第75話 営業時間前
今日もルシアは来た。
開店前だ。
準備中だ。
掲示板にもまだ出していない。
それでも来る。
スタスタスタ。
カウンターの俺の真正面に、当然のように座る。
「今日は何かあったのかい?」
聞くと、喋り始める。
止まらない。
昨日のダンジョンのこと。
リナのこと。
このゲームを始めた頃のこと。
話題は飛ぶ。
脈絡もない。
最初は、相槌を打つだけで精一杯だった。
ルシアの話は速い。
言葉の隙間がほとんどない。
追いかけても追いかけても、もう次の話題にいる。
だから最初は「うん」と「そうか」しか言えなかった。
でも気づいた。
ルシアは相槌を聞いていない。
聞いているのは、俺が次に何を言うか、だ。
言葉の隙間に、わずかな間がある。
そこを狙って返すと——
「そうだろう?」
ルシアが笑う。会話になっていた。
気づけば開店時間になっていた。
「そろそろ開店するけど」
「構わない」
そのまま座っている。
今日もルシアは来た。
また開店前だ。
またカウンターの定位置だ。
昨日と同じ席に、昨日と同じように座る。
「今日は何かあったのかい?」
また喋り始める。
また止まらない。
今日は少し早く隙間が見えた。
返す。
ルシアが続ける。また返す。
「……少し慣れてきたな」
褒められてるのかどうか、よくわからない。
客が来ても喋っている。
常連が来ても喋っている。
閉店時間になっても、まだいる。
「もう閉店だけど」
「そうか」
特に悪びれない。
それでもしばらく立ったまま喋り続けてから、ようやく帰る。
今日もルシアは来た。
三日連続だ。
もう驚かない。
スタスタスタ。
カウンターの定位置。
当然のように座る。
「今日は何かあったのかい?」
「毎回同じことを聞くな」
「毎回来るから」
「……それもそうか」
少し間があって、また喋り始める。
三時間喋り続けて、閉店後も帰らない。
そのうち、ルシアが不意に言った。
「今日から呼び捨てでいい。私もそうする」
「……いや、それはダメだよ。他のお客さんの手前もあるし」
「だったら他の客がいない時だけならいいだろう?」
「それも……ルシアさんにも良い人が出来るかもしれないし。一応フレンド作りの店だから」
「むぅ。硬い奴だな」
少し間があった。
「だったら私だけ呼び捨てにする」
「え、それは——」
「アルト」 ——
その瞬間、店の空気が重くなった気がした。
音は小さいのに、どこか逃げ場がない。
長いこと、“俺”で足りていた。
名乗るほどの人間じゃないと思っていた。
否定の言葉は、出てこなかった。
ルシアは当然の顔で、俺を見ていた。




