第7話 小説家は勘違いされる
俺の隣に並び立った人物。
桃色の長い髪を洒落た形にまとめた、同い年か、あるいは俺より少し年下にも見えるお嬢様風の少女だった。
上質そうな生地のワンピースを身にまとい、さらにその胸元にはジェイミーさんやミアよりも大きな膨らみが存在感を放っている。
そんな少女が、自信満々といった表情で俺と並び、スライム・マガジン社の建物を見上げていた。
「わかるわ――私も最初はビビって立ちすくんでいたもの。でも、できる作家っていうのは、気構えからして大事なのよ」
「えっと……」
絶え間なく喋る少女。
そういえばさっき、「あなた、持ち込み?」なんて言っていた。
どうやら俺が出版社に新作の持ち込みでもしに来たと勘違いしているらしい。
もしかして今手に持っている紙袋を原稿だと思っているのか?
いや、これはさっき書店で買った小説なんだけどな。
「ほら、ぼうっとしてないで行くわよっ!」
「あ、えっ……ええっ!?」
強引に手を引かれ、入るつもりのなかったスライム・マガジン社へと足を踏み入れることになってしまった。
こうなった以上、仕方なく付き合うしかない。
「あなた、名前はなんて言うの?」
目的の場所へ向かう途中、少女が尋ねてきた。
「俺はシャルロック・ドイルだ。君は?」
「ドイル? どこかで聞いたことがあるような気がするけど……まあ今はいいわ。私はアリサ・クリスティーよ」
「ア、アリサ・クリスティーっ!?」
思わずその場でズッコケそうになった。
彼女の名前に驚いたのもそうだが、俺が先ほど購入したばかりの小説――それを書いた人物の名前が、まさにアリサ・クリスティーだったからだ。
なぜ買ったのか。
それはもう、彼女の名前からお察しだろう。
「ふふ、もしかしてあなた。私のファンだったりする? 私が可愛いからって好きになっちゃダメよ? 私は今、小説を書くのに忙しいんだから」
「お、おう……」
確かに見た目は美少女だ。
自分の可愛さもきちんと理解しているだろうし、もし色っぽく迫られでもしたら、年頃の少年なら目をハートにして喜ぶに違いない。
ただ――少し精神的に幼い気がする。
俺としては、もう少し落ち着いた大人っぽい女性の方が好みだ。
「到着したわよ。ここがスライム・マガジン社の第二編集部よ。少し待ってなさい」
階段を上がって三階。
アリサが一人で編集部へ入っていき、俺は扉の前でしばらく待たされることになった。
それから五分ほど経った頃、扉が開いてアリサが顔を出した。
「入っていいわよ。あなたの原稿も読んでくれるみたい。門前払いされる可能性だってあるんだから、私に感謝しなさいよ」
「えっと、ありがとう……?」
何が何だかよくわからないが、俺をまだ作家ですらない人間だと思っているらしい。
正体を明かしても面倒なことになりそうだし、とりあえず黙っておこう。
この世界で初めて訪れる出版社の編集部。
第二編集部とのことなので第一もあるのだろうが、フロアを見渡した感じではざっと五十人ほどが働いているようだった。
カチャカチャとタイプライターの音が響き、机には大量の本や原稿が積まれている。
誰もが忙しそうだった。
「こっちよ」
案内された先――衝立で区切られた一角には、ローテーブルと向かい合う形で革張りのソファが置かれていた。
「こちら、ヘンリエッタさん。超敏腕編集者なんだから、しっかり挨拶するのよ」
俺が近づくと、ソファから立ち上がったのは紫色の髪を鎖骨あたりまで伸ばした女性だった。
分厚い丸眼鏡をかけていて少しオタクっぽい印象ではあるが、その奥にある瞳は活力に満ちている。見た瞬間、この人は仕事ができる人なのだと感じた。
「初めまして、シャルロック・ドイルです。成り行きでこちらにお邪魔させていただくことになりました」
「シャルロック・ドイルさん……? うーん、どこかで聞いたような……しかも割と最近……いや、今はいいか。――私はスラマガ社第二編集部で編集を担当しているヘンリエッタ・グリーンハウスです。よろしくお願いします」
「はい、よろしくお願いします」
どうやらヘンリエッタさんは、明らかに年下の俺相手にも丁寧に接してくれる人らしい。
握手を交わしたあと、俺とアリサはヘンリエッタさんと向かい合うようにソファへ腰を下ろした。
アリサは相変わらず、自信満々な顔をしている。
「――それで、今日は新作の持ち込みですか? アリサ先生」
「ええ、そうよ。まずは冒頭だけでも読んでくれるかしら?」
「わかりました――」
そう言うとアリサは持っていた紙袋から原稿用紙を取り出し、ヘンリエッタさんへ差し出した。
……コイツ、頭湧いてるのか!?
「……俺がいるのに、原稿見せてもいいのか?」
「いいのよ。私が今書いてるジャンルって、まだ開拓され始めたばかりのジャンルなの。だからそう簡単に真似なんてできないわ」
「ならいいけど……」
普通、初対面の人間が隣にいる状況で原稿を見せたりしないだろう。
少なくとも俺なら絶対にやらない。
アリサは俺をここまで連れてきたくらいには優しいけれど、少し危機感が足りない気がする。
これも若さゆえなんだろうか。
ヘンリエッタさんは速読でもしているかのような勢いで、パラパラと原稿をめくっていった。
ものの一分ほどで半分近くまで読み進めている。
本当に読めているのかはわからないが、その表情だけは真剣そのものだった。
「ふむ……ふむ……ふむ…………ダメですね」
「なんですって!?」
半分ほど読んだところで手が止まり、ヘンリエッタさんが出した結論は――ノーだった。
結構ズバッと言うタイプらしい。
それを聞いたアリサが、バンッとテーブルを叩いて不満をあらわにする。
「アリサ先生。さすがに今回の作品はアシド・ロー作品の影響を受けすぎです。設定もそうですが、セリフも少し言い回しを変えただけ。何より二作品目の『渇いた男』で注目された密室トリックの方法が、まったく同じじゃないですか」
「そ、そんなことは――――ある……かもしれないけど……ええ、白状するわ。ヘンリエッタさんの言う通りよ。今回の作品は『渇いた男』に影響を受けて、一部真似をしてしまった……ごめんなさい」
どうやらヘンリエッタさんの指摘は図星だったらしい。
最初は否定しようとしたアリサだったが、さすがに仕事相手にまで嘘はつけなかったのだろう。
観念したように肩を落とし、そのまま素直に謝罪した。
ちなみに、俺の二作品目のミステリー小説『渇いた男』は、雨の日にだけ殺人を犯す男の話だ。
犯人の男は皮膚の病気を患っており、大量の水分を摂取しなければ命に関わる奇病を抱えている。
そんな男が満足に動けるのは、大雨の日だけだった。だから雨の日にだけ殺人事件が起こる。
被害者は皆、何かしらに満たされた人間ばかりだった。
その意味は様々だが、過去のトラウマが彼を殺人鬼へと変えてしまった。
そして『渇いた男』で俺が仕掛けたのが、『密室トリック』だ。
日本ではよく知られたトリックだが、この世界ではそもそもミステリーというジャンル自体が生まれたばかり。
そういった概念を知る人間が、ほとんど存在しなかったのだ。
俺は別に凄い小説家なんかじゃない。
今のところ、ただこちらの世界にない日本の知識を使っているだけだ。
「アリサ先生は大のアシドリアンなんですよ。だからこうして作風にも影響が出ちゃったんだと思います」
「だって……あんな凄い小説を書くお方なのよ!? 影響を受けても仕方ないじゃないっ!」
暴露されたことが恥ずかしいのか、頬を赤く染めながらアリサが言い返した。
そんなにアシド・ロー作品が好きなのか。
「もちろんあなたも知っているでしょうけど、アシド・ロー様は四年前に突如として姿を現して、小説界に新たな風を吹き込んだ新進気鋭の神作家なのよ!」
両手を胸の前で握り締め、神へ祈りを捧げるような格好で目をキラキラと輝かせるアリサ。
「さ、様……?」
「私はそれまでずっとラブロマンスを書いてきたの。でもアシド・ロー様の作品を読んで、心を撃ち抜かれたのよ。私も彼みたいにミステリーを書いてみたいって……!」
俺の想像を超えるレベルで崇拝しているらしい。
まさか、その本人が目の前にいるとは思っていないだろうな……。
しかもアシド・ローというペンネームから男性だと決めつけているようだ。まあ、文体とかで何かイメージがあるのかもしれない。
「私が思うに、アシド・ロー様って、あれだけ重厚で斬新な作品を書けるんだもの。それなりに人生経験を積んでいないと無理だと思うのよね。多分三十代……いや、四十代のイケオジじゃないかしらっ!」
「そうでしょうか。私は五十代でもおかしくないと思っていますけど」
「へえ……」
凄いなヘンリエッタさん。
中身の年齢を数えれば、俺はまさに五十三歳だ。
文体から年齢まで感じ取れるものなのだろうか。さすが敏腕編集者である。
「――私の番は終わりよ。ほら、今度はあなたも見せてみなさいよ」
ヘンリエッタさんにダメ出しされたというのに、アリサはまったく態度が変わっていなかった。
この程度でいちいち落ち込まない精神力。建物の前で言っていた「気構えから大事」という言葉も、あながち間違いではないのかもしれない。
「ええと……俺のはこれです」
そう言って、俺は持っていた紙袋から一冊の小説を取り出した。
「シャルロックさん、それって――」
「私の小説じゃないっ!」
予想通りの反応だった。
「俺はただ建物を眺めていただけだ。それなのにアリサが勘違いして、ここまで連れてきたんだぞ」
「だったら早く言いなさいよー! というか、あなた私のファンだったの!? もう……それも早く言いなさいよね!」
言いながら、アリサは俺の買った小説を手に取った。
今日初めて手に取った作品なのに、まだファンなわけがないんだが……。
「特別にサインしてあげるわっ」
「えっ……」
するとアリサはどこからともなくペンを取り出した。
表紙裏を開き、さらさらと迷いのない手つきでサインを書いていく。
「ペンなんて持ち歩いてたんだな」
「当たり前じゃない! いつでもサインできるようにしておくのも、小説家の嗜みよっ」
「マジか……」
この世界では、小説家という職業はそんなに人気なのだろうか。
サイン用にペンを持ち歩くなんて、日本ではなかなか考えられないことだ。
「はい、できたわよ。――これで家宝になったわね!」
「ああ……ありがとう」
アリサは満面の笑みを浮かべながら、サイン本を差し出してきた。
「ヘンリエッタさん、すみません。お時間取らせてしまって」
「いいんですよ。アリサ先生はこういう方ですから。たまに暴走しますけど、やる気だけは人一倍あります。だから私も編集者として真面目に向き合っています」
「そうよ、シャルロック。少しでもアシド・ロー様に追いつけるように……いや、神には追いつけないんだけど、私は止まってなんていられないの!」
「そうか……アリサは良い作家になれそうだな」
「当たり前よっ!」
眩しいくらいに明るい性格だった。
アリサと話していると、不思議とこちらまで元気になってくる気がする。
俺とは正反対の性格だ。
けれど最初に抱いた印象よりも、ずっと好ましく思えていた。
頑張れ、アリサ・クリスティー。
お前はきっと、有名になる。
そうして俺たちはスライム・マガジン社を後にした。
「――そういえば、シャルロックって何歳なの?」
「ん、俺は十八歳だ。地元の学校を卒業して、そのまま王都に来たんだ」
「へえ、そうなの! 私も十八よ。同い年じゃないっ」
少し幼く見えていたが、同い年だったのか。
いや、もしかするとこれが普通の十八歳なのかもしれない。
思えばマリーナ姉さんも、こんな感じだった気がする。
「そうだったのか。それだけ若いのに小説家やってるなんて凄いな」
「確かに凄いとは思う……でも、私なんてアシド・ロー様の足元にも及ばないわ。竜と蟻くらい違うもの。だから若いってだけで慢心しないように頑張るの」
小説に対する想いは、若さだけではない何かがあるのだろう。
俺が前世でデビューしたのは、会社員だった二十代半ばの頃だ。
それを思えば、アリサは本当に凄い。
この感じだと、既に何作か刊行しているようだし、きっとかなり若い頃にデビューしたのだろう。
「じゃあね。またどこかで会うかもしれないわ。他の私の小説を買ってくれたら、その時もまたサインしてあげるっ」
「ふふ……そうか。なら、その時は頼むよ」
「ええ!」
笑顔のまま、大通りを歩いていくアリサ。
俺はその背中が人混みに消えていくまで見送ったあと、自分の家へ帰ることにした。
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