21.交渉と勘
そのまま僕はその女子生徒に案内され空き教室の前へと連れて行かれた。
廊下から見る感じではなんの変哲もないただの空き教室だ。
女子生徒は教室の扉を叩く。
「どうぞ」
中から声が返ってくる。
どこかで聞いたことのある声に僕は眉をひそめた。
「失礼いたします。アルケム・ツォーリ様をお連れしました」
促されるまま僕は教室へと進む。
分厚いカーテンが光を遮った薄暗い部屋の中にポツンと一人ロウソクの灯りに照らされた男性がいた。余裕そうに椅子に腰掛けたシルエットが壁に映っている。
「急に呼び出して悪いね。色々と準備があるタイミングだろうに」
近づいてようやくその声の主に気付く。
僕は僅かに身じろいでから姿勢を正した。
「いえ、お久しぶりでございますラヒトー卿」
深々と頭を下げた。
なぜここに、と考え床を見る顔が引きつった。
真っ先に思い浮かんだのは次の対戦相手の指名だ。
「どうぞ」
先ほどの女子生徒が湯気の昇るお茶を持ってやってきた。僕はありがたく受け取っておく。この子はラヒトー卿の使用人か何かなのだろう。
ラヒトー卿の方は軽くお茶に口をつけてから「さて君は今日の試合を見たかい?」と僕に向けて聞いた。
試合というのはおそらくジッキーが見に行った実技試験のことだと思う。
「いえ」
「おや、現地で見てみると試合の雰囲気や微細な動きまで分かる。そもそも興行としても面白いものだ。わたしはとても好きだがな」
僕は簡単な相槌を打つばかり。
終始穏やかな口調で話し続けているのに話の主導権はラヒトー卿に握られていた。
「それとも、誰かに記録を任せたか」
どこか含みのある言い方だった。
ただ見物に行くのなら記録なんてしないだろう。
僕は無言で返す。
「ヴィッグ卿の次の対戦相手は君だろう?」
咄嗟に僕は「次の対戦相手」と頷きながら復唱した。
ラヒトー卿の余裕げな表情からはそれが僕に向けられた情報戦の釣り針なのか、ある程度確信を持った言葉なのかが読み取れない。
「なぜ知っているか。もちろん彼から直接聞いたわけではないが、これ以上詳しくわたしの口から言うことはできないのだよ」
ヴィッグ卿とラヒトー卿は別のクラス同士。互いにわざわざ聞かないし言わないだろう。
なら学校内部の生徒か教師に内通者がいるんじゃないか。ラヒトー卿はヴィッグ卿の次の対戦相手が僕であることをある程度の確信を持っているように見える。
「君の予想は当たっているよ。そういう顔をしている。だが、それは君も同じだろう」
「まさか」と首を横に振る。実際僕には内通者なんていない。
「汎用品の貸し出しすら断られるような一農奴にできることは限られています」
ラヒトー卿はクックックッと喉を鳴らすようにして笑った。
「そうかい? 夜会でわたしを含め一部の商人や貴族を見る君の目が違うように見えた。どこかに明確な線引きがあるんじゃないかい?」
『リスト上位者』のことを知っている。いや、気付きかけているんだ。
それは僕だけじゃなくルヴィの裏側にまで手が届く情報だ。
「あの時には既に知っていたんじゃないかい。気をつけるべき人物。内情。その背後にいる家や力まで。それは一体誰が誰と繋がって得た情報だろうね」
ラヒトー卿の鋭い目つきに僕は固まったまま唾を飲んだ。
まずい。これ以上探られるのは本格的にまずい。
僕も詳しくは知らされていないけど、どこでボロが出るかは分からない。
「……野生の勘ですかね」
ラヒトー卿は薄明かりの中で一瞬表情を失い、ハハハハハと天井を仰いで笑った。
僕の呼吸は一瞬だけ止まっていた。
「なら、そういうことにしておこう。その勘とやらは詳しく聞きたいがわたしもわたしの事情を詳しく話せないからね。不公平は良くないだろう」
ラヒトー卿が目を細めて満足げに頷きお茶を飲む。
僕も合わせてお茶を口に含んだ。少しぬるくなっていた。
「さて、君をここに呼んだ理由、本題といこうかね」
僕は息を整え再びラヒトー卿の方を見る。
「君に。夜会のあの席、あの場所で人々の鼻をあかした君に、一つ頼み事をしたい。アルケム・ツォーリくん」
息がしづらい。穏やかな雰囲気の中に隠された圧を感じる。
「……なんでしょうか」
「とある貴族の鼻をあかしてほしいのだよ。そのためにわたしは君に今日の試合、間近で剣を交えた者としての情報を渡す、その時間を確保しよう」
今日の試合で誰とラヒトー卿は剣を交えたのか。貴族は誰かの鼻をあかしてほしいと直接名前を出しては言えないだろう。
でも、分かることはある。
ジッキーは確かヴィッグ卿はどっかの貴族のお偉いさんと対戦したと言っていた。お互いの前衛の魔力量がやばい、とも。ヴィッグ卿に並ぶほどの魔力量ならば恐らく貴族。それもかなり上位の貴族と見て間違いないだろう。
そしてラヒトー卿はこれ見よがしにヴィッグ卿の次の対戦相手が僕であることを初めに伝えてきた。つまり鼻をあかしてほしい相手は……
「どうかね」
ラヒトー卿は微笑みながら手を向けた。
簡単な取引だ。断る必要のない、メリットばかりが大きく見える。
落ち着けと言い聞かせながら僕は息を吐く。
「もし失敗した場合は」
「そうだね。わたしは君に失望する。心の底から。わたしの時間は決して安くないからね。君に賭けた時間分を誰かに取り立てに向かわせる。その場合、鼻をあかしてほしい相手と組むこともやぶさかではない」
背中に冷や汗をかいていた。
何もない農奴への取り立てなんて大体悲惨なことになる。まして上位の貴族二人から狙われながら学校生活なんて……
「でしたら、まずは……考える時間をください。非常に重大な取引だと感じます」
少なくともジッキーに確認を取りルヴィと相談したい。
「断る。わたしには時間が無くてね。この場で決めてもらう必要がある。それとも何かい、君はわたしに時間を取らせるだけの対価を用意できるのかい。そうなら言ってみてたまえ」
「……いえ」
僕は喉から言葉を絞り出すように答えた。
ラヒトー卿はお茶を一息で呷る。
「もちろんここで断っても構わないが、その場合も同様にわたしは君に失望するよ」
ああ僕はこの場に立った時点で捕まっていたのだ。
「まあ、そう構えずとも。この取引は非常に私情が混ざったものだ」
彼に新しい茶を、とラヒトー卿は側で立っていた使用人の生徒に伝えている。
「ムカつくのだよ。目の前で余裕げに演技をされるというのは非常に屈辱を感じる試合だった」
僕は俯いて目を閉じ思考を回す。
演技。なら相手はヴィッグ卿だろうな、と確信に変わる。
多分僕もこのままヴィッグ卿に挑めば余裕げな演技をされながら負ける。いや、殺されるんだろうな。じゃあやるしかないのだと拳を握りしめた。
僕は顔を上げて目を開く。ラヒトー卿の目を真っ直ぐ見返した。
「その……ラヒトー卿の憤りを信じます」
ラヒトー卿は椅子から立ち上がり「そうか。良かった。聡明な判断に感謝しよう」と微笑を浮かべ僕に近づき手を伸ばす。
「明日の夕方、放課後に時間はあるかい? 試合前日になるが、そこしか時間が空いていないのだよ」
僕は「分かりました」と頷いて向けられた手を握る。
「では、明日またこの場所で」
突然教室が明るくなる。
後ろで使用人の生徒が教室の扉を開けていた。
光の方へと僕は歩く。
「それと、もし今回のことが上手くいけばまた頼みごとをするかもしれない」
背後からそんな声が聞こえてきた。




