第3話 小説家は一人暮らしをする
十八歳になった。
ついに俺は義務教育学校を卒業し、家を出て一人暮らしを始めることになった。
「ゔえええええええんっ!! しゃるぅぅぅぅぅぅ〜〜〜っ!!」
屋敷の前では、姉のマリーナが大号泣していた。十九歳になった彼女は以前よりずっと大人びて、美人と言って差し支えない女性になっているのだが――今の姿はどう見ても駄々をこねる子供でしかない。
「姉さん、そんなに泣かなくても。俺、あまり帰らないかもしれないけど、王都に遊びに来ればいいじゃん。ほら、新作が出たらちゃんと送るからさ」
「帰っでぎでよぉぉぉ〜〜〜っ!!」
「えっと…………じゃあ、たまには」
「うん、うん……っ!!」
俺は家族に恵まれたと思う。
前世ではずっと一人で生きていた。けれど、この家族にはちゃんと情が湧いていた。
俺のやることを全部否定せず、受け入れてくれた。そして、これから始める一人暮らしのことも許してくれた。
両親としては心配だろう。
だが、この世界には学校を卒業してすぐ独り立ちする人間だって普通にいる。
俺だけが特別というわけじゃない。
「じゃあ、みんな行ってくる」
王都行きの馬車へ乗り込み、見送りに来てくれた家族へ手を振る。
よく見れば、両親も目に涙を浮かべていた。
兄たちは相変わらず元気そうだった。むしろ以前よりさらにイケメン度が増している気がする。
二人がいれば、ドイル領はきっと安泰だろう。
「……みんな、ありがとう」
生きてきた年月だけなら、誰も俺より短い。
けれど、それを感じさせないくらい、この家族との時間は充実していた。
小さく感謝を呟き、俺はドイル男爵家の屋敷を後にした。
◇◇◇
俺が暮らすロンドリス王国。その王都までは約二週間の旅だった。
場所によっては山や洞窟で採掘される魔鉱石を動力にした魔導列車が走っているらしい。
だが、残念ながらドイル領にはまだ線路が繋がっていない。
そのため、今回は馬車での移動となった。
途中、何度か魔物にも遭遇したが、護衛を雇っていたので俺の出番は特になかった。
ただ、初めて見る魔物は普通に怖かった。
遭遇したのは猪型や鳥型、トカゲ型など様々。
そして思った。
俺はまだちゃんと、死ぬことを怖がっているのだと。
「坊っちゃん、到着しましたよ」
声をかけてきたのは、ドイル男爵家御用達の御者のおっちゃんだ。
小さい頃からずっと世話になっているので、俺のこともよく知っている。
王都へ来たのは今回が初めてだった。
ドイル領の都市へ行ったことは何度もあるが、王都へ来る機会はなかった。
学校もあったし、何より屋敷で小説を書いている時間の方が大切だったからだ。
だが、これからは違う。
王都の入口から見えた城下町は、思わず見惚れる景色だった。
綺麗に整備された石畳の道。街のあちこちを流れる水路。
どこかベネツィアのような雰囲気がある。
だが、その先――街を見下ろすように高台の上へ聳え立つ王城が、ここが異世界なのだと強く実感させてきた。
さらに街の中を進んでいくと、今度はまた違う印象を受ける。
建物は石造りのものも多いが、それ以上にレンガ造りの建築物が目についた。
そして何より、一際目を引いたのは王都の象徴とも言える巨大な時計台だ。
それを見て思う。
この街はベネツィアというより、むしろロンドンに近い。
「――こちらが坊っちゃんのお住まいになります。家具は既に揃えてありますので、必要なものはご自身で用意してください」
「ああ、ありがとう」
「ですが……本当にこちらでよろしいのですか?」
馬車のまま案内された家は、高台に建つ一階建てのアパートだった。
建物名は『アパート・ベイカー』。
少し広めの造りらしいが、築年数はそこそこ経っている。
おっちゃんが気にしているのは、男爵家の三男が住むにしては随分庶民的な住まいではないか、ということだろう。
「いいんだよ。――むしろ、やっと……だからな」
「はぁ……?」
意味深なことを呟いた俺に、おっちゃんは不思議そうな顔をした。
前世の俺はアパートで一人暮らしだった。
あの頃の執筆環境へ、もう一度戻ってみたい。
その願いが叶った結果、用意されたのがこの家だったわけだ。
「じゃあ、みんなによろしく」
「承知してますよ。私もたまには顔を見に来ますからね」
「ああ、助かる」
御者のおっちゃんを見送ったあと、俺は大家が住んでいるという隣の一軒家へ向かった。
ベルを鳴らし、人を呼ぶ。
しばらくして出てきたのは、赤ん坊を抱いた緑髪の女性だった。
長い髪をバンダナでまとめた美人で、年齢は二十代半ばくらいに見える。
「あら! もしかして、あなたがシャルロック・ドイルくん!? あら〜、本当にイケメンくんね! お召し物も素敵!」
……くん、か。
まあいい。俺にとって貴族社会なんて正直どうでもいい。
それより家族が俺のことを何て紹介していたのかの方が気になる。
「はい、そうです。これからお世話になります。鍵を――」
「おぎゃあ! おぎゃあああ!」
「…………」
「ご、ごめんなさいねぇ……」
鍵をいただけませんか、と言おうとしたところで、赤ん坊の泣き声にかき消された。
俺は別に小さい子供が好きじゃない。
孤独に小説家なんてやっていた人間だ。赤ん坊の泣き声なんて、昔の俺なら騒音くらいにしか思わなかった。
だから――
「ベロベロベロベロ〜〜〜!!」
「きゃっ、きゃっ!!」
「わぁ、すごい……! この子、初対面の人にはあまり懐かないのに……ふふ、お兄ちゃんのお顔面白いわね〜」
日本では割と定番のあやし方だ。
変顔をして舌を出す。
すると赤ん坊は楽しそうに笑い、小さな手を伸ばして俺の指を掴んできた。
握れば簡単に壊れてしまいそうなくらい、小さな手だった。
……俺も小さい頃、兄たちによくこうしてもらった覚えがある。
例えばおしっこやうんちをしたくなった時。
中身は大人のはずなのに、小さな体は感情の制御がうまくできなくて、勝手に泣いてしまうのだ。
そんな時、兄たちには本当に世話になったものだ。
「あの……鍵、いただけますか?」
「あっ、そうだったわね! ちょっと待ってて!」
女性は慌てて家の中へ戻り、少しして鍵を持って戻ってきた。
スペアキーも合わせて二つ渡してくれる。
「ちなみにこれ、ゴミ出しの曜日表と王都の地図ね。わからないことがあったら、いつでも聞いてちょうだい」
「丁寧にありがとうございます。何かあれば伺います」
「これから新生活ね。楽しみだわ」
「はい。若輩者ですが、よろしくお願いします」
貴族が平民相手に頭を下げるなんて、普通ならありえない。
だが、ここは社交場じゃない。
優しくしてくれる人には、俺もちゃんと応えたい。
そういうものだろう。
そうして持ってきていた日持ちするお菓子をお土産として渡し、俺はアパートへ向かおうとして――ふと思い出した。
「あ、大家さん。そういえばお名前は?」
赤ん坊を抱えた女性は、にこりと笑って答えた。
「――ヘミング。ヘミング・ウェイズよ」
「っ……!」
その名前を聞いた俺は、思わず笑ってしまった。
そして、もう一つだけ尋ねる。
「その子の名前は?」
「この子? この子はアーネストよ」
……はは。
面白い。
神よ。まるで俺を小説の世界に送り込んだみたいじゃないか。
――いや、違うな。
ここは異世界。
剣と魔法が存在する、まさしく小説みたいな世界だ。
俺の人生――少しくらい面白いことが起きそうだ。
「とても良い名前ですね」
「ふふ、ありがとう」
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