第13話 小説家は侯爵令嬢の屋敷に招待される②
「ふぅ……まさか温水洗浄付きだとは……結構進んでるな、王都の魔道具は」
ドイル領は見かけなかったトイレ。
しかし、クリスティー家のトイレにはお尻に温水をかけてくれる機能があったのだ。
これ、実家にも欲しかったな。もっと稼いだら実家に送ってあげようかな。
「ん……」
と、廊下からアリサの部屋へ戻る途中だった。
先ほどは開いていなかった部屋の扉が少しだけ開いていたのだ。
こっそりと覗いてみると、そこにはたくさんの書棚と数え切れないほどの本が並べられていた。
そして――
「アリサのタイプライターか……」
机の上にはアリサが使っていると思われる赤のタイプライターと、書きかけの原稿用紙が机の横に置かれていた。
「これ、ヘンリエッタさんに渡していた原稿か?」
俺の作品に似た内容を書いていたという新作。
あれからアリサは改稿したのだろうか。
気になったので少しだけ見てみることにした。
「ふむ……ふむふむ…………」
結論から言えば、アリサの小説はミステリーの型がまるでなっていなかった。
もしかすると俺が買ったアリサの小説もそうなっているのかもしれない。
これは大問題である。
まず、冒頭で人が死んでいない。
ミステリーでは、とにかく冒頭で人を殺す。冒頭でなくとも、とにかく早い段階で人を殺すのが鉄則だ。
この小説ではそんな殺人事件の謎を追って解決していきますよ。という提示が必要なのだ。
そういえば、ヘンリエッタさんが編集なんだよな。
うーん。俺なりの書き方はあるけれど、ヘンリエッタさんもミステリーをどこまで理解しているのだろうか。
もしヘンリエッタさんの理解が及んでいない場合、アリサへの指摘の幅も少なくなる。今度ヘンリエッタさんに話してみよう。
でも――
「これでよし……と」
俺は置いてあったメモ帳の一番上にペンでメモを書き込んだ。
これくらいなら俺が書いたとわからないはず。
まあ、アリサになら、バレてもいいか……。
と、アリサの部屋から出ようとした時だ。
「お兄しゃん、だれ? なにしてるのー?」
「うおっ!?」
振り返った途端、声をかけられたので俺は驚いて一歩下がった。
俺に声をかけた人物に視線を送ると、俺の腰ほどの背丈しかない小さな子だった。
アリサと同じピンク色の髪をツインテールにした幼女である。
歳は五歳とかそこらだろうか。とにかく小さい。
「えっと……俺はシャルロックって言うんだ。シャルで良いよ」
「しゃるぅ?」
「うん、シャル。君の名前は?」
好奇心旺盛なのか、俺を見ても騒ぎ出すなんてことはなく、ただ純粋に俺に興味を持ったらしい。
だからひとまず俺は彼女の目線までしゃがみ、会話することにした。
「わたしは、あにゃにゃにゃにゃ・くりすてぃー!」
「な、なんて?」
「あにゃにゃにゃにゃ・くりすてぃー!」
マジで何を言っているのか聞き取れない。
このくらいの歳ならハキハキと喋れても良いような気もするが、言いづらい名前なんだろうか。
「普段は皆になんて呼ばれてるの?」
「あーしゃって呼ばれてる」
「アーシャか。わかった。じゃあアーシャって呼ぶね?」
「うん、いいよー!」
この歳の頃は体を動かすことが好きなのか、俺と喋っている間にもくるくると体を回転させたり、動き回ったりしていた。
子供は嫌いだが、少しだけ可愛いと思ってしまった。
「もしかしてアーシャはアリサの妹?」
「んー、わたしはアリサお姉さまの妹だよ!」
やはりそうだったか。
というかこれほど似ているのならそれしかあり得ない。
随分と歳が離れているものだ。十歳以上も離れている。
「ねえ、あそんで?」
「俺は今アリサとお茶してたところなんだけど……じゃあ一緒に行く?」
「いくー!」
とりあえずアリサのもとへ戻ろうと提案したことだが、アーシャが聞き入れてくれてよかった。
この頃の子供は言うことを聞かないことが多いからなぁ。
「おんぶ」
「え」
「おんぶ!」
「……わかった」
人懐っこいにもほどがある。
俺は仕方なく再度しゃがみ、アーシャに背中を差し出した。
アーシャは俺の背をずりずりと登っていき、そして何を思ったのか俺の肩へと脚を回したのだ。
おんぶというより、肩車になってしまった。
「れっつごー!」
「れ、レッツゴー!」
アーシャのノリに合わせて、俺も掛け声をかけて執務室から出ることにした。
◇◇◇
「……あなた、何をしているの?」
俺がアーシャを連れて戻ると、アリサは眉を寄せながら俺を冷えた目で見つめる。
「トイレから帰ってる時に、アーシャに声をかけられてな。遊んでっていうから連れてきた」
「アーシャもあそぶー!」
「はぁ……別に良いけれど……あなた、そのままでいる気?」
アリサが指摘したのは俺をアーシャを肩車していたこと。
確かにこのままでは椅子に座れない。
「アーシャ、一旦降りてくれるか?」
「え〜〜〜」
「アーシャ。お客様に迷惑かけちゃダメでしょ?」
「わかった……」
思いの外、アーシャは聞き分けが良い。
さすがは侯爵家というべきだろうか。
「あの……アーシャさん?」
「アーシャここがいいっ♪」
俺が椅子に座ると、アーシャがニコニコしながら俺の脚をよじ登って膝の上に座ってきたのだ。
体重は軽いが、変な気分だ。俺はドイル家では末っ子だったから、されていた側だ。
「あなた、子供に好かれる何かでも持ってるの?」
「いや、俺どちらかと言えば子供が嫌いなんだが……扱いとか全然わからないし」
「へえ。でもアーシャはこれでも結構大変な子なのよ? お母様だって厳しくしているはずだし」
「今でも十分大変なんだが」
俺がアーシャの要求を呑み込んでいるせいか、あまり駄々をこねたりすることはなかった。
今は目の前で用意された焼き菓子と俺のカップを手に取り紅茶を飲んでいる。
「シャルはアリサお姉さまの旦那さまなの?」
「……もうその手は慣れたぞ」
先ほど既にメイドにからかわれたばかりだ。
アーシャに言われるだろう予想もしていた。
彼氏以上の立場にはなってしまったが、このくらいでは同様しない。
「アーシャ!? あなたまでなんなの!? わ、私がこいつのお嫁さんだなんて絶対にありえないわ!」
ちょっとアリサさん? さっきと同じ反応してますが、こんな小さな妹に反応しすぎじゃ!?
そもそもカップの間接キスではあっけらかんとしていたくせに、アリサが恥ずかしがるポイントがまるでわからない。
「でも、アリサお姉さまが言えにつれてきた男の子はじめて」
「そうだけど……」
「シャル、アリサお姉さまはさみしがりやだから、構ってあげてほしい」
「ちょっとアーシャ、何を言って……」
アーシャの言葉にアリサはため息を吐いた。
アリサが寂しがりやのイメージはあまりないのだが、そうなのだろうか。
「いつも部屋にこもってあまり外に出ない。外に出てもすぐにかえってくる」
「あー、そういうことか」
理解した。今のアリサは、毎日小説を書いている。
この数日間でアリサを見かけたのも、スラマガ社とインクリボンを買うための魔道具量販店。どちらも小説に関するための行動だ。
「アーシャ。アリサは今、人生の帰路に立っているんだ」
「きろ?」
「ああ。この先、本を書くための仕事を続けられるか、それとも家のために本を書くのを辞めて誰かと結婚するか」
小さなアーシャにはおそらく理解できないことのはずなのに、なぜ俺はこんなことを言ってるのだろう。
「なんでけっこんしたら本を書けないの?」
「アリサは偉いんだ。偉い人は家の為に偉い人と結婚しなければいけない。それがこの国では普通のことなんだ。だから本を書いている時間は少なくなるんだ」
実際は本を書けないなんてことはないだろう。
でも執筆のスピードは明らかに減る。それに貴族なのだ。一般家庭とはかけ離れた仕事だって多いはずだ。何よりも夫の仕事の為に尽くすことが当たり前となっている。
「シャルはえらくないの?」
「俺は……まああまり偉くはないな」
「じゃあ、えらくなって? えらくなったらかいけつ!」
「うーむ……」
アーシャからの質問&お願い攻めに俺はタジタジになる。
おそらく俺とアリサとくっつけたいのだろうが、身分からしてとても難しい。
せめて俺が長男であり、家業を継いでいれば可能性は少しだけ上がっていたかもしれない。
「アーシャ。良い子だからもうシャルロックを困らせちゃダメよ」
「う〜〜〜〜〜」
俺の様子を見てか、ついにアリサが口を挟んでくれた。
アリサが抱える問題。俺ごときがどうにかできるわけがない。
できることがあるとすれば、小説について指導することだが、できればアリサにはバレたくないんだよな。
「アーシャ。アリサのことを大切にしてあげるんだ。好きなんだろ?」
「うん。アリサお姉さまのことは大好き」
「よし、今はそれでいい」
自分の役目をまだ小さなアーシャが肩代わりすることはできないだろう。
このままアーシャは純粋に育ってほしいものだ。
「それじゃあな」
「ええ。コーヒーメーカーを購入したらあなたの家に届けるよう手配するわ」
「助かるよ。ありがとな」
しばらくお茶を楽しんだあと、俺は玄関先で三人に見送られていた。
アーシャと手を繋ぐアリサと家令のロストさんだ。
「シャル、また来てね」
「ああ。また今度な、アーシャ」
アーシャに挨拶し、ロストさんにも軽く頷いてから俺はアリサの家を出た。
帰るこの時までアリサの両親に遭遇しなかったのは、奇跡だったかもしれない。
◇◇◇
「――さて、夕食まで執筆しましょうか……と、その前に」
シャルロックが家を出てから、屋敷の中へ戻ったアリサ。
小説の執筆をするために執務室へ向かおうとしたが、外へ出て家でお茶もしたことで、少し汗をかいてしまっていた。
そこでアリサは一人、シャワーを浴びようと浴室へと向かった。
キュッとハンドルを回し、温度調整すると頭上からお湯が降り注ぐ。
「ふう……本当になぜかしらね……」
アリサは考え込んでいた。
それはシャルロックのことだ。
「自分から男の子に声をかけたことなんて、今までほとんどなかったはずなのに、なぜ私はあの子に声をかけてしまったのかしら……」
アリサは小説家として大成するため、できるだけ色恋を排除してきた。
だから自分から男性に声をかけることなど、しないようにしてきた。
そのはずが、いつの間にか声をかけてしまっていたのだ。
「スラマガ社の前に立っていたから? それとも私の本を買ってくれていたから、あの後も声をかけてしまった……?」
不思議だ。一度きりではなく、こうして家にまで連れてきてしまった。
こんな姿を身内に見られれば、そういう相手だと勘違いされても仕方なくない。
それはアリサもわかっていたはずだった。
「はぁ……自分というのは、意外とわからないものね。――でも、シャルロックのことは、なぜか気になっちゃうのよね……も、もちろん恋愛的な意味ではないわ。うん、そうよ」
シャワーを浴び終えると、キュッとハンドルを閉め、タオルで体を拭いていった。
そうして服も着替えたアリサが執務室へと向かうと、部屋の違和感に気づいた。
「こんなメモ、置いてあったかしら? ……もしかしてアーシャの仕業? あの子ったらイタズラ好きなんだから」
と、まだうまく文字も書けないはずのアーシャのやったことだと思ったからか、アリサは内容も見ずに一枚のメモを手に取り、ゴミ箱へと捨てようとする。
しかしその途中で気づく。一瞬見えたメモに書かれた文字の丁寧さ。アーシャは椅子の上までよじ登り、こうまでして綺麗に文字を書けるのだろうかと。
「まさか……」
アリサは一度ぐしゃぐしゃにしたメモを開き、文字が見えるように綺麗に伸ばしてみせた。
シワが残ってしまったが、刻まれた文字はしっかりと見えた。
そこには三つの文が箇条書きで書かれていた。
「『冒頭で必ず殺せ』『男同士のバディ』『被害者の死は幸福であっても良い』…………なに、これ……?」
アリサはその三つの文を見て、衝撃を受けた。
これまで出版したアリサの小説は五冊。どれも単巻完結ものであり、その四つまでがラブロマンスだった。
アリサが転機を迎えたのは、アシド・ローというルーキーが彗星のごとく現れてから三年後の事だった。
そもそもラブロマンスにしか興味のなかったアリサは、幾ら持て囃されても他のジャンルには興味がなかったのだ。
だからアリサがアシド・ロー作品に手を出すのは遅れたとも言える。
ある時、担当編集のヘンリエッタから、他の小説も読んで見識を広めるよう言われた。
アリサは仕方なく、目立っていたアシド・ロー作品を一つ手にとってみたのだ。
それからというもの、アリサは一瞬でアシド・ロー信者となり、ついにはラブロマンスを捨てて、ミステリーへと作風を大きく変えたのだった。
だが、アリサはいつも悩んでいた。
開拓され始めたミステリーというジャンルは言語化できないテクニックがたくさんあったから。
故に、ミステリーで行われるテンプレートもまだまだ理解していなかった。
だからこそ、メモに書かれた文に衝撃を受けた。
「そう、そうなのね! まずは最初に人を殺して読者をこちらの世界に引き込む……! でも、他の二つはどういう意味かしら……」
一つ目の『冒頭で必ず殺せ』はすぐに理解できた。
でも、『男同士のバディ』『被害者の死は幸福であっても良い』の二つはまだ理解できていなかったのだ。
「なぜ男同士のバディなのかしら? 事件を解決する主人公というのはわかるけれど、なぜバディ? しかも男同士なんて……それに、最後のこれが一番わからないわ……」
ミステリー以外にも通じるその内容ではあったが、まだこの世界にはないジャンルがあったのだ。
アリサはまだその事には気付けないが、それをわかった上でシャルロックは、彼女に考えさせようとわざとこのような書き置きをしていた。
「でも、少しだけ次の原稿に活かせそう! さすがはアシド・ロー様ね! ミステリーをよく理解している――――って、なんで私アシド・ロー様って……どういうこと?」
おかしい。なぜ自分はアシド・ローの名前を出したのか。
アシド・ローが、自分の部屋に忍び込んでこのような書き置きをするはずがないのに。
でも、心当たりがあるとすれば――
「――まさか私の知らない内にアシド・ロー様が屋敷にやってきた!? お、お母様に確認しないと!」
アリサはシャルロックがアシド・ローだと微塵も疑うことはなかった。
執務室を出て、まずは母親を探すことにしたのだ。




