5.カーテシー
真っ白なテーブルクロスの食卓いっぱいに見たことのない料理が並んでいた。
シャンデリアが輝く広い部屋。扉を開けた瞬間、スパイスと肉汁の匂いが強く香った。
鳥一匹を使ったロースト。花畑みたいなサラダ。黄金色に輝くスープ。見ただけで胃が急かすように激しく動き、ふらふらと料理に引き寄せられてしまいそうだった。
「すごい!」
僕は思わず声を上げ隣のルヴィを見る。
勉強中、お腹を鳴らした僕にルヴィが夕飯を誘ってくれたのだ。
「なっ何この量……わたしそんなに食べる方じゃないんだけど」
ルヴィは沢山の料理を前に口の端を引きつらせていた。
「料理長は『ルヴィお嬢様にお友達が居たなんて感激だ、お祝いしなくては』とおっしゃっていましたよ」
「せめて実技試験の合格祝いにしなさいよ」
「それはもう忘れてるんじゃないですかねー」
ルヴィと親しげに話す使用人のサラさんが少し前に聞いた空腹と過労で倒れた使用人の方らしい。今はルヴィの専属使用人をしているそうだ。
「まっあんたは気負わずに食べなさい。残ってもここの使用人たちが食べるだろうし」
僕は頷く。
久々のまともなご飯だ。輝いて見える。
「え? 泣くほど?」
道中のことを思い出した僕は「ごめん」と服の袖で目元を拭って笑う。
「虫と野草で一日食い凌いだ日を思い出したら、つい」
「「うげー」」
ルヴィとサラの表情が引きつっていた。
「主よ。恵みに感謝します」
僕は組んでいた手を解き、目を開ける。
まずは……黄金色に輝くスープから、とおたまに向かって手を伸ばす。
「待ちなさい。サラ、お願い」
ルヴィのお付きであるサラさんが素早く静かにスープを器によそっていく。
僕は差し出された器を受け取り、
「ありがとうございます」
おずおずと頭を下げた。
サラさんは小さく目を伏せて頷く。仕事用なのか初めて会った時より凛々しい顔立ちに見えた。
僕は器を持ち上げ肉の油で輝くスープを口に運ぶ。
滑らかな舌触りの中に大きな肉がゴロゴロ入っている。肉を噛むと筋になってほぐれ、一気に肉の旨味が溢れていた。高級品であるハーブがふんだんに使われているのも分かる。
「暖かいスープ……」
手から伝わる熱にほっと息を吐いて呟く。
体の中から癒されるような優しさと力強さを持ったスープだ。
「喜んでもらえて良かったわ。あとそれポタージュね。スープって言ったら料理長が泣くから」
「ポタージュ……」
「あとポタージュは手で器を持ち上げないで横のスプーンを使うの」
ルヴィは手本のようにスプーンを口に運び静かに飲んだ。
「これか」と僕は横のスプーンを持つ。銀色に光る高そうなスプーンだ。
「面倒だけど今回の合格者の中に公爵家の人間が含まれてるらしいのよ。作法はしっかりしておかないと、より面倒なことになるわよ」
「公爵家?」
「王族か、それに近い家柄……簡単に言えばわたしの家よりもすごく偉いってこと」
「え」
村人である僕からすると村長より偉いベアーニ伯爵ですら雲の上の存在なのに、そのさらに上となるともうおとぎ話の存在になってしまう。
──国家の命運をかけるに相応しいと判断された人だけが入れる特別な場所。
そうか。
ようやくルヴィの言葉が理解できてきた。
本当に国の行く末をかけた学校なんだ。
「校内では皆平等と言われてるけど、実際どうなることやらって感じだし」
「そんなところに僕が……」
「まぁ今のままだと入れる確率は絶望的だけどね」
「うん。頑張るよ」
「まずは、この料理をどうにか減らすところから頑張ってね。わたしもうお腹いっぱいになってきたから」
「ええ」
ルヴィはスー……ポタージュに一口手をつけたくらいだ。
女の子とはいえもう少し食べるものじゃないのだろうか。
「食べると苦しいのよ。コルセットが。間食もしてるし」
「間食?」
「帰る時、一緒にジュース飲んだでしょ」
ルヴィはひらひらと手を振った。
降参らしい。
「そっか。じゃあ任せて」
僕はルヴィとサラさんに食べ方を教わりながら豪華な夕食を楽しんだ。
夕食を終えた僕は居間の方で一人勉強していた。
ロウソクの灯りが揺れて、離れたところから靴音が聞こえてくる。
「料理長が大変良い食べっぷりで感動した、とアルケム様に伝えてほしいと」
僕は顔を上げた。
ルヴィと一緒に部屋の方に去っていったサラさんが戻ってきたようだ。
サラさんは小さくドレスの裾を上げお辞儀をする。
白昼の中では緑色に見えたサラさんの髪は暗がりの中だと同化して広がる影のように見えた。白いエプロンとキャップだけが浮いている。
「そうでしたか。では、生涯食べた料理の中で最も美味しかったとお伝えください」
「はい。確かにそのように。きっと料理長も泣いて喜ぶと思います」
「嘘偽りの無い、神に誓える言葉ですから」
肩をすくめて冗談っぽく言ってみた。
サラさんは首を傾けて微笑む。
「神父様のようなことを言うのですね」
「ああ、神父様には幼い頃に読み書きなんかを教わっていたのでいつの間にか移ったのかもしれません」
感心したようにサラさんは深く頷く。
「でしたら虫を食べられていたのも修行か何かの一環で?」
「え、それは普通にお腹が空いて……」
僕は苦笑いをして目を逸らす。
サラさんは「そうでしたか」と小さく言った。
「これは内密にしておいてほしいのですが朝、実はルヴィ様は馬車の中でずっと試験を嫌がってため息ばかりしておりました。それがアルケム様を見つけられてから、いきいきとされ始めて」
「え?」
僕はサラさんの方に目を向ける。
「それは──」
サラさんは背筋を真っ直ぐ伸ばし目を伏せていた。
堂に入った立ち姿に少し気圧され、良かった、と笑おうとした僕は途中で黙った。
「ですので一従者という不肖の身ながら素直でない主人に代わりお礼を申し上げます」
片足を大きく斜め後ろに引き、ゆっくりと体が沈んでいく。
スカートの裾を摘んで横に広げた。
膝は床についていない。片足でゆっくりと体を沈ませるには力がいる。相当きつい筈だ。
それでもサラさんは最後までゆっくりと無音で体を起こした。
素人でもすごいと感じる優雅なお辞儀だった。
「ありがとうございます。僕は彼女からずっともらってばかりですよ」
「与える方が幸福である、と教会の教えにもありますし」
「僕も士官学校に入学して、もっと与えられるようになりたいものです。少なくとも受けた恩は返さないと」
「あら、ルヴィ様からの恩はすごく高くつきますよ。それこそ生涯をかけて返さないといけないほどに」
くすくすと笑いながらサラさんは言った。
僕も呆れて笑った。
きっとサラさんもそうなのだろう。
「頑張ります」
僕はペンを握る。
ロウソクはだいぶ短くなっていた。
灯りがあるうちに少しでも勉強を進めないといけない。
「はい。お互いに。では料理長には伝えておきますね。失礼いたします」
去っていく靴音を聞きながら、僕は勉強に戻った。
ロウソクの灯りが消えた。
まだ勉強は足りないが、この時間に誰かを起こして火をつけてもらうのも申し訳ない。
「月か……」
窓から差し込む青い光の方に行く。
僕は窓の縁に紙を広げた。
「あら……」
背後からルヴィの声がした。
次話で第一章、入学試験編が終わります。




