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16

 祝賀会は、オーウェン公爵家の敷地にある大広間棟で開かれる。本邸から徒歩で数分の場所にあり、三百人は収容できる建物だ。まるで絵本に出てくる舞踏会場そのもので、幼いリリーの憧れの場所だった。尤も、アルフレッドに連れていかれるのは、大広間棟とは真逆に位置する、雑木林の先の小屋だったけれど。


「そのドレスにしたのね。よく似合っているわ」


 出発時刻になり迎えにきたエリスが、リリーの紺色のドレスを見て言った。卒業祝いに両親から贈られたドレスだ。婚約解消で社交界から離れていたので、まだ一度も着ていない。腕とスカートの裾に銀糸の刺繍が施されていて美しい。新しい領主の授爵の席に着古したドレスを着ていくよりは、ずっとよいから選んだ。


「でも、アルフレッド様に頂いたドレスにしなくてよかったの?」


 エリスの質問に、リリーは一瞬返事に困った。アルフレッドからドレスの指定は受けていない。わざわざ選んで着ていくのはどうかと思った。それに、アルフレッドのドレスは可愛すぎる。着慣れない色合いのドレス姿で現れて、周囲から浮かれているみたいに思われたくない。そう考えること自体、自意識過剰な気もするが。


「うん、いいのよ」


 リリーは、下手に言い訳するのをやめて、短く答えると馬車に乗り込んだ。



 アマリエ伯爵邸から、オーウェン公爵邸は馬車で五分も掛からない。公爵邸の敷地内をぐるりと一周するより近いくらいだ。

 邸に到着すると、普段は閉ざされている正門が大きく開かれ、門番たちが招待客を乗せた馬車を一台ずつ中へ通していた。リリー達の馬車も列に加わり、門を潜って、大広間棟の正面玄関へ横付けした。

 馬車から下りて、入り口で招待状を差し出すと、係の者に恭しく迎えられ、中へと足を踏み入れた。

 真っ先に目に入ったのは、巨大なシャンデリアだ。無数の蝋燭が灯され、黄金色の光が磨き上げられた大理石の床に降り注いでいる。天井には、壮麗な絵画が広がり、壁と大きな柱には金箔で装飾が施されている。正面奥の一段高い舞台では、楽団が音楽を奏でており、左右には料理や酒が並ぶ長テーブルが設えられていた。場内は、アズウェル領を治める貴族達が既に多く集まり、それぞれが新たな領主の門出を祝う言葉を交わしている。

 リリーの両親は、午餐会の後、一度帰宅するか、そのまま祝賀会に出席するかは、その場の状況次第だと話していた。が、結局、帰らなかった。会場内にいることは間違いないので、リリー達は、両親を探すことにした。祝賀会では、謁見室へ家ごとに赴き、新たな領主に祝辞を述べることになっている。アマリエ伯爵家はアズウェル領の分割統治者であるため、最初に呼ばれる予定だ。それまでには、両親と合流しておかなければならない。

 リリー達が、挨拶を交わしながら会場をゆっくり進んでいるうちに、オーウェン公爵とアルフレッドが舞台に姿を現した。皆が一斉に注視する。黒い燕尾服に身を包んだアルフレッドは、侯爵の爵位に相応しい精悍な青年に見えた。にこりとも微笑んでいない真顔が、逆に知的に品よく見えるから美形は得だなと、リリーは思った。オーウェン公爵が片手を上げると音楽が止む。ざわざわしていた会場が一斉に静まった。


「今宵は、我が息子の門出を祝うために多くの方々にお集まり頂き深く感謝申し上げる。本日より侯爵の爵位を賜りこのアズウェル領の当主となったアルフレッドだ」


 オーウェン公爵の重低音のよい声が会場に響く。オーウェン公爵とアルフレッドが横並びになると本当によく似ている。いや、しかし、人相は年と共に顔に出るというし、アルフレッドが、あんな素敵な年の重ね方をするとは思えない。きっと人相の悪いジジイになるに違いない。


「紹介にあずかりましたアルフレッド・オーウェンです。本日は、私のためにお集まり頂き、有難うございます。私は長らくこの地を離れておりましたが、幼少期に育ったこのアズウェル領のことはいつも心にありました。王都ではいずれ父の跡を受け継ぐ日のために勉学に励み、研鑽を積んできたと自負しております。新たな領主として、アズウェル領をより豊かにし、更なる発展と繁栄に努める所存です。どうぞ今宵は宴をお楽しみください」


 リリーが良からぬ想像をしている間に、アルフレッドが卒のない挨拶を披露した。立派に見える。癪に障るほど。しかし、確かに昔からそれに見合う勉強はしていたな、とリリーは少しだけ申し訳ない気持ちになった。アルフレッドは、五歳の頃から三人も家庭教師につけて勉強していた。父の後を継いで公爵にならねばならんからな、とよく言っていた。意識高い系ではあった。


『アルフレッド様が、公爵になったら、お祝いのパーティーする?』

『当たり前だろ』

『リリーも行っていい?』

『家来が不参加でいいわけあるか』


 いつだったかそんな話をしたことがある。あんな誘われ方でも、嬉しかった。パーティーは憧れの大広間棟で行われると思ったから、父に頼んで可愛いドレスを買ってもらうとはしゃいだ。お姫様みたいな可愛いリボンのいっぱいついたドレスにする、と。ちょうど、アルフレッドが送りつけてきたドレスみたいな……。


――まさかね。


 そんなロマンチックな男じゃない。リリーは、壇上のアルフレッドを見つめた。一礼している。顔を上げると拍手がわいた。リリーも、周囲と同じように手を叩いて、オーウェン公爵とアルフレッドが壇上から下りて行くのを見送った。



 オーウェン公爵とアルフレッドが前室へ下がると、楽団が再び演奏を始め、会場には賑やかな空気が戻った。ほどなくして、公爵家の執事が大広間の中央へ進み出た。

 執事は手元の名簿に目を落とし、謁見室へ案内する最初の家名を読み上げる。


「アマリエ伯爵様」


 ちょうどその時、反対側から父と母が歩いてくるのが見えた。両親と合流し、エリスとレオナルドを含めた五人で、案内の後について大広間を後にする。短い廊下を進むと前室があり、その奥が謁見室になっている。父を先頭に一家は謁見室へ足を踏み入れた。

 大広間よりはずっと小さいが、それでも十分に広い部屋だ。正面には一段高い壇が設けられ、その背後にはオーウェン公爵家の紋章旗が掲げられている。幼い頃一度だけ、隠れん坊の最中にこの部屋に入った記憶がある。かっこいい旗だと思った。


「ようこそ、アマリエ伯爵」


 壇の手前に、オーウェン公爵とアルフレッドが並んで立っている。オーウェン公爵が穏やかに声を掛け、父が一歩前へ進み、胸に手を当てて一礼した。母とエリス、レオナルド、リリーもそれに倣う。


「このたびは、アルフレッド様のご授爵、誠におめでとうございます。アマリエ伯爵家一同、心よりお祝い申し上げます」

「礼を言う。これからも変わらぬ力添えを頼む」


 オーウェン公爵の言葉に続き、アルフレッドも軽く頭を下げる。


「ありがとうございます。今後とも、よろしくお願いいたします」


 それだけの短いやり取りを終えると、再び全員で一礼する。


――え、びっくりするくらい睨まれてるんだけど。


 と、顔を上げた瞬間リリーはたじろいだ。しかも、絶妙に家族には分からないようにガンを飛ばしている。祝いに訪れた人間にそんなことある? とリリーは困惑した。大体、怒っているのはこっちだ。一言言ってやりたかったが、次々と訪れる貴族達を迎えるため、与えられる時間は長くない。背後では、早くも次の家名が告げられている。リリーは、不快に感じながらも、係の者に促されるまま、両親の後について脇の扉へ向かうしかなかった。




 約一時間に及んだ謁見が終わり、最後の一家が大広間へ戻ってきた。それを合図にしたように、楽団の演奏が静かに止む。談笑していた人々も口を閉ざし、広間には自然と静寂が広がった。やがて、公爵家の執事が大広間の中央へ進み出て、


「皆様、お待たせいたしました。これより、開宴の舞を執り行います」


 と告げると、場内の視線が一斉に中央へ集まった。


「アルフレッド・オーウェン侯爵閣下。エリーローズ・アッシュフォード公爵夫人」


 名を呼ばれた二人が、それぞれゆっくりと歩み出る。

 エリーローズは、アルフレッドの母エマの妹、ティアラの娘だ。アルフレッドより三つ年上の従姉にあたる。王都から祝いに訪れた女性の中では最も身分が高く、開宴の舞の相手に選ばれた。

 二人が広間の中央で向かい合う。アルフレッドが一礼し、右手を差し出すと、エリーローズは優雅に微笑んでその手を取った。再び楽団が演奏を始める。軽やかな旋律に合わせ、二人は広間の中央で静かに踊り始めた。息の合ったダンスに、会場の人々はすっかり見惚れている。やはりアルフレッドは、ダンスが上手かったのだな、とリリーは改めて思った。

 短い曲が終わり、二人が互いに礼をすると、大広間は惜しみない拍手に包まれる。エリーローズがフロアの外へ下がると、公爵家の執事が再び中央へ進み出た。


「続きまして、祝いの列舞を執り行います。どうぞ中央へお集まりください」


 その一声で、広間のあちらこちらから未婚の若い男女が歩み出る。次々と相手を替えながら踊る列舞は、祝いの宴では恒例の催しだ。リリーも周囲に合わせて静かに列へ加わった。

 演奏が始まると、向かいに立つ相手の手を取る。楽団の演奏について笑みを交わしながら、二言三言語り合い、三拍子のリズムに合わせて決められた型を踏む。しばらくすると相手が替わり、また、天気や庭園の美しさなどのたわいもない会話を繰り返す。粛々とダンスの列は進んでいく。ほがらかに、愛想よく。誰もが今夜の祝いの席にふさわしい表情を浮かべていた。

 しかし、何人目かの相手と向き合ったとき、その調和は崩れた。アルフレッドが、場違いなほど不機嫌な顔をして立っている。うわっと思う内心を表さないように、リリーは歩調を合わせ、互いの距離が近づいたところで、


「何、怒っているんですか?」


 と率直に尋ねた。


「うるさい。何もしゃべるな」


 信じられない答えが返ってくる。お前を祝いに来てるのだが? とリリーは苛ついた。


「わたし、貴方に話があるんですけど?」

「お前は、金輪際、天候と音楽の話以外するな」


 流石にわけがわからなすぎる。リリーは、怒りを通り越して呆れた。


「意味不明です」

「……」

「話があるんですって」

「俺にはない」

「逃げないでくださいよ」

「馬鹿か。お前のような薄情な奴と話すことなどないんだ」

「は?」


 お前のような屑に、ここまで付き合ってやっているんだ。薄情なわけがあるか、と言い返したかったが、列舞は容赦なく次の相手へと流れていく。新たな相手と対面すると、アルフレッドは穏やかに笑みを返していた。考えられない所業だ。一体なんだ。ダンスホールに行った日以来会っていない。あの日、アルフレッドは機嫌よく帰宅した。もしかして、グレイン男爵邸を訪れたことに腹を立てているのだろうか。いや、知るはずもない。そもそも、知られたところで、怒られる筋合いもない。リリーは、不愉快極まりなくアルフレッドを見ていたが、


「良い夜ですね」


 ダンスの相手に、感じよく笑いかけられて、はっとした。しまった、と思った。あんな男に気を取られて、この紳士を蔑ろにする道理があってよいはずがない。リリーは、アルフレッドを視界から遮断して、にっこり微笑みダンスに集中した。



 

 列舞が終わると、楽団は新たに軽快な曲を奏ではじめ、自由なダンスの時間となった。リリーは踊る相手もいないので、ひとまずフロアから出た。両親の元へ戻ろうか考えていると、


「リリー!」


 名前を呼ばれて振り向いた。学校時代の友人達が笑顔で手を振っている。


「久しぶり」

「カーラのお茶会以来ね」

「元気そうで安心したわ」


 リリーも自然と笑みを浮かべた。学校を卒業してから、婚約解消のことがあって引きこもっていたが、親しい友人達のお茶会には一度だけ参加した。遠い昔の気がするが、実際は三週間も経っていない。


「皆、元気だった?」

「お茶会ばかりで毎日くたくたよ」

「学生の頃が懐かしいわ。お母様が急に厳しくなっちゃって」

「わかる。何をしても『もう学生じゃないのよ』って言われるし」


 顔を見合わせて笑い合う。懐かしい空気。よくダンスホールでこうやって屯っていた。メアリがいないことを除けば、あの頃のままだ。さっきの列舞は、未婚の男女のみで踊るものだったから、他の場所にいるのだろう。


「ねぇ、喉が渇いたから何か飲みに行かない?」


 一人の友人の言葉に、皆が賛同する。そのうちメアリも来るかもしれない、とリリーもその後ろに続いた。

 


 フロアの左奥が休憩室になっている。その前には、飲み物を並べたテーブルが設けられている。誰が言うともなく、そちらへ向かっていると、先頭にいた友人が、ふいに足を緩めた。疑問に思って、進行方向を見つめると、少し離れた場所に集まっている令嬢達が何かを囁き合っている。リリーは、明らかに自分に視線が向けられていることを感じた。他の友人達もすぐに察したらしく、リリーを囲むように歩き出す。しかし、通り過ぎようとしたところで、抑えた声が耳に届いた。


「今日こそ、何か発表があるのかと思っておりましたわ」

「噂は所詮噂よ。夢見る誰かの妄言だったのではないかしら」

「では、噂を利用して外堀を埋めようとなさったのかしら。随分と浅ましいわね」

「失敗しちゃったみたいだけど」


 名前は一度も出ていない。けれど、リリーに宛てた言葉であることは明らかだった。友人達の表情が強張る。


「リリー、気にしないで」


 小さな声で庇うように言われて、リリーは苛つきが抑えられなかった。せっかく良い気分だったのに台無しではないか。気を遣わせてしまったし、皆を不快にさせた。全部アルフレッドのせいだ。さっきの態度のことも相まって、胸糞悪すぎて、衝動が抑えきれなくなった。リリーは会場内をぐるりと見渡して、


「ごめん。少し外すわ」


 友人達へ告げると、その場を離れた。斜め前方にできた人集りの中心に、アルフレッドの姿が見えたから。大勢の令嬢達に囲まれ、次々と声を掛けられている。普段、オーウェン公爵家の夜会に招かれない下位貴族達が、ここぞとばかりに顔を繋ごうとしている。主催者は、招待客を無下にはできないから、令嬢達には絶好の機会だ。まして若い未婚の領主なのだから、自分をアピールするのは、貴族として正しい。もしかして、今日まさしくアルフレッドは運命の出会いをして、めくるめく大恋愛を始めたりするのかもしれない。だが、そんなことは自分には小指の爪の先ほども関係ない、とリリーは思った。お前が流した噂の代償は、お前が払え、と。


「アルフレッド様!」


 リリーが後ろから声を掛けると、アルフレッドは珍しく、目を見開いて驚いた顔をした。周囲の令嬢達も一斉にこちらを向く。


「先日、約束していたものを渡したいのですけど、お忙しそうなので、今日は皆様にお譲りしますね。明日、いつもの場所でいつもの時間にお待ちしております。必ず来てくださいね」


 リリーは一息に言うと、ざわざわした空気は一瞬しんとした。これはいつもの常套句だ。昔はこうやってアルフレッドに言い寄る令嬢達の間に、否応なく割って入らされた。遠くて黒い過去。アルフレッドと目が合う。無視するか、断るか、流すか。アルフレッドがどうするか知っている。だって、家来が馬鹿にされるのは絶対に許さないから。


「……わかったよ、リリー」


 アルフレッドが、他所行きの顔で笑って言う。相当無理しているのがわかるから、笑えてくる。かといって、さっきのダンス中の発言を許したわけではない。お前、今、首の皮一枚で繋がっている状態だからな、という思いを込めて、リリーもにっこり笑った。

 きゃあ、と歓声が上がったが、今更気にしても仕方ない。ただ、友人達には釈明しなければならない。リリーは踵を返し、元の場所へ戻った。当然に、嫌味を言った令嬢達に笑いかけながら。


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