(どうしよう……もう、あいつを手放せない。もともと手放すつもりはなかったが、本当にもう……)
公開演習にアリスを誘うつもりはなかった。ゼノンだけでなく、他にもたくさんの騎士がいる。獣人、竜人、人間。もしかしたら、アリスは俺しか知らないから俺を好きだと言ってくれているのかもしれない。そう思うと、俺以外の誰にも見せたくなかった。
ゼノンが静かに問いかける。「アドルフ、お前・・・本気で好きなのか?」
俺は小さく頷いて答えた。
ゼノンは「そうか」とだけ言い、俺の肩を軽く叩いた。
「頑張れ、自信持て。俺が出会った中でお前が1番いい男だ。見た目以外」
最後の一言が余計だが、ゼノンの慰めは少しだけ俺の気持ちを浮上させた。
公開演習の日、朝から町は浮き立つような熱気に包まれていた。だが、俺の心は重かった。訓練や勝負の緊張ではない。アリスがこの場に来ているかもしれないという、どうしようもない不安と苛立ちが胸を占めていた。
(他の騎士なんか、絶対に見てほしくない)
ゼノンは人気者だ。観客席からは黄色い声援が飛び交い、他の若い騎士たちも華やかな視線を集めている。アリスがそんな中にいると思うだけで、胸の奥がざわつく。俺の戦う姿だけを見ていてほしい。他の誰かに目を向けてほしくない。そんな独占欲が、理性を押しのけていく。
試合が始まる。俺は観客席をちらりと見上げるが、アリスの姿はすぐには見つからない。だが、どこかで彼女が見ている気がして、無意識に背筋が伸びる。毎年適当なところまで勝ち進み、適当なタイミングで負けるようにしていたが、今年はもしかしたらアリスがきているかもしれないとチラつき負ける気にはなれなかった。
一戦ごとに勝ち進み、決勝でゼノンと剣を交える。観客席はゼノンへの声援で埋め尽くされている。
「お前が公開演習で勝ち進むなんて、いつも適当にやってるくせにな・・・。悪いが本気でやらせてもらうぞ、お前であろうと負ける気はない」
ゼノンは愉快そうにニヤリとした。
「たまたまだ」
俺は偶然だというように答えた。
審判の声で試合が開始される。
その中でひときわ大きく、確かに俺の名を呼ぶ声が聞こえた。
「アドルフ様、負けないで!頑張ってー!!」
耳がぴくりと動く。アリスだ。俺のためだけに声を張り上げてくれている。その声が、俺の心の奥にまっすぐ届く。
(……やっぱり、俺だけを見ていてほしい)
ゼノンとの激しい剣戟の中、アリスの声だけが支えだった。最後の一撃を決め、勝利の合図が響く。観客席を見上げると、アリスが涙ぐみながら拍手を送っているのが見えた。
演習が終わり、控室で装備を外しながらも、心は落ち着かなかった。アリスに会いたい。だが、どうしても苛立ちが消えない。彼女が他の騎士を見ていたかもしれない、ゼノンに目を奪われていたかもしれない――そんな想像が頭を離れない。
「ゼノン後片付け頼む。埋め合わせは今度する」
「はっ?」
俺はいてもたってもいられずゼノンに後始末を全て押し付けて、アリスの元へと駆け出した。
夕暮れの通路でアリスの姿を見つけると、思わず腕を引き、人気のない場所へ連れ込んでしまった。驚いた顔のアリスを前に、俺は感情を抑えきれず、少し怒ったように言ってしまう。
「見に来るなんて聞いてない」
本当は、誰にも見せたくなかった。アリスを、他の騎士たちの視線から隠しておきたかった。俺だけのものにしておきたかった。そんな気持ちが、言葉の端々に滲み出てしまう。
アリスは戸惑いながらも、笑顔で「お疲れ様です。すごくかっこよくて、目が離せませんでした!優勝おめでとうございます」と言ってくれる。その言葉に、胸の奥の苛立ちが少しだけ和らぐ。
「応援する声が聞こえた。」
アリスは照れたように笑い、「恥ずかしいですが、応援が届いたようで嬉しいです」と答える。
「周りはゼノンを応援してたが、あー、お前は俺を応援してくれたんだな。」
「もちろんです!!」
俺は思わず問いかける。「ゼノンは格好いいだろ?なのになんで」
「アドルフ様には敵いません!アドルフ様が1番格好良かったです!!」
その言葉に、胸の奥の独占欲が満たされていく。顔を背けてしまうが、尻尾は嬉しさを隠しきれずに揺れていた。
「……本当に、俺の応援してくれてたんだな」
「はい!アドルフ様のこと、ずっと見てました」
安心と幸福が胸に広がる。だが、まだ不安は消えない。
「……お前、他の騎士とか、気になったりしないのか?」
「え?全然。アドルフ様だけです。今日の試合も、アドルフ様が一番素敵でした」
その言葉に、心の奥の独占欲が静かに満たされていく。俺は小さく息をつき、微笑んだ。
「……そっか。なら、よかった」
(お前は俺だけを見ていればいい。他の誰にも渡したくない。お前を隠しておきたい――この気持ち、どうしようもなく強くなっていく)
「送る」
ぶっきらぼうにそう言って歩き出す。アリスが慌てて後ろを追いかけてくる気配が嬉しい。
夕日に伸びた影が並んで歩く。手を繋ぎたい衝動に駆られるが、グッと堪えていると体が反応してしまい尻尾が彼女の手首に巻き付く。無意識に、彼女を自分のものだと示したくなってしまう。
「嫌か?」
恐る恐る尋ねる。アリスは満面の笑みで「嬉し過ぎて死にそうです」と答え、そっと尻尾を撫でてくれる。
「そうかよ」
それ以上の言葉はなかった。ただ静かに二人並んで歩く。その時間が、たまらなく愛おしかった。




