最終話
「行っちゃったね…」
「…あぁ」
展望デッキでレイたちの乗った飛行機が空の彼方に消えるまで見送ると、私と空は感慨深げに声を漏らした。
空が戻ってきた翌日の早朝、仕事を終えたレイ達は日本を離れる事になっていたのである。
大和さんの結婚式まで時間の余裕があったので、三人で見送りに来たのだ。
空が日本に残る事になって不貞腐れたレイと、それを呆れながらもフォローしていたリフに、数刻前に別れを告げてきた。
「結局何も変らわず、いつも通り、か。一体、あいつは何しに来たんだか…」
眠そうな目をした大地が少し呆れたように呟くと、空は静かに首を振った。
そんな空を、大地は怪訝そうに見上げる。
「…来てくれて、よかった」
そう言って、口元に優しい微笑を浮かべる空。
そして、レイの消えていった青空を見上げながら言葉を続ける。
「…光を…見せてくれた」
「光?」
鸚鵡返しに聞き返した私に、空はゆっくりと頷く。
「…ここは暖かくて、心地がいい。だが…この先どうしたらいいのか、わからなかった」
青空を見上げていた空は、そっと目を伏せる。
「…罪を償うには…ここは優しすぎる。しかし…どこへ行ったらいいのかも、わからなかった」
「そこへ、あいつが進むべき道を照らしてくれた、と」
言葉を引き継いだ大地を、空は肯定するように真っ直ぐに見つめた。
「…今は、まだここで知りたい事があるから、いけない。だが…霧に包まれた未来が…少し、見えた気がした」
「なるほどね」
大地はふっと笑みを浮かべると、込み上げてくるあくびをかみ殺しながら口を開く。
「それ、ちゃんとあいつに言っといてやればよかったのに。喜んだぜ、きっと。俺も寝不足にならなくてすんだしな」
「…?」
大地の言葉に首をかしげる空。
すると、大地は半眼で空をみつめた。
「昨日の夜、お前が羽美のせいで腑抜けになっただとか、親友なのに女の方を選んだとか、明け方まで愚痴を聞かされたんだけど、俺?」
「…お疲れ?」
昨晩の事を思い出してか少々不機嫌そうになった大地の頭を、優しく撫でる空。
いい加減そんな空の仕草に慣れたのか、大地はそれを払いはせずに、ふっと笑みを浮かべただけだった。
「大地も、すっかりレイと仲良くなったよね」
「そうか?」
「…レイにも…大事なものが増えて、よかった」
心外といわんばかりに顔をしかめた大地だったが、空の穏やかな声に表情を再び和らげる。
「いい相方もできたみたいだしな」
「…リフは…レイと仕事の相性もいい」
レイ達と一緒に過ごした一週間。
空は、辛い時期を支えあって生きてきたレイが新たな仲間と共に活き活きと働いているのを見て安心したらしい。
大切な人が輝いている。
それは、とても嬉しい事だから。
空が残る事を決意したのは、大切なレイが以前よりも幸せそうだった事もあるだろう。
安心して離れていられるほどに。
「あいつがその相性のいい相方と共に頑張るよう、祈っとかないとな。そうじゃないと、せっかく見えた朝宮の未来が消えちゃうし」
「…?」
レイたちが消えていった方を見上げながらにっと笑った大地に、小首を傾げる空。
「だってそうだろ?創設メンバーがしっかりしなきゃ、朝宮が仕事に加わる前にチーム解散だと思うぜ」
「…なるほど。……レイ、頑張れ」
納得したように頷くと、大地と共に大空を見上げ、小さくガッツポーズをとりながら応援の言葉を呟く空。
そんな空を見て、大地は小さく笑みを浮かべた。
「そういうお前も頑張れよな」
「…おう」
「何をかわかってるわけ?」
「…なんとなく?」
淡々とした口調の大地に、ほわんと答える空のやりとりがなんだか可愛くて、思わず笑ってしまう。
そんな私に、少し照れたような大地と、きょとんとした空が視線を向けた。
「さ、そろそろいこっか?結婚式に遅れちゃうよ」
にっこりと笑った私につられるように、表情を和らげる二人。
「そうだな」
「…あぁ」
私達はもう一度名残惜しげにレイたちの去っていった大空を見上げると、空港を後にしたのだった。
荘厳な教会の中で純白の衣を見に包んだ翠さんは、今まで見てきた中でも一番綺麗で、幸せそうに微笑んでいた。
その隣に立つ大和さんも、浮かべる笑みが一段と優しい。
「いいな…」
思わず零れ落ちた私の言葉に、空が主役の二人から隣に立つ私に視線を移した。
「…何が?」
「ん?すごく、幸せそうで」
笑顔で答えた私から再び大和さんたちの方を向いた空は、納得したように頷く。
空も何度も二人に会っているから、いつもよりも輝いているとわかるのだろう。
そのままじっと二人を見つめていた空だったが、しばらくして、私の方に再び視線を向けた。
「…羽美も、結婚したら幸せ?」
「え?」
「…婚約者とは、いつか結婚する相手の事?」
「!?」
瞬時に、母が私と空との婚約がどうのこうのと言っていたのを思い出し、私は思わず赤くなった。
空はあまり関心がなさそうだと思っていたが、しっかり覚えていたらしい。
「えっと…そりゃ、好きな人と結婚したら、嬉しいと思うよ。大切な人と、ずっと一緒にいられるんだもん」
退場する二人に向けられる盛大な拍手の中、私は小さな声でそう答えた。
すると、空は拍手をしながら少し困惑したような表情になる。
「…ずっと傍にいられないと…結婚は出来ない?」
「えっと…」
いつかはレイと共に、苛酷な仕事に身を置くつもりの空。
ずっとは傍にいられないと、空自身が言ったことだ。
どう答えていいか迷っていると、空は目の前を通り過ぎていった翠さんを目で追いながら、呟くように言葉を漏らした。
「…羽美のあんな笑顔を…傍で見てみたいと思ったんだが…」
「空…」
空の気持ちが嬉しくて笑みを浮かべた私に気付きもせず、空は退場して外に行ってしまった翠さん達の方に視線を向けたまま、考え込むように固まっていた。
と、その背中を大地が思いっきり叩く。
「…痛い」
「結婚式に暗い顔してるからだろうが」
小さく不平を述べた空に、冷笑を浮かべて叱る大地。
それから、腰に手を当てて空を見上げた。
「朝宮。あのな、欲しいものがあったら諦めんじゃねーよ。たとえ求めるものが別の道にあるように見えても、本当はどうかわからないぜ?もしかしたら、両方手に入れられるかもしれない。どっちかしか選べないなんて最初っから考えんな」
空の気持ちを見透かしたような大地の言葉に、空はしばし大地をじっと見つめた。
それから、小首を傾げながらゆっくりと口を開く。
「…二兎追うものは一兎も得ず?」
「そりゃ、中途半端な努力だからだろ。努力次第では、人はいくらでも道を切り開けるんだよ。まだ若いんだし、可能性はいくらでも広がってると思うぜ」
「…なるほど」
何やらなんとなく納得したらしい空が頷くと、大地はふっと笑みを浮かべて私の手をとると、他の参列客の後について歩き出した。
そして数歩先に行った所振り返ると、立ち止まったままだった空に悪戯な笑みを向ける。
「それから、俺も羽美の婚約者の一人だって事、お忘れなく。お前が弱気なら、俺がもらうけど?」
「!?」
珍しく挑発的な大地を驚いて見つめると、そんな私に大地はふわっと天使のような笑みを浮かべた。
「俺だって、羽美の一番幸せな笑顔を一番近くで見たいし」
「大地…」
思わず赤くなって見上げていると、ふっと背後に人の気配。
振り向けば、めったに見れない不機嫌そうな空の顔。
そして、私の空いている方の手をとるとすたすたと歩き始めた。
「そ、空?」
「朝宮がやきもちやくなんて、成長したな」
慌てる私の耳元に、楽しそうに囁く大地。
確かに、今まででは考えられないことかもしれない。
どんどん変っていく空。
いや、大地も私も変っていくのだろう。
ずっと同じままではいられない。
この先、どうなっていくのかは誰にもわからない。
嬉しい事も、悲しい事も沢山あるだろう。
苦しくて、立ち止まりたい時もあるかもしれない。
だけど、こうやって誰かと手を取り合いながら、私達は未来へと進んでいく。
その先に、大切な人との別れがいつか待っているとしても…。
だから、今、この時を大切にしよう。
大切な人と共に、自由に羽ばたける、この時間を…。
三人で手を繋いで歩きながら、私はこんな幸せなひと時がずっと続くよう、そっと祈ったのだった。