4月 ダイヤモンド ~偽物の金剛石
熊本地震が発生した日、愛媛県で介護職員として働く石本冬美は、介護応援職員として熊本県へ向かった。
応援派遣期間は六日間。
慣れない土地での勤務は、想像していた以上に慌ただしかった。
被災した高齢者の不安を受け止めながら、食事や排泄の介助を行う。
自分にできることは限られていたが、目の前にいる人に向き合うことだけは忘れなかった。
施設に入所していた山上のおばあさんは冬美が食事を運ぶたび決まって声をかけてくれた。
「姉ちゃん、今日も来てくれたとね。ありがとなあ」
「おはようございます。朝ご飯、持ってきたけんね」
「けんね? そら、なんのことな?」
「えっ? ここに置いとくよ、いうことよ」
「ああ、そぎゃんね。姉ちゃんの言葉は、時々わからんばってん、よかよか」
山上のおばあさんが笑うので、冬美もつられて笑った。
「おばあちゃんの言葉も、うちにはちょっと難しいんよ」
「そぎゃんね。ばってん、言葉が違うても、腹が減るとは一緒たい」
二人は顔を見合わせ、また笑った。
地震によって、それまでの暮らしを失った山上のおばあさんには、誰かと笑い合う時間は久しぶりだった。
六日目の朝。
冬美は、いつものように一番最初に山上のもとへ食事を運んだ。
「山上さん、おはようございます。今日の朝ご飯です」
「姉ちゃん、今日でお別ればい?」
「そうなんよ。今日で応援派遣が終わるけん、愛媛に帰らんといかんのよ」
「そぎゃんねえ。寂しゅうなるばい」
山上さんは寂しそうに笑う。
「うちも寂しいんよ。でも、ここの職員さんたちがおるけんね。これからも、ようしてもらえるよ」
「そら、わかっとるたい。ばってん、姉ちゃんには、ほんに世話になったけん」
食事を終えた山上さんは、枕元の小さな引き出しを開けた。中から取り出したのは、古びた小箱だった。
「これば、持っていきなっせ」
「えっ、何なん? これ」
「指輪たい。昔、じいちゃんが買うてくれたと」
箱を開けると、小さな石のついた指輪が光を返した。
「こげん大事なもん、もらえんよ」
「よかとよ。姉ちゃんにあげるけん」
「いやいや、そんなん、いかんよ。大切なもんやろ?」
冬美が箱を返そうとすると、山上は首を横に振った。
「大切なもんだけん、あんたに渡すとたい」
山上は、冬美の手をそっと握った。
「遠か愛媛から、わざわざ来てくれたろ。自分の家族もおるとに、知らん土地まで来て、うちらの世話ばしてくれた。地震のあと、怖かことばっかりで、どぎゃんしたらよかかわからんかったと。ばってん、姉ちゃんたちが来てくれて、どぎゃん心強かったか」
冬美は、返す言葉が見つからなかった。
「うちは、もう年寄りだけん、たいしたお礼もできん。ばってん、これなら持っとる。じいちゃんがくれた、うちの宝物たい」
「そんな……。うちは応援で来ただけやけん。お礼なんか、いらんのよ」
「応援であっても、来てくれたことには変わらんたい」
山上は小箱を冬美の手に押し戻した。
「それにな、これは金剛石じゃなかとよ」
「こんごうせき?」
「ダイヤモンドたい。じいちゃんが買うてくれたばってん、お金が足らんかったとやろね。偽物ば買うてきたと。じいちゃんは、そんなこと言わんかったばってんね」
山上は、懐かしそうに目を細めた。
「本物じゃなかばってん、うちは嬉しかったと。じいちゃんが、うちのために選んでくれたもんだけん」
「それにもう、地震で皆のうなった(亡くなった)うちには家族はおらん。あんたに感謝を残したかばってん」
冬美は、指輪を見つめた。
石は、窓から差し込む朝の光を受けて、輝いていた。
「山上さん……」
「姉ちゃん、遠かところから来てくれて、ほんにありがとな。あんたたちのおかげで、うちは寂しゅうなかったばい」
山上さんは笑いながらも、目には薄く涙が浮かんでいた。
冬美も目頭が熱くなった。
「こちらこそ、ありがとう。うち、この指輪、大切にするけんね」
「よかよか。あんたが持っとってくれたら、それでよか」
冬美の制服のポケットに、無理やり小箱を押し込んだ後、満足した山上さんは、
「ほら、もう返さんでよかけん」
冬美は、何度も頭を下げた。
「山上さん、元気でおってね」
「姉ちゃんも、体ば大事にしなっせ。愛媛に帰ったら、家族によろしゅう言うとってな」
「うん、言うとくけん」
最後まで、二人の言葉は少しずつ違っていた。
しかし伝えたい気持ちはわかっていた。
熊本を離れる車の中で、冬美は小箱を開けた。
指輪の石が、窓から差し込む光を受けて、静かに輝いている。
それが本物のダイヤモンドなのか、冬美にはわからない。
確かめようとも思わない。
山上さんが差し出してくれたのは、指輪だけではなかった。遠くから来てくれたことへの感謝と、誰かを思いやる気持ち。そして、苦しい状況にあっても人は誰かと絆が生まれることだった。
偽物だと山上さんが笑った指輪は、今も冬美の手元にある。
石が本物かどうかは、もう関係ない。
遠く離れた土地で出会った二人。交わした言葉はすべて理解できなくても、最後に手渡された思いだけは、確かに伝わっていた。
あの六日間に交わした笑顔と、最後に握った手の温もり。
それこそが、冬美にとって、どんな宝石よりも確かな輝きを持つ宝物だった。
あとがき
ダイヤモンドの石言葉には
「永遠の絆」「不屈」
本作はフィクションですが、私自身も応援派遣スタッフとして熊本に入り、被災された方々と過ごしました。
施設での生活を余儀なくされた、一人の小さな老婆。
派遣最終日、彼女が私に伝えてくれた言葉に私はその場で泣き崩れました。
「ありがとう」
被災によって、多くのものを失ったはずの彼女から贈られた、たった一言。
私は返す言葉を見つけることができませんでした。
あの日、私と彼女の間に生まれたものは、かけがえのない絆だったのだと思います。




