3月 アクアマリン ~仁淀ブルー
高知駅から乗った列車を降り、バスに揺られること一時間余り。窓の向こうに仁淀川が見えた。
春の陽射しを受けた川面は、ところどころ青く透き通っていた。
悠人は、膝の上に置いた鞄を抱え直した。
この景色を見るのは、三年ぶりだ。
高校を卒業すると同時に、悠人は仁淀を離れた。
東京の大学に進み、そのまま都内の会社に就職する。都会で暮らすことに憧れていたし、ここには自分の望む未来などないと思っていた。
社会人になって三年。
毎朝、満員電車に押し込まれ職場とアパートを往復する日々の中で、いつしか自分が何をしたかったのかさえ、わからなくなっていた。
高校時代、進路のことで父と口論になったことを思い出した。
「ここにおったって、何も変わらん」
そう言い放った自分に、父は何も言い返さなかった。
ただ、湯呑みを置き窓の外を眺めていた。
あのときの父の横顔を、悠人はずっと忘れられずにいた。
ポケットから、小さな箱を取り出す。
中には淡い青色の石が入っていた。東京の宝石店で見つけたアクアマリンだった。
買うつもりはなかった。ただ透明な青が仁淀川の水を思い出させ、気づけば手に取っていた。
ただ綺麗な石だと思っただけだった。
「母さんの土産にしようかな」
悠人は箱を閉じ、川面を見つめた。
自分は、何を求めて東京へ行ったのだろう。
成功したかったのか。誰かに認められたかったのか。
それとも、ここから離れさえすれば、何者かになれると思っていたのか。
答えは出なかった。
「そんなとこにおったか」
振り返ると、父が立っていた。
「寒いぞ」
「うん」
父は悠人の隣に並び、しばらく黙って川を眺めた。
「東京は、どうや」
「……まあ、普通」
「そうか」
それ以上、父は尋ねなかった。
その沈黙が、かえってありがたかった。
「父さん」
「ん?」
「俺、今の仕事、辞めようかと思いゆう」
口にしてから、悠人は自分でも驚いた。
父はすぐには答えなかった。
「辞めて、どうするが?」
「まだ、わからん」
「ほいたら、ゆっくり考えたらえい」
父は川から目を離さずに言った。
「どこにおったち、おまんの人生やき。自分で決めたらえいがよ」
悠人は唇を噛みしめる。
ずっと父に反対されると思っていた。
帰ってくるなと言われることさえ、覚悟していた。
「……怒らんが?」
「なんで怒るがな」
父は不思議そうに笑った。
「帰ってきたら、飯ぐらい食わせちゃる。それだけのことや」
その言葉に、悠人は顔を伏せた。
川の流れる音が、静かに響いていた。
翌朝、悠人は縁側でアクアマリンの箱を開いた。
朝日を受けた石は、昨日よりも明るい青に見えた。
幸福とは、望んだものをすべて手に入れることだと思っていた。
勇敢であるとは、誰よりも強く迷わず前へ進むことだと思っていた。
ただ故郷から逃げていた事に気が付かず、東京という大都会でまた居場所を無くしていた。
仁淀の川はいつもと変わらず澄みきった仁淀ブルーのままだ。
その青さは、どこまでも澄んでいた。
悠人は小さな石を箱に戻し、ポケットにしまった。
帰る場所がある。
そう思えたことが、今の彼には何よりも心強かった。
あとがき
アクアマリンの石言葉には、
「幸福」「勇敢」「聡明」などがある。
若者が故郷に帰省した時、今まで見えなかった故郷の良さが見える。
都会で失敗したら故郷に帰ればよい、恥ではない。
若者の未来は仁淀ブルーやアクアマリン、どんな美しい景色や宝石より輝いているのだから。




