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転生小説家は異世界でも執筆スローライフを謳歌する  作者: 藤白ぺるか@4/24『完全解呪のプリースト』1巻発売


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第9話 小説家は編集部を訪れる

 朝日が登り始めたばかり。まだ少し冷えている早朝。

 俺の一日は日課から始まる。


「ふっ……ふっ……ふっ!」


 持ち込んだ剣を振り、素振りを繰り返す。

 そうすることで体温が上がり、汗をかく。


 素振りを終えるとシャワーを浴び、自分で作った朝食を取る。

 そうして体と食を整えてから、コーヒーを入れ、机に向かうのだ。


 カチャカチャとタイプライターを打ち、あーでもないこーでもないと考えながら、紙を捨てて、新しい紙を取り出し、またタイプライターで打ち込む。


 この世界に転生してからわかったこと。

 それは、適度な運動をして、ほど良い肉体を保つことで、執筆作業も捗るということだった。

 前世では蔑ろにしていた健康。その重要性が身を持って知ることができたのだ。


「ふぅ……そろそろか」


 二、三時間ほど執筆作業をしてから、出かける準備を整える。

 今日は元々予定していたスライム・マガジン社の編集部に挨拶をする日だ。


 既に昨日、アリサに無理やり連れられて編集部に入ってしまったが、そのお陰でスムーズに編集部のある場所まで辿り着くことができた。


 階段を上がり、第二編集部と刻まれたプレートが見える扉のベルを鳴らした。

 そういえばアリサはいきなり中に入ってたな……あいつも小説家だし、それなりに編集部には顔が知られてるのだろう。


「はい、どのようなご用でしょうか?」


 出てきたのは四十歳ほどの男性だった。

 ここで長く働いてきたようなくたびれ方をしていた。


「ヘンリエッタ・グリーンハウスさんと約束をしていた者なのですが」


 実は昨日会ったヘンリエッタさんは、俺の担当編集だったのだ。

 アリサの前だったので、正体を言えずにいた。


「ヘンリエッタですか? んー、あなた。若いですし見ない顔ですね。もしかして、小説の持ち込みですか? 悪いですが、そういった持ち込みは正式な手続きをとってからになっているんです。申し訳ないですが、お引き取りください」

「ぇ…………」


 男性はそう説明した後、すぐに扉を閉めてしまった。

 なぜか俺は持ち込みをしにきた人だと思われたらしい。

 というか先にヘンリエッタさんに約束があるかどうかくらい確認してもらっても良くないか?


「どうしたものか……」


 と、その時だ。


「あれ、シャルロックさん……でしたよね? 昨日に続いてどうかされましたか?」

「ヘンリエッタさん!」


 そこへちょうど目的の人物がやってきたのだ。

 俺は胸を撫で下ろしてから、ヘンリエッタさんに事情を説明することにした。


「中に入ろうとしたんですけど、男性に止められてしまって……」

「ん、どういうことでしょうか? 何か用事でも?」

「あ……そうか」


 昨日挨拶したから、もうヘンリエッタさんとは顔見知りだと勘違いしていた。

 そりゃあ俺との約束だと思わないよな。

 それに俺はまだ小説家としての名前を告げていなかった。


「僕がヘンリエッタさんと約束していたんですよ」

「えっと……シャルロックさんと? ……今日の予定は一人だけのはず……です、が…………」


 話しながら途中で何かに気づいたのか、ヘンリエッタさんが固まった。

 昨日の歓迎パーティーの時の皆のようだった。


「すみません。昨日はアリサがいたので正体を言えなかったんです。王都とドイル領の実家とで手紙のやり取りをしていたこと、忘れちゃいましたか?」

「ドイル領…………シャルロック・ドイル……ドイル…………まっ、まさか……!?」


 ヘンリエッタさんはようやく気づいたようだった。


「僕です。僕がアシド・ローです」

「アシド・ローせんせええええっ!?」


 丸眼鏡から目が飛び出る勢いでヘンリエッタさんは驚いた。

 廊下に響く絶叫。通りがかるスラマガ社の社員が何かあったのかとこちらを見る。


「ほ、本当ですよねぇ!? 思ったよりも若くて、驚きました……!」

「本当ですよ。ドイル家の家紋が入ったペンダントだって持っています。ほら」


 父からもらった家紋入りのペンダントを懐から取り出し、それを見せた。

 しどろもどろになっていたヘンリエッタさんはそれを見つめると――


「あぁっ……あぁぁぁぁっ!! 昨日、なんて大変な失礼を……! シャルロック・ドイルの名前で気づくべきでした……っ!」

「住所は教えていましたが、シャルロックの名前は昨日初めて伝えましたからね。まあ、気づかなくて当然だったかもしれません」


 深く頭を下げ、謝罪してくれた。

 ヘンリエッタさんは何も悪くないのに少し申し訳ない気持ちになる。

 アパートの皆もそうだが、ドイルの名前だけでは気づく人といない人がいるみたいだ。


「と、とにかく中へ!!」

「ありがとうございます」


 俺はヘンリエッタさんに案内され、編集部の中へと招き入れられた。



「こ、こちらへ!!」


 案内されたのは昨日、アリサと座ったソファだった。

 思えば、編集部には個室のような場所はなく、あるのは軽く衝立で仕切られているだけの場所だ。


「少々お待ちくださいね!」


 ヘンリエッタさんは鼻息も荒くし、興奮した様子で一旦席から離れた。

 すると次の瞬間、ヘンリエッタさんの大きな声が聞こえてきた。


「お前たちー!! アシド・ロー先生がいらっしゃったぞ!! 第二編集部を挙げてご挨拶しなさい!! 今すぐにここで出せる最高級のお茶とお菓子を出しなさい!!」

「へ……?」


 ドタドタと足音が聞こえる。ガシャンと何かが割れる音が聞こえる。

 なんだか、大事になってないか?

 というか命令口調で言っているあたり、ヘンリエッタさんってもしかして結構上の立場の編集者なのかな?


「うそ!?」「アシド・ロー様が!?」「何!? 本当か!?」「ついに、ついにこの時が!」「第二編集部の神!」「アシド・ロー先生!!」「あぁっ! ついに先生のご尊顔を!」


 阿鼻叫喚の騒ぎとなっていた。

 大丈夫だろうか。俺まだ十八歳なんだけど、若すぎて何か言われないだろうか。


「アシド・ロー先生!! お待たせしました!」


 編集部内を走り回ったのか、ヘンリエッタさんは眼鏡を曇らせ、息も切らしていた。

 と、彼女の隣に見覚えのある人物が姿を見せた。


「こちら、第二編集部で部長をしているジョン・コリンズです」

「…………ちょっと待ってくれヘンリエッタ……」


 ヘンリエッタさんに紹介されたのは、先程俺を扉の前で追い返した男性だった。

 この部署で一番偉い人物だったらしい。


「こ、この若い少年がアシド・ロー先生なのか?」

「そ、そうです! ドイル家の家紋も見せていただきましたし、私がやり取りしていたのはドイル男爵家の方だったので……」

「き、君もアシド・ロー先生は五十歳くらいだと予想していたじゃないか!」

「私もさっき知って驚いていたところです!」


 コリンズ部長はみるみるうちに額から汗を流し始めた。

 ただ、まだ俺をアシド・ローなのかどうか疑っているようだ。


「き、君は何歳なんだい?」

「僕は十八歳ですね。地元の義務教育学校を今年卒業したばかりです」

「アリサ・クリスティーと同い年じゃないか! ――ということは、十五歳の時に『ザ・ポイズンマン』を書き上げたというのか!?」

「刊行したのは十五歳ですけど、内容を考えたりプロット作ったりとかもありましたから、正確に言えば手を付けたのは十四歳の時からですね」


 案だけは生まれた時からずっと頭にストックしていた。この世界の言葉を読み書きできるようになってから紙を使い始めたから、それを考えると小説を書き始めたのは五歳くらいの時からだろうか。

 今でも実家の部屋には形になっていない小説の欠片がたくさん残っている。


「な、なんてことだ……」

「コリンズ部長……」

「さ、先ほどは、たいっっへん失礼しましたぁぁぁ!!」


 ついに俺のことを信じたのか、コリンズ部長はその場で土下座をし、汗にまみれた額を床に叩きつけた。


「いえいえ。こんな若造ですから信じる方が大変だと思います。顔を上げてください」

「おお……我らのアシド・ロー先生はここまでお優しいのか……」


 この人態度が豹変して怖いんだが。

 すると、続々とヘンリエッタさんとコリンズ部長の後ろに編集者が集まってくるのがわかった。


「うそ!? あれがアシド・ロー先生!?」「若い、若すぎる……でも、あんな子があれだけの小説を書いていたのよね!?」「よく見れば、顔も整っているし、かっこ可愛いかもっ!?」「おいバカ! アシド・ロー先生だぞ! 当たり前だろ!」「あぁ、サインほしい……」「ちょ、おま押すなよ!」


 なんだか、本当にすごいことになっている。


「ど、どきなさい! お茶とお菓子を持ってきたわ!」


 人混みをかき分けてやってきたのは、若い女性だった。

 トレーを持っているが、ぷるぷるして零さないか心配だ。だが、なんとかテーブルの上にお茶とお菓子を置いてくれた。


「あ、あの……」

「ん、なんでしょうか?」

「サ、サインお願いしますぅぅ!!」


 突然、たわわな胸元の間からぬっと取り出した俺の小説。

 それをペンと一緒に机の上に置いた。

 本から湯気が上がっている気がする……。


「おいぃぃぃぃ!!」「何サイン要求してんだ!!」「抜け駆けズルいぞ!」


 背後から他の社員の罵声が飛んできた。


「ちょっと待ってください!」


 と、俺がペンを取ろうとした時だ。

 ヘンリエッタさんが静止した。


「……私もよろしいでしょうか?」


 ヘンリエッタさんもどこから取り出したのか、俺の小説を持っていて、テーブルの上に置いた。


「ヘンリエッタ!? ……アシド・ロー先生、私もよろしいでしょうか?」


 土下座していたコリンズ部長も同じく小説を取り出し、テーブルの上に置いた。


「わ、私も!」「俺もだ!」「お願いします!」「生サイン!」「先生、私も!」


 背後にいた社員たちは全員手に俺の小説を持っていた。

 いや、マジかよ……俺は苦笑するしかなかった。



「わぁぁ……一生の宝にします!!」

「えっと……はい。大切にしてくださいね」


 結局、ヘンリエッタさんと打ち合わせする前に、編集部内でサイン会を開くこととなった。


「…………握手もよろしいですか?」

「僕でよければ」

「きゃああああ! ありがとうございます! 今日は手を洗いません!!」


 さすがに汚いから洗ってくれ。


 明らかに美人な社員やそれなりの人生の修羅場をくぐってきたような社員だっていた。

 それなのに、こんなに若い俺をここまで讃えてくれている。

 全員ではないだろうが、小説というのはこの世界でも売れっ子になれば、それなりに評価されるものらしい。



「先ほどは大変失礼しました。編集部の皆も喜んでいました。来ていただいたばかりなのにアシド・ロー先生には本当に感謝しています」


 サイン会が終わると、やっと落ち着いてソファに座りながらヘンリエッタさんと話すことができた。

 彼女の隣にはコリンズ部長も座っている。


「いえいえ。僕も嬉しい気持ちになりましたから」

「それなら良かったのですが……」


 昨日までのヘンリエッタさんとは違い、かなりかしこまっている。

 できれば昨日のシゴデキ感が出たヘンリエッタさんに戻ってほしいのだが、そう簡単にはいかないのだろう。


「アシド・ロー先生には、話したいことがたくさんあったんですよ」

「僕もです。手紙では小説の内容しかやりとりしていませんでしたからね。それに、僕が送った原稿をちゃんと受け取って返事をくれたのもヘンリエッタさんですから、感謝も伝えたかったんです」

「アシド・ロー先生……」

「ヘンリエッタさん、ありがとうございます。それと、コリンズ部長も僕の小説を通してくれてありがとうございます」


 俺は立ち上がり、二人に対して深く頭を下げた。


「とと、とんでもないっ! 頭を上げてください! 私はヘンリエッタの企画が面白そうだったから通しただけで……まさかここまで大きくなるだなんて」

「アシド・ロー先生、実はこの第二編集部ですけど、先生の本が売れたからできた部署なんですよ」

「えっ、それはどういうことで?」


 俺の小説で編集部ができた?

 いやそれ、結構デカい話では?


「二作目の『渇いた男』が売れだしたあたりから、これはもうミステリーという新ジャンルが開拓できると感じてコリンズ部長が上に掛け合って作ったんです。なので最初は失礼な態度をとったかもしれませんが、先生に一番感謝しているのはコリンズ部長なんですよ」

「そうだったんですか……」


 持ち込みを簡単に切り捨てたあの感じはよろしくないとは思ったが、彼には彼なりの矜持があるのだろう。

 するとコリンズ部長が口を開く。


「スラマガ社は最初、編集部は一つだったんです。ご存知の通り、小説のほとんどはラブロマンスですからね。ですが、先生がミステリージャンルでの小説を刊行してから、他の作家もラブロマンス以外のジャンルにも少しずつ手を出し始めて、男性作家だって増えてきたんです」

「男性作家も……それは喜ばしいことですね」


 俺の想像通りだったらしい。ラブロマンスは女性が主人公。だから書くのも女性がほとんど。

 だから小説家=女性という認識が一般常識だったのだろう。


「私も当時はラブロマンスを担当していたんですけど、先生の作品を担当してからは、ラブロマンス以外のジャンルだけを担当しています。といってもミステリーを書ける人なんてほぼいませんから、自伝とか歴史書とかですけどね。でもアシド・ロー先生を担当してるってことだけで、皆からは尊敬されてるんです」


 そうか。俺の小説でできた部署なら、担当であるヘンリエッタさんがこの部署の中で尊敬されるのも至極真っ当ということか。


「今や第一編集部は全てがラブロマンスです。うちの倍以上は人数がいますが、いずれこの部署もさらに拡大していくでしょう。何より、第一編集部のやつらとくれば……!」


 ヘンリエッタさんの口調が変化した。

 何やら雲行きが怪しくなってきたぞ。


「ラブロマンス以外で売れるわけがないとか言いやがって……今や我々と第一編集部は敵対しているんです」

「えっ……ってことは僕も第一編集部に嫌われてる!?」


 俺の知らないところで勝手に嫌われているのだから、とってもよくない話である。

 でも、俺にはどうしようもできない。


「大丈夫ですよ。あいつらの一部にはアシド・ロー作品を読んだことのある人がいて、それを隠しているだけです。あれを読んでファンにならない人なんていないですから」


 さすがにそれは言い過ぎだろう。

 ミステリーは基本的に人が死ぬし、フィクションとはいえ、殺人が苦手という人もいるだろうから。

 もしかすると、俺を殺人好きだと言う人も出てくる可能性だってあるのだ。


「読まず嫌いしている人もいます。ですが、読めば先生の作品の魅力にすぐに気が付きます。それで第一編集部から第二編集部に移ってきた人もいるくらいですから」

「ははは……できれば仲良くしてほしいなぁ……」


 ヘンリエッタさんもコリンズ部長も、第一編集部とは敵対しているようだ。

 俺的にはそういう争いごとはやめてほしいが、簡単にはいかないんだろうな。


「――そうだ。挨拶もそうですけど、一応新作の原稿も持ってきたので、よければ見てもらえますか?」

「新作っ!?」


 これは手紙でも言っていなかったことだ。

 俺は紙袋から原稿用紙を取り出し、机の上へと置いた。


「よ、読んでも良いですか!?」

「ええ、大丈夫ですよ」

「ありがとうございますっ!!」


 ヘンリエッタさんはすぐに原稿用紙を受け取り、その場で読み始めた。

 昨日のアリサの原稿同様にとんでもないスピードでページをめくる。

 ヘンリエッタさんの速読は凄い。


「ヘンリエッタ、終わったら私にも!」

「部長……静かにしてください! 読むのが遅れます!」

「あぁ……」


 上司にこんな口調ができるだなんて、ヘンリエッタさんすげえな。

 と、思ったけど、なんか寒くね……?


「はっ!? ぇ……まさか……えぇっ!? ちょっと待って……あんっ……ダメぇっ!?」


 アリサの原稿を読んでいる時とは全く違って、ヘンリエッタさんはページをめくる度に表情が大きく変わった。

 ちょっと喘ぎ声っぽいものも出ているが、気にしないことにしよう。


「ヘンリエッタ……ヘンリエッタ!!」


 そして、この肌寒さをコリンズ部長も感じ取っていたようで、ヘンリエッタさんに声をかける。


「部長! 黙ってって言って…………ぁ」


 次の瞬間、ふっと何かが掻き消えるように周囲の温度が元に戻った。

 見下ろせば、カップに入っていた紅茶の表面が凍っていた。

 

「ヘンリエッタ……先生が目の前にいるんだぞ。自重しなさい」

「あっ、あぁっ……ごめんなさいっ……!」

「えっと、どういうことで?」


 なにやらよくわからないので、俺は聞き返した。


「私、感情が高ぶると適性のある氷魔法が自動的に発動しちゃうんです。元々魔法のコントロールはあまりうまくないこともあり……すみません」

「おお……こんな風になるんですね。実に興味深いです」


 まさかの魔法だった。

 使おうとせず勝手に発動するとは、ヘンリエッタさんはかなりの適性があるようだ。


 魔法は人それぞれに適性があり、一般的な属性魔法だったり、それ以外の魔法だって存在する。オリジナルの魔法を作りだす人だっている。

 俺は魔法が使えないが、家族では父や二人の兄も魔法が使えたので、どんなものかは見たことが何度もあった。


 けれど、このヘンリエッタさんの魔法の感じを見れば、強力な魔法使いにでもなれるのではないかとも思ってしまった。


 彼女は霜がついていた丸眼鏡を外し、それをハンカチで拭き拭きする。

 読み終わったのか、原稿をコリンズ部長に渡して、感想を聞かせてくれた。


「すごく面白かったです……ですが、うまく言語化できない……! 何か今までにはない技術、使っていませんか?」

「まずはありがとうございます」


 良かった。ひとまずは面白いと思ってくれたようだ。

 ここからさらにブラッシュアップはするのだが、まずは、今回の小説で使った技術について説明しておこう。


「今回使ったのは叙述トリックという技術になります」

「叙述トリック……ですか?」

「はい。叙述トリックとは、端的に言えば、文章で読者を騙す技術で、ヘンリエッタさんも、どこかで騙されませんでしたか?」


 するとヘンリエッタさんは顎に手を当てて「うーん」と考え込み、しばらくして、思いついたように口を開く。


「男性だと思っていた犯人が、女性だった……ですか?」

「他にも散りばめたところはあるんですけど、一番のポイントはそこですね」


 今回この小説で俺が仕掛けたのは、徹底的に犯人像を男だと思わせることだった。

 登場させる主人公も犯人を追い詰めようと頑張るのだが、あと一歩でいつも違う答えに辿りついてしまう。

 その理由は実は犯人が女性だったからというもの。


「犯人の語り口調、男性でしたよね。でも、振り返ると伏線が置いてあって、犯人は普段から化粧をする男性だったり、かなりの美青年に描いていました。それを辿れば、女性らしい点は見えてくるのですが、他にもミスリードを誘っていたので騙されてしまったかと思います」

「凄い……そんなことが……」


 この世界では日本では当たり前のミステリー作品で行われていたことが、全て新鮮に映る。俺はその技術を使っただけなのだが、こうして小説の目が肥えている編集者すら騙せてしまう。


「ほら、ヘンリエッタさんも僕のこと五十歳くらいだと思っていたんですよね?」

「小説内での文章もそうですが、お手紙の内容もとても若い方に書けるような文章ではなかったので……」

「今回の叙述トリックはそれに近い部分がありますね。文章の見せ方一つで、読者を騙すことができるんです」


 そう――例えば、ペンネーム一つとってもそれが男性ぽい、という理由だけで、書き手を男性と思い込んでしまう。でも、作品の内容を見てみると女性っぽかったりもする。

 そんな視覚的に見えない情報で、読者はそれを想像し、考察する。

 文字の面白いところはそこである。


「これまでの作品もそうですけど、今回は特に再読することで気づきが増えて、二回読んでも楽しめるような内容にしてみました」

「アシド・ローせん――」

「なっ、なんだこれはぁぁ!?」


 と、隣で原稿を呼んでいたコリンズ部長が大声を上げた。

 先ほどのヘンリエッタさんに近い反応だ。


「犯人はコイツだろ! と思ったのに、全然違った! これはやられた……」


 額に手を当てたコリンズ部長。

 一応は騙せたようだ。

 彼もそれなりに速読が出来るようだった。


「アシド・ロー先生……面白い! これは面白いですよ!!」

「ありがとうございます。――でもおわかりの通り、この原稿はまだまだブラッシュアップが必要です。なので、一度気になったところをいつも手紙でやりとりしているように挙げてもらって、完成に近づけられればと思います」

「はいっ! お任せください!」


 俺はヘンリエッタさんに原稿を預け、スラマガ社を出る準備をする。

 扉の前まで歩くと、わざわざ編集部の皆が立ち上がり、俺を見送ってくれた。


「ああ、そういえば言い忘れていました」


 扉に手をかけようとした俺をヘンリエッタさんが俺を呼び止める。


「サイン会しましょう!!」


 提案されたのは、できれば避けたいものだった。

 今日の編集部の発狂ぶりを見れば、尚更そう思ってしまう。


 でも、俺のサインが求められていることもよくわかった。

 だから俺はサイン会に臨むことにするのだった。




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