君主たるもの、もしも偉大なことを為したいと思うならば、
君主たるもの、もしも偉大なことを為したいと思うならば、人をたぶらかす技、つまり権謀術数を習得する必要がある。
この種の技術習得の必要性は、君主国に限らず、共和国の場合は、より必要になって来る。
少なくとも、その国が非常に強力になってパクス・ロマーナ的な状態になるまでは、術策を弄することは、必要欠かかざるべき生存術である。
ローマも、他にライバルがいないほどに強大になるまでは、状況の変化に合わせて、または自ら進んで、有効と思われる限りのあらゆる術作を活用したものであった。
『政略論』
マキアベリ氏が言う「権謀術数の必要性」は、君主制よりもむしろ共和国”方で強く要求され、ローマはパクス・ロマーナ以前、状況に応じてあらゆる策を使い生き延びた、という歴史分析に基づく。
この言葉は、『君主論』の冷徹な現実主義と、『政略論』の共和政論が交差する部分。
マキアベリ氏は、共和国が偉大さを獲得するためには、君主以上に「狐の狡猾さ」を必要とすると述べている。
そして、これは、以下の前提に基づく。
1. 共和国は内部対立が避けられないため、術策が不可欠。
共和政は自由を生むが、同時に派閥争い・階級対立を内包する。
そのため、国家を維持し拡張するには、外交上の欺瞞、敵対勢力の分断、同盟の操作、民衆心理の誘導 といった「術策」が不可欠になる。
これは『政略論』のローマ史分析に基づく主張になる。
2. ローマは強大化するまで「あらゆる策」を使った。
ローマはパクス・ロマーナ以前、周囲に強敵が多く、常に危機に晒されていた。
そのため、マキアベリ氏は、ローマの行動を「徳と術策の両立」と評価する。
具体例として、ローマは以下のような策を用いた。
・敵対勢力を互いに争わせた。(サムニウム戦争期)
・同盟都市に段階的な市民権を与え、忠誠を操作した。
・カルタゴとの関係を利用し、他国の勢力均衡を崩した。
・必要とあれば条約を破棄し、戦略的利益を優先した。
マキアベリ氏は、これを「国家の生存のために不可欠な柔軟性」として肯定的に評価する。
なぜ君主より共和国の方が“術策”を必要とするのか。
マキアベリ氏は、 君主制の場合は、意思決定が速く、内部対立が少ないので、術策は必要だが、君主個人の能力に依存するケーズが多くなる、と論じた。
一方、共和制の場合は、派閥・階級・元老院・民会など、多数の利害が衝突するのが必然なので、外交・軍事で一貫性を保つには、制度的な術策が必要となった。
ローマの成功は、制度が術策を可能にした点にある。
つまり、共和制は「徳」だけでは動かず、「術策」を制度化する必要があるというのがマキアベリ氏の主張である。
国会議論を聞いていると、「正々堂々と戦争を仕掛けた国を非難せよ」と、大声で主張する議員(左派系)が多い。
しかし、「正々堂々」は倫理的・感情的評価語であり、国際法・外交実務で用いられる客観的基準ではない。
戦争行為の評価は、武力行使の合法性(国連憲章)、自衛権の要件、開戦に至る外交・軍事的経緯
といった具体的事実と法的枠組みで行われる必要がある。
道徳語を前面に出すと、「何をもって非難するのか(違法性か、被害規模か、意図か)が不明確になる。
また、 手段の透明性と結果責任を混同している。
「宣戦布告した」「隠さず戦った」といった形式的な透明性と、多数の民間人被害・国際秩序破壊という結果責任は別次元の問題である。
形式が「正々堂々」であっても、不法な武力行使や過剰な被害は非難の対象になる。
逆に言えば、「非難の根拠は“やり方の正直さ」ではなく「行為の中身と結果」である。
国際法秩序の基準を弱めるリスクとしては、国際社会では「武力行使は原則違法」「例外は厳格に限定される」という考え方が共有されている。
「正々堂々だったかどうか」を評価軸にすると、奇襲は悪、堂々とした侵攻は相対的に可という誤った基準が入り込みかねない。
これは結果として、侵略行為の正当化余地を広げる危険がある。
そして、 外交・安全保障議論を感情的対立に引き寄せるリスクも発生する。
道徳的非難を単純なスローガンで行うと、冷静な情勢分析、利害調整、将来的な抑止や和平の設計が置き去りになる。
国会や政策の場では、善悪の断罪より、実効性ある対応策(制裁、仲介、抑止、支援の範囲)が本来の焦点である。
歴史評価・自国評価との整合性問題にしても、戦争評価を「正々堂々か否か」で語る立場を取ると、過去の戦争、同盟国・友好国の軍事行動に対しても同じ基準を適用できるのかという問題が生じるし、一貫性を欠くと、外交的信頼性や説得力を損なうのである。
特に有事においては、感情的で、浅い根拠からの批判は避けるべきと思うが、「日本の国益より、政府批判が好き」な人が多いのも事実。
自国益にリスクを与えたいのだから、よほど日本が嫌いか、滅亡を望むか、外国の支配が好きなのかもしれない。




