誰でも、なるべく容易に
誰でも、なるべく容易に、物事を達成したいと願うものである。
しかし、同じことでも、簡単に実現してしまう人と、大変な苦労をした末にしか実現できない人に分かれるのも事実である。
その原因は、あらかじめできている準備を、訪れたそのチャンスに投入すべきか、または、投入しないほうがよいかを見極める判断力にあると思う。
なんでもかんでも、全力投球すれば成功するとは限らないのである。
この際の判断力の良し悪しが、その人の人生がスムーズに進むのか、それとも大変な苦労に満ちたものにになるのかの、分岐点になると思う。
「戦略論」
まさに「戦略論」が扱う中核のテーマである。
以下に、戦略論の基本的な考え方と、判断力の差が結果を分けた過去の実例を示す。
1. 戦略論の核心:「全力」ではなく「選択と集中」
戦略論ではしばしば「選択と集中」が強調される。
「努力量を増やす」ことではなく、「どの局面に資源(時間・労力・準備)を投入し、どの局面では投入しないかを決める」という判断そのものが成果を分ける、という考え方に立つ。
2.過去の実例
① 桶狭間の戦い(1560年)
織田信長:「全力を出す局面」を一点に絞った判断を行った。
状況は、今川義元:約2〜2.5万人、織田信長:約2〜3千人。
兵力差はおよそ 10倍。常識的には籠城・持久戦が妥当だった。
しかし、信長の判断は、「常識」を無視した。
つまり、「すべての戦線を守ろうとせず」、「 城・砦をあえて見捨て」、「 義元“個人を討つ」の一点に準備を集中した。
信長は、徹底した情報収集(地形《谷間・狭隘地》の活用・敵の油断《宴・休息》)という 「ここしかない瞬間」に準備を全投入 した。
結果、義元は討死し戦争は終了した。
この戦いは「奇跡」ではなく、投入判断の最適化と評価されている。
教訓としては、「勝てない戦を長く続ける」より、「勝てる一点に全てを賭ける」方が「消耗が少ない」、になる。
② ガウガメラの戦い(紀元前331年)
アレクサンドロス大王は、「勝てる形ができるまで戦わない」と考えた。
ペルシア帝国は、20万以上とも言われる大軍であり、自軍マケドニア軍は約4〜5万人。
正面衝突では敗北必至だった。
アレクサンドロスの判断は、「 数で勝とうとしない」、「 地形と陣形を勝てる形に整える」、「 中央突破の瞬間まで決定打を打たない」だった。
彼は 斜行陣 を用いて、ペルシア軍を横に引き伸ばし、指揮系統の「裂け目」を誘発し王ダレイオスの退却を引き起こした。
ここでも勝敗を分けたのは、「いつ、どこに、主力を投入するか」 の判断だった。
教訓としては、努力や勇敢さを妄信、過信するのではなく、「構造が勝てる瞬間を作ってから動く」、ということになる。
③ 日露戦争(1904–1905年)
日本軍は、国家戦略として、「全面決戦」を避け続けた。
状況は、日本は人口・資源で圧倒的劣勢。
対するロシアは、圧倒的大国だが補給線が長大(国土が広大過ぎた)。
日本の戦略判断は、「 ロシア本土に踏み込まないこと」、「 海と満州に戦場を限定すること」、
「 時間を味方につける間接戦略をとること」だった。
陸海軍とも「短期決戦」ではロシアに勝てないことを理解し、それよりは、「ロシアの補給疲弊、国内不安」、「外交(英同盟)」を含めて 「戦場の外」に力を投入した。
その結果、日本は講和に持ち込み、目標を達成した。
教訓として、全力を出すのは戦場だけではなく、勝負そのものを有利な形に設計する、ということになる。
④ 対照例として、第二次世界大戦 日本の失敗がある。
日本は、「どの戦いにも全力投入する」という愚策をとった。
日本は、中国、太平洋、東南アジア、インド洋と 同時多方面に全力投球した。
戦略論的に見ると、「投入すべきでない局面にも資源を使い」、「撤退判断ができず」、「準備の優位を活かせない戦場で消耗」した。
結果、「努力量」が「苦労と大失敗」に変わった典型になる。
歴史的成功者に共通するのは、「 準備は常にしている」「 しかし 投入は選び抜かれた一瞬だけ」、そして 「やらない戦い」を多く持っていること。
歴史的に考えれば、成功は「「努力の大小」ではなく「投入判断の精度」であることが、はっきり示されていると思うけれど、「高度成長期昭和の成功体験」から抜け出せない経営者が実に多い。
「何でもかんでも、がむしゃらに突き進めば成功する」と従業員に強要し苦しませ、失敗責任まで、従業員に押し付ける。
そして、無理で無駄な仕事を押し付けた当の経営者は、従業員の悲哀など、何も考えない。




