第三話:にじいろ
外の展示を回り終え、壮一郎は時間を確認した。
11:30。
「そろそろお昼ですね。近くに、いいお店があるそうです」
「わぁ、楽しみです!」
海沿いを並んで歩く。
波の音、潮の香りの風。
「こういうの」
紡が海を見ながら口を開いた。
「潮の香りとか、空気感とか。言葉で、物語に閉じ込められたらいいのに」
「紡さんの文章を読むたび、海を感じられるようになりますね」
「もっと、表現力をつけたいです」
「頑張ってください。説明になったら削ります」
「ヒィ…! 担当編集が容赦ない!」
壮一郎は、紡と顔を見合せて笑った。
瀬川に教えられた、白いカフェで昼食を食べた。
水族館に戻り、スタンプを提示して館内へと入る。
ライトアップされた水槽が並ぶ、少し暗い通路。
順路に沿って、ゆっくりと進む。
珊瑚。
カクレクマノミ。
チンアナゴ。
紡がひとつの水槽の前で、足を止めた。
「知ってる、気がする…?」
ヒレナガネジリンボウ。
近くに、赤地に白の縞模様のエビ。
壮一郎も、隣から水槽を覗き込んだ。
「以前の水族館ですかね?」
「うーん…わかんない」
「見た事実が、残っているのかもしれませんね」
揺れる小さな魚を、二人で眺めた。
水槽の中の生き物を、紡は時間をかけて見る。
カニも捕まえて見ると言っていた。
見るたびに、新鮮な感覚があるのだろうか。
ふと壮一郎は問いかけた。
「写真、取らないんですか?」
「撮影禁止じゃ…?」
二人で、掲示されている注意書きへと目を向ける。
『水槽へのフラッシュ撮影はご遠慮ください』
紡が、はっとした顔になった。
「フラッシュがダメなだけ…?」
「ですね。撮影が駄目なコーナーも、時々はありますが」
呆然と、紡が来た通路を振り返った。
「…少しでも、覚えなきゃって……」
壮一郎は「もう一度、最初から回りましょうか」と提案した。
クラゲの水槽は、壁一面が使われていた。
無数の白いクラゲが、ふわふわと漂っている。
紡はスマホを構えることもせず。
吸い寄せられるように、水槽へと近づいた。
クラゲに囲まれているような紡の後姿を、壮一郎はカメラに収めた。
「紡さん」
壮一郎が呼ぶと、紡がとことこと近づいてくる。
「そろそろ、だと思います」
不思議そうに見上げてくる紡に、クラゲの水槽を示す。
水槽から少し離れたところから、全体を見渡す。
「……あ」
端から、クラゲの色が変わる。
赤から黄色。
緑へ変化し、深い青。
深い紫からまた赤色へ。
水槽の中で、ランダムに変化する虹色。
小さな水音だけが響く、静寂の中。
「……きれい」
壮一郎は虹色の光を映す紡を見て、目を細めた。
虹色の水槽は、深い青へと姿を変え。
紡は水槽に近づき、数枚の写真を撮った。
「ここで、展示は最後ですね。土産コーナー、寄りますか?」
紡は頷き、歩き出そうした壮一郎の袖を摘む。
「ありがとう、ございます」
少し潤んだ瞳に、壮一郎は一瞬動きを止めた。
反対の手を、紡の頭に乗せる。
「どういたしまして。…また、来ましょう」
青い光の中、壮一郎は紡の髪を梳いた。
夕暮れの海沿いを走る車の中。
先ほどまではしゃいでいた紡は、静かな寝息を立てている。
ハンドルを握る左手。
小さな青いペンギンのスタンプを見つめ、壮一郎は呟いた。
「楽しかったですね、紡さん」
壮一郎のポケットには、ペンギンのキーホルダーが入っている。
帰宅後は、出汁茶漬けと冷奴、浅漬けを食べさせて。
また直ぐに眠るだろう、と壮一郎は予想した。




