第12話 小説家は侯爵令嬢の屋敷に招待される①
「入っていいわよ」
「えっと……マジか」
連れてこられたのはまさかのアリサの自室だった。
アリサが選んだと思われる可愛らしい家具に、天幕付きのベッド。中央の丸テーブルには四脚の椅子が並び、そこへ座るよう誘導された。
「……どうかしたの?」
「いや、本はないのかなって」
この部屋には本が一つもなかった。
アリサなら棚いっぱいに本を持っていると思っていたんだが。
「ああ、ここはお茶と寝るためだけの部屋だもの。私専用の執務室が別にあるのよ。そこに本とタイプライターもあるわ」
「さすがはお嬢様だ」
俺の家にも空き部屋はあったが、自分専用の部屋は一つだけだった。
侯爵家の財力はそれほどに凄いらしい。
「少し待ってなさい」
そう言うとアリサは一旦部屋を出て、すぐに戻ってきた。
おそらくは使用人にお茶を用意するように言ってきたのだろう。
「なあ。俺、本当にここにいていいのか? 誰かに殺されないか?」
「はぁ? 理由のわからないことを……あなた、逆に殺されたいの?」
例えばアリサの父親とかな。
娘が男を見知らぬ男を連れ込んでいるのだ。
しかも二人きりでアリサの部屋にいるところを見られたとしたら、どうなるかわからない。
アリサだってさっき、紹介したら面倒なことになりそうだなんて言っていたじゃないか。
既に家令のロストさんから伝わっている可能性もあるが……。
しばらくするとコンコンとドアをノックする音が聞こえた。
「入ってきなさい」
「失礼します」
アリサが入室を許可すると、二名のメイド服の使用人がケーキスタンドとティーセットを乗せたカートを押して中に入ってきた。
二人は俺やアリサよりも少しばかり年上に見えた。
二人は手際よく、テーブルの上にケーキと茶器をセットしていき、そしてティーポットからカップに熱い紅茶を注いでいく。
「……もしかして、アリサ様のボーイフレンドでしょうか?」
準備している最中、一人のメイドが俺に向かって質問をしてきた。
「え?」
「いえ、アリサ様がこうして同年代の男性を連れてくるのは初めてでしたので」
「俺はボーイフレンドじゃない。ただの……ただの……なんだろう」
「はあ? 何言ってるのよ。あなたは私のファンでしょ?」
俺が言い淀んでいると、アリサがため息を吐きながら説明する。
「ファンなのですか?」
「えっと…………ファンなのかな」
アリサからすれば俺はただのファンだ。
でも、せめて友達とかそういう関係で紹介してほしかった。
「そうでしたか。先ほどロスト様からドイル男爵家の方がお客様としていらっしゃったと聞きましたので、てっきり縁談でもなさるのかと」
俺のことは既に使用人には伝わっているらしい。
「ちょっとあなた……侯爵家の私が男爵家の相手と縁談するわけがないでしょう? 勝手な勘繰りはやめてほし…………あ、ごめんなさい。あなたの家を貶すつもりはなかったの。謝るわ」
侯爵家ほどの爵位の高い貴族だ。
最下位である男爵家の、しかも三男との縁談など、まずあり得ない。
当たり前のことなので、俺は気にもしていなかったが、アリサは気にしたらしい。
高飛車な態度をするくせに、こういうところは好感が持てる。
だから、少し調子に乗ってしまった。
「なんだよ。じゃあ俺が独立してデカい会社を作るか、爵位をもらうほどの功績を立てたら、縁談してくれるっていうのか?」
貴族以外でも縁談の可能性があるのは、よほど儲かっている会社の社長か御曹司だろう。国に貢献するほどの功績を立てれば爵位だって授かることだってあるのだ。
もちろんそこから爵位を上げるための努力も必要だ。
「は、はぁぁぁぁぁぁぁぁっ!! あなた、何を言って――!!」
冗談のつもりだったのだが、なぜかアリサの顔が真っ赤になった。
赤すぎてリンゴのようである。
「アリサ様、お顔が真っ赤ですよ」
「シャルロック様もご上手ですね」
二人のメイドが微笑みながらそれぞれに指摘する。
「い、淹れ終わったのなら早く出ていきなさい! 後は自分で注ぐから!」
「かしこまりました」
「ごゆっくりお過ごしください」
プンスカしてしまったアリサは、クスクスと笑う二人のメイドを追い出した。
アリサはメイドともそれなりに仲が良いらしい。
慕われているのかどうかはわからないが、悪いことではないだろう。
「はあ……もう、なんなのかしら……あなたがあんなことを言い出すから私は……」
「本気にしたのか? まあ、俺は爵位に興味はないからな。どうやってもアリサとは結婚なんてできないだろう」
「…………」
そう返すと、アリサはこちらをじーっと見つめながら無言になる。
その流れでカップを手に取り紅茶を一口含んだ。
俺も同じく一口飲んでみる。
爽やかなアールグレイのような香りが口に広がり、心を落ち着かせてくれた。
やはり高級茶葉らしい。飲んだことのない上品さだ。
「シャルロック、あなた縁談はなかったの?」
「んー……ああ、一応あったんだが、俺は王都に来たかったからな。断ったよ」
「ということはドイル領の誰かだったのかしら?」
こいつ、凄い質問してくるな。
まあ、答えたくないわけじゃないからいいんだけど。
「ああ、カルヴィーノ社の娘だよ」
「あら、あの美味しい焼き菓子の」
「そうだ。学校で同じクラスだったんだ。でも、あいつと結婚なんてしたら俺は一生ドイル領暮らしだ。こっちに支店を作るだなんて話もあったが、どちらにせよ仕事が増える」
そう、俺がアパートの皆に配ったカルヴィーノ社の焼き菓子。
ドイル領で一番美味しいお菓子屋さんなのだが、その娘が会社を継ぐことになっている。
俺がもしそんな相手と結婚でもしたら、ドイル領から離れられなくなり、ドイル領の管理に加えてカルヴィーノ社の経営まで携わらなければいけなくなる。
小説家としてずっと生きたい俺にとっては絶対にあり得ない選択肢だったのだ。
「ふぅん……でもその子、可愛かったりしなかったの? 実は後悔してたり」
「クラスでは一番可愛かったかな。俺がドイル家の人間だとわかる前からなぜか俺に興味を持った不思議なヤツだったんだけど、俺は興味がなかったからな」
あいつによれば、俺は他の男子生徒とは全然違って大人っぽいところが良かったらしい。そりゃあ中身は五十歳のようなもの。そう見えてしまうだろう。
だからその後、俺がドイル家の息子だと知ったあいつはすぐに縁談を申し込んできた。
でも、断ったあともずっと俺にアプローチしてきて大変だった。
姉のマリーナ、そしてアリサもグイグイ引っ張る系だが、あいつはそれ以上だった。
正直、離れられて良かったとも言える。
「へえ……そうなのね。じゃあ、今は縁談も何もないのね」
「そもそも俺は結婚する気がないからな。恋愛だってよくわからないし、相手を幸せにできる自信もない」
小説にしか向き合ってこなかった結果とも言える。
女性との付き合い方が全くわからないのだ。
「あら、結構冷たい性格なのね。一匹狼のつもりなのかしら?」
「それが性に合ってる。アリサだって人気小説家を目指してるなら、少しは俺の気持ちがわかるんじゃないか?」
「そう? 私が知っている女性の小説家は結婚している人が多いわよ。だからパートナーが必要ないという考えはない。でも、今の私に残されたのはあと二年。男にうつつを抜かす時間なんてないのよ」
どんな仕事でもパートナーがいてもできる人はできるのだろう。
俺はそれが向いていなかったというだけ。
「アシド・ロー様からアプローチされたら別だけれどね。あのお方と結婚なんてできたら多分幸せよ。だって私が目一杯尽くすんですもの。何でもしてあげたいと思うわ」
「顔もわからない相手に……よくもそこまで尽くせるな」
「あなたもアシド・ロー作品を読み込めば理解できるわ。同じ男でも好きになってしまうわ」
俺は自分の魅力が全くわからない。
そもそも前世から自己肯定感が低いのだ。
本気で文章は書いてはいるが、一歩外に出ればただの一国民だ。
でも、ちゃんとファンはいるんだよな。
「ああ、そう言えば、アシド・ローって人、サイン回するらしいよ」
「なんですって!?」
昨日の今日だが、アリサには話して良いだろう。
「あ、あなたどこでそれを知ったのよ!」
アリサは立ち上がり、身を乗り出すように聞いてくる。
かなり興味があるようだ。
「ほら、ヘンリエッタさんいただろ? 昨日、王都を歩いてたら、たまたま会ってさ。そんな話をしてたんだよ」
「ヘンリエッタさんが!? あの人が言っているなら確実じゃない! ねえ、いつどこでやるの!? 申込方法は!?」
「ちょ、ちょっ……近いっ!」
アリサの巨乳が近づき、気圧されてしまう。
しかも香水なのか、良い匂いがするからさらに困る。
「いいから早く教えなさい!」
「えっと……まだ企画したばかりだから、細かい日時や場所はこれからだと思うけど……定員は五十人って言ってたかな」
「たった五十人!? 国中にファンがいるというのに……そんなの、争奪戦じゃない!!」
国中……それを考えるととんでもないことになる。
まさかわざわざ王都の外からサイン会に来る人もいるのだろうか。
なんだか怖くなってきた。やっぱり中止にしようかな……でもアリサのこのキラキラした目を見たらもう中止になんてできないよな。
「ヘンリエッタさんの方が知ってると思うから、自分で聞いてみなよ」
「そ、そうね! 聞いてみるわ! ……んっ、んっ……はぁ……もう一杯」
自分を落ち着けるためか、アリサはカップの中の紅茶を飲み干し、ポットからおかわりを注いだ。
「アリサ、トイレ借りてもいいか?」
「いいわよ。部屋を出て右。突き当り直前の部屋にあるはずよ」
「わかった」
俺はアリサを部屋に残し、一人廊下に出た。
誰かに遭遇したら面倒そうなので、こそこそと移動することにした。




