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12 雪幻

 建安元年。かつて呂布に奪われた所領を、曹操は取り返そうとしていた。于禁はその軍にあり、寿張・定陶(ていとう)・離孤(りこ)の攻略を命ぜられる。


 いずれの地も激しい抵抗を見せたが、終われば兵を収め、城を保ち、安定を取り戻した。寿張では矢の雨が続き、定陶では堀を渡って突入し、離孤では門を破って中へと進む。三城は次々に制圧され、兗州の半ばが再び曹操の手に帰した。


 しかし、地の平穏はまだ戻らなかった。呂布は鉅野(きょや)に退き、一万余の兵を率いて再び曹操を迎え撃つ。曹操軍は千にも満たなかったが、地形を熟知し、よく策を用いた。草の陰に伏せた兵が立ち上がり、鼓が鳴る。矢が一斉に放たれ、馬の嘶きとともに戦が始まった。陽が昇るころには陣形が崩れ、旗が倒れる。呂布は陳宮を伴い、南へ退いた。その行き先は徐州である。陶謙(とうけん)亡きあと、その地を継いだのは劉備(りゅうび)であった。劉備は門を開き、敗れた二人を受け入れる。しかし、乱世にあって義を語る声は薄く、互いに沈黙のまま道を違えた。


 一方、陳留には張邈があり、雍丘には弟の張超(ちょうちょう)が籠っていた。兄弟は離れ、道は遠く、音信は絶えている。雍丘の城では、張超が兄の命を守り、家族を支えながら籠城の備えを固めていた。彼が信じていたのは遠く袁紹の陣にいる友の助けである。しかし、その姿はついに現れなかった。


 曹操は地図の上に雍丘の名を見つけ、その指を止める。命が下り、軍が動く。于禁もその列に加わった。こうして雍丘をめぐる戦が始まる。冬の風が吹き、荒れた地にふたたび人馬の足音が満ちていった。


 雍丘は平野に築かれた城である。その上を曹操軍の列が進み、于禁は行軍の先に立ち、前を見据えていた。


 張超は城を閉ざし、兄の命と一族を守っていた。兵は少なく、民を加えても十分とは言えぬが、その城の上にはなお旗が立ち、夜ごと火が灯っていた。城上の合図は変わらず、出入りは少ない。援軍を待っていると見える。


 包囲は長く続いた。昼は矢が飛び交い、夜は風が陣幕を打つ。兵の顔は粉を吹き、唇が割れていた。地を掘り、井を求め、泥を濾(こ)して水を得た。


「矢束を繋げ」

「陣を下げるな」


 城の上からは罵声が聞こえるが、誰も言葉を返さぬ。于禁は陣を見回り、矢羽の向きを確かめた。律が緩めば、命も崩れる。杭と紐の結び目の確かさにこそ勝敗がある。自分に言い聞かせるように、彼はそれを胸で繰り返す。


 数日が過ぎ、城の内では糧が尽きかけていた。夜に灯す油も残らず、焚く薪さえ少ない。人々は冷えた壁の下に身を寄せ、遠くの鼓を聞いていた。それでも張超は降らぬ。兄の命と友の援けを信じ、最後まで城を離れようとしなかった。



  ×  ×  ×  



 十二月の初め、雪が降った。


 白い粉が陣の上に積もり、馬の背に薄く残る。兵たちは雪を溶かして水にした。


 その日、曹操は進軍の合図を下す。鼓が鳴り、陣が動いた。梯がかけられ、盾が並び、投石が続き、衝車が前に出る。雍丘の城壁はひとところで崩れた。門の外では叫びが起こり、土と血が混じる。戦は終日続き、陽が傾くころになって、城内の声が途絶えた。


 夕刻、門が開き、城の内に静寂が戻る。抵抗する者はもはやなく、張超は城の奥の一室で自ら命を絶っていた。


 于禁はその報を受け、城に入った。道の両側には兵と民の屍が横たわり、瓦の間には血が凍っている。命は主の命に従うもので、情に揺らいで良いものではない。そう思いながらも、彼の胸にはわずかに痛みが走った。その痛みが何によるものか、彼自身も定かではなかった。ただ、終わりを見届けた現実が胸に残る。于禁はその思いを胸に収め、誰にも見せず、剣を拭いた。


 空は白く、雲は垂れこめていた。兵たちは城の外に整列し、命を待つ。


 「降伏者の処断を行う」


 声は冷たく、平らであった。于禁は進み出て、命を遂行する。その列の中には、張邈・張超の一族もいた。女も子も、泣く声はすぐに雪に吸われた。剣を振るう手に力を込めながら、于禁はわずかに目を伏せる。命に従うことは理であり、理を貫くことは血を浴びることでもある。それでも律は崩せぬ。己が手で裁きを下すほか、道はなかった。再び胸に痛みが過(よぎ)ったが、それを見せる者はいない。命に従うこと、それが于禁のすべてであった。


 処断が終わるころには、陽は落ちていた。火も灯されず、雪の白が城壁を照らしている。兵は槍を立て、地に跪いた。誰も口を開かず、沈黙が残る。于禁は空を見上げた。雲の切れ間に一条の光が差し、彼の鎧を照らす。彼はその光を受けたまま、背を向けた。城を離れると、雪を踏む音が遠くまで続く。


 雍丘の戦が終わり、天は数日荒れた。雪に灰が混じり、野は白とも灰ともつかぬ色をしている。兵の列は城を離れ、南へと向かった。雍丘の門には封が打たれ、上には曹軍の旗が立る。静寂が戻ったというより、声が絶えていた。


 張超の首級は収められ、民は再び税と法に服し、日を待つのみである。于禁は野に陣を敷き、兵の帰営を待った。人は死に、命は果たされ、戦は終わった。


 その夜、ひとつの報が届く。


『張邈、袁術のもとに赴き援軍を請う途中、自らの兵の手にかかり没す。』


 書簡は封を改めて綴じ、箱に収めた。于禁は黙して目を伏せる。


 三族を処したとき、その兄もまたすでにこの世になかった。人は法により裁かれ、律により生かされる。然れども、律を執る手もまた血で濡れる。


 次の日、雪は解け始めていた。兵は槍を磨き、馬を世話する。号令が響くと、列が動き出した。于禁は馬上から雍丘を見る。遠く霞む城壁の上で、曹の旗がはためいていた。彼はそれを見届け、手綱を引く。


 空に、鳥が数羽飛んでいた。于禁はその姿を目で追い、息をひとつ深く吐く。人はそれぞれの想いを抱いて立ち、やがて想いの中で倒れる。情もまた想いの一つであり、律もそのうちにあった。彼の歩いた道には血が残る。それを受け入れることが、将の務めであった。


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