歴史に残るほどの国家ならば必ず
歴史に残るほどの国家ならば必ず、どれほど立派な為政者に恵まれようとも、二つのことに基盤においたうえで、種々の政策を実施した。
それは正義と力である。
正義は、国内に敵をつくらないために必要であり、力は国外の敵から守るために必要であるからだ。
「フィレンツェ共和国の今後について、メディチ家の質問に答えて」
君主は、国内では、正義(秩序、治安)を確立し、敵をつくらないこと。
国内が安定しない、治安の悪い国は、国民も安心して暮らせず、事件ばかりでは、諸外国からの投資も呼び込めない(結果的に経済は低迷する)
当時のフィレンツェ実質的支配者メディチ家当主も、教会で襲われたことがある。
※中世フィレンツェでメディチ家が教会で襲撃された事件=パッツィ家の陰謀
これはフィレンツェ史の中でも最も劇的で、宗教空間で起きた政治テロとして非常に有名。
● 事件の概要(1478年4月26日・復活祭のミサ中)
• 場所:フィレンツェ大聖堂(サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂)
• 標的:メディチ家の兄弟
• ロレンツォ・デ・メディチ(イル・マニーフィコ)…負傷するが生存
• ジュリアーノ・デ・メディチ…刺殺され死亡
• 実行者:フィレンツェ共和国内の政敵パッツィ家を中心とする一派
ピサ大司教フランチェスコ・サルヴィアーティ
ローマ教皇シクストゥス4世の関係者(教皇庁も背後で関与)
● 事件の背景
• メディチ家はフィレンツェの実質的支配者であり、銀行業と政治力で巨大な影響力を持っていた。
• パッツィ家はこれに対抗する名門で、教皇シクストゥス4世と結びつき、メディチ家の排除を計画した。
• その頂点が「ミサ中の暗殺」という大胆な計画だった。
● 事件の流れ
• 復活祭のミサが始まり、会衆が祈りを捧げる中、合図とともに刺客がジュリアーノを襲撃。
• ロレンツォは機転を利かせて聖具室に逃げ込み、扉を閉ざして難を逃れた。
• 暗殺が失敗したことで、フィレンツェ市民は逆に激怒し、パッツィ家側が次々と処刑・追放される事態になった。
● 事件の影響
• メディチ家の権威はむしろ強化され、ロレンツォは「イル・マニーフィコ(偉大なる者)」として名声を確立。
• フィレンツェとローマ教皇庁の関係は悪化し、戦争(パッツィ戦争)に発展。
• フィレンツェ史・ルネサンス史の転換点となった。
「力は国外の敵から守るために必要」
これも、歴史を深く知る人、あるいは、昨今の国際政治状況(ベネズエラ等)を知ればわかりやすいと思う。
力なき国は、強国の機嫌を損ねれば、あっという間に政権など転覆させられてしまう。
つまり、自国を守りたければ、敵国につけいらせない程度の防衛力は、欠かせないということになる。




