第四話
「ジンさんが戻ってこられる平和な街を取り戻す! そのためなら、どんなトラブルだって受けて立つわ!」
腹をくくったケイの前に、まず立ちはだかったのは下町を牛耳る悪徳商人「黒雲商会」だった。
後宮の混乱に乗じて市場の仕入れ価格を不当に吊り上げ、自分たちに従わない『桂花亭』へ連日の嫌がらせを重ねていた黒雲商会。仕入れ業者からも見捨てられ、看板を打ち壊された店内で、父親のダンは「もう店をたたんで、どこか遠くへ逃げようか……」と頭を抱えて震えていた。
「たたむ……?」
その言葉を聞いた瞬間、ケイの胸の奥で小さな悲鳴が上がった。
(店をたたむ……? ここを捨てる……!?)
強い意気込みの裏側で、冷たい不安がすうっと足元から這い上がってくる。
この『桂花亭』は、ただの生家でも商売の拠点でもない。
2年前、ジンと出会い、料理を振る舞い、「また金木犀が咲く頃に」と約束を交わした、彼との唯一の繋がりなのだ。
(もし……この店がなくなってしまったら? もし店をたたんで遠くへ引っ越してしまったら……ジンさんが万が一戻ってきた時、私の居場所を見つけられなくなってしまう。……本当にもう二度と、彼に会えなくなっちゃうじゃない……!)
失うことへの恐怖で手がかすかに震え、目元が熱くなる。
だが、ケイはその胸を焦がすような不安と弱さをギュッと抑え込み、自らの頬を両手で強く叩いた。
(……絶対に渡さない。ジンさんとの思い出の場所も、お父さんとお母さんの大切な居場所も……あんな奴らに奪わせてたまるもんですか!)
不安を「譲れない強さ」へと昇華させたケイは、前世で培った危機管理能力を発揮。
黒雲商会から受けていた嫌がらせの日時、被害内容、関与していた男たちの特徴を細かく手帳に記録し、完璧な「被害報告書」を作成した。
さらに、苦しめられていた近所の店主たちを集めて『市場防衛同盟』を結成。仕入れルートを分散・共有して互いに助け合う仕組みを構築した。
数日後、再び店へ脅迫にやってきた黒雲商会の男たちに対し、ケイは不敵な笑みを浮かべて作成した書類を突きつけた。
「な、なんだこの紙切れは……!?」
「過去数ヶ月に渡るあなた方の不法侵入、器物破損、および不当取引の証拠一覧よ。すでに控えを王都の警備兵の知人に渡してあるわ。今度うちや市場に手を出したら、私設裁判に訴え出て、あなた方が横領している裏流通ルートも全部暴露してあげる!」
「な、なんだと……!? この小娘がっ!」
「さあ、お引き取りくださーい! 商売の邪魔よ!」
徹底的にロジックで追い詰めるケイの迫力に押され、悪徳商人たちは顔を真っ赤にして逃げ出していった。
「す、すごいぞケイ……! あの黒雲商会を追い払っちまうなんて!」
両親、そして市場の人々から歓声が上がる。
安堵の息を漏らす両親の背中を見つめながら、ケイは店先の暖簾をそっと指先で撫でた。
(守れた……。ここがあれば、ジンさんはいつでも帰ってこられる)
宿を守り抜いたことで第一フェーズは完了。
ケイの視線は次なる目的——後宮の混乱の根っこを叩くためのルート確保へと向けられた。
◇
その足でケイが向かったのは、市場の裏路地にある古い平屋だった。
そこには、かつて後宮で総料理長を務め、現在は隠居して暮らしている頑固一徹な元料理人・グランが住んでいた。
「……何の用だ。わしはもう包丁を置いた身だと言ったろう」
不機嫌そうに出てきたグラン老人に対し、ケイは深々と頭を下げた。
「初めまして、グラン師匠! 『桂花亭』のケイです。私に後宮御用達厨房への道を教えてください!」
「桂花亭の小娘か……。帰れ。後宮などという場所に、町娘が物珍しさで近づくものではない。あそこは四妃の派閥争いと、冷酷な筆頭執政官『黎様』が目を光らせる毒と陰謀の魔窟じゃぞ?」
「物珍しさじゃありません!」
ケイは顔を上げ、まっすぐにグラン老人の目を見つめた。
「後宮の揉め事が下町まで波及して、大切な人が街に戻ってこられないんです! 待っているのは私の性に合わない。だったら私が後宮に入って、トラブルの根っこを料理で解決して見せます!」
「バカを言うな! 宮廷料理も知らん町娘に何ができる!」
「知らないなら学びます! 前世……いいえ、今までだって無理難題から逃げたことは一度もありません! 私に宮廷料理の極意を教えてください!」
一歩も引かないケイの強い言葉と佇まいに、グラン老人はしばらく無言で見つめ……やがて大きな溜め息を吐いた。
「……フン。生意気な娘だ」
グラン老人は奥から一通の書状を持って戻ってきた。
「わしの猛特訓に耐え抜き、試験に合格したら、年に一度の『後宮・御用達厨房の新人採用選考会』への推薦状をくれてやる。覚悟しろよ、甘くはないぞ」
「はいっ! ありがとうございます!」
胸元の銀の簪と、絶対に譲れない宿を守り抜いた誇りを胸に。
ケイの「後宮殴り込みプロジェクト」がいよいよ本格始動したのだった。




