第四話:賞味期限
定時を過ぎると、壮一郎は自宅へと急ぐ。
減ってしまった時間を埋める、そう意識して。
「おかえりなさい?」
「はい、帰りました」
一緒に夕食を食べて。
それぞれの時間を過ごして。
一日を一緒に終える。
仕事に関する話は、意識して避ける。
壮一郎には、口を出す権限がないからだ。
知ってか知らずか、紡からも話題は出ない。
日常の些細な報告や、他愛もない話で夜は更けていく。
「近未来的な、乗り物に乗ったんです」
「……夢の話ですか?」
「です! 降りたら、砂嵐から身を守るために、梯子を背負っていて…」
「梯子では、嵐は防げないのでは?」
「そうなんです! でも、なぜかそうしていたんです…なんででしょう?」
ソファで身を寄せ合って、ただ話をする。
そのうちに、紡の就寝時間になり、先に寝せる。
壮一郎は、記録ノートを開いた。
引継ぎ以降、日中は空白になっている。
21:15 紡就寝。砂嵐の中で、梯子を背負う夢でないといいですね。
一行付け足し、ノートを閉じた。
紡の頬にかかった髪を払い、顔を見る。
しばらくの間、壮一郎はそのままでいた。
鞄の中に、チョコレートがある。
数日後、編集部。
柊は、顔を上げた。
村瀬の後ろを歩く紡。
「…打ち合わせの日、でしたか」
何をテーマにしているのか。
どんな文章を書いているのか。
視線を無理やり外し、コーヒーを手に取る。
苦いコーヒーの味に、目を閉じた。
視線を、感じた気がした。
目を閉じたまま、柊はコーヒーを置いた。
その夜も、紡と壮一郎の過ごし方は変わらない。
お互いに、仕事には触れず。
ただ、時間を共有する。
「…なんですか、じっと見て」
「え? なんでもないです!」
壮一郎は本を読みつつ、様子をうかがう。
紡が見ているのは、…手か。
皺だらけの手が、重なる。
『征一』
叔父の名とともに、自分に差し出された。
立ち尽くしたまま、取れなかった手。
瞬きの後、あるのは自分の手だった。
「…手がどうかしましたか?」
「うぇっ?! 何のことでしょう?!」
挙動不審にわたわたとする紡の手に、指を絡めた。
「繋いでおきますか?」
紡はしばらく意味をなさない言葉を発していた。
そして、最終的に握り返してきた。
そのうちに、紡はうとうととし始めた。
眠る直前、力が抜けていく途中。
紡の手に、少し力が入った。
何かを訴えているように、感じて。
応えるように握り返すと、ゆっくりと力が抜けた。
引継ぎから2か月。
紡の様子が、気になる。
話している時は分かりにくいが。
考え事をしている時、視線がやや下がっているような。
気にし過ぎて、そう見えるだけだろうか。
出勤前、声を掛けるか迷う。
なんと声を掛けたらいいだろう。
「…柊さん?」
首を傾げた紡の、額に手を当てた。
熱は、なさそうだ。
体調は問題はない、…おそらく。
「ヒィ…?!」
一応、奇声を発する元気は、あるらしい。
気付かれないよう、小さく息をついた。
「今日も、なるべく早く帰ります」
耳元で囁くと、高速で頷いた。
紡から離れ、玄関の扉に手をかける。
玄関の外から、紡と目が合った。
何か言いたげに、見える気がした。
でも、仕事に関しての悩みは、聞いてやれない。
慣れるまで、あとどれ位必要だろう。
「では、いってきます」
玄関の扉を閉めた。
鞄の中に、チョコレートがある。
引継ぎから3か月。
紡が、ぼんやりしている。
もともとぼんやりしているが、特に。
ふとしたときに、何かを考えている。
創作が捗っているなら、別にいい。
けれど、何かが違う気がする。
楽しそうに、見えないような。
ソファでぼんやりしている紡の隣に座る。
肩を抱き寄せると、素直にもたれてきた。
「大丈夫ですか」の一言が言えない。
何も言えないまま、ただ紡を見ている。
夕食後。
片付けをしながら、紡の様子を伺う。
ソファで、ブランケットを抱いている。
やはり、ぼんやりしているが。
今日なら、と思った。
鞄を、手に取る。
「……紡さん」
「…はい」
鞄の中から箱を取り出し、紡へ差し出した。
「……よければ、いかがですか」
不思議そうな顔をして、紡が受け取った。
紡が包装紙をゆっくりと開く。
破らないよう、丁寧な手つきで。
出てきた箱を開くと。
甘い香りが溢れる。
「…チョコレート!」
正方形のチョコレートが、18個。
目を輝かせた紡から、壮一郎はそっと箱を取り上げた。
底を確認し、紡へ返却する。
「…柊さん?」
「賞味期限、ちょっと心配になりまして。大丈夫でした」
「なんで…?」
首を傾げた紡に、苦笑を返して。
「秘密です」と、壮一郎は口の前に人差し指を立てた。
紡はじっとチョコレートを見つめた後、一つ摘み上げた。
ピンク色の、正方形。
艶やかな表面は、柔らかく光を反射する。
口に運んだあと、紡は呟いた。
「……あまあま、です」
伝った透明な雫を、壮一郎はそっと掬った。




