第168話「越境」
6月12日、午後3時44分。
庁舎に戻った俺たちは、捜査本部の打合せスペースに無言で椅子に座っていた。
机の上には、これまでの捜査報告書や被疑者らの調書等が散乱していた。
「……やはり刑部は書類送致としても無理だな。」
最初に口を開いたのは山崎だった。
「どの押収品からも刑部の確たる関与は出なかった。それに…」
「正当業務行為としての認識で、故意性も公判では戦えない。法務省から圧がかけられてる今、福田で終結させるしかないということですね。」
俺は山崎の言葉を補足すると「ああ。」と端的に返ってきた。
刑部は何が行われたか認識し、主導していた。
自供に近い内容もあったが、それを裏付ける証拠は無い。
命令は存在せず、指示も残っていないため、残っているのは『そう解釈できる』という状況証拠だけだった。
刑部はその思想を体現しつつも、法の内側で完璧に逃げ切った。
「……結局、上はどう考えているんですか。これから、福田と倉橋の逮捕広報で会見室に行っているんですよね?」
中村の問いに、山崎は小さく息を吐いた。
「刑事手続きは、ここまでで終わらざるを得ない。……福田と倉橋で終わりだ。」
山崎はどこか怒りを含みながらも、静かな声だった。
「じゃあ終わりってこと。……上まで行けなきゃ形を変えて続くだけでしょ。」
後藤が荒々しく言い放ち、それに山崎は首を横に振った。
「刑事事件としては終わるしかない。でも……社会的責任は、これから問われるだろう。」
その一言で、部屋の空気が変わり、俺は顔を上げた。
「御厨理事官が動いています。理事官が懇意にしている記者も。そして……」
山崎がわずかな間に息を整えた。
「調査対策官《私の母》も……」
俺は思わず山崎を凝視した。
「係長の母親って……」
山崎は答えなかったが、誰もが理解した。
資源庁の内部にいる“調査対策官”が動いているという意味を。
その瞬間、部屋の隅で小さく鳴っていたテレビに、速報テロップが流れていた。
<警視庁 男性関連事件で会見へ>
画面が会見室へ切り替わり、壇上に錦部長、竹村課長、御厨理事官が並んでいた。
そして会見室のざわめきが、スピーカー越しに微かに漏れていた。
俺たちは誰も言葉を発さない。
何が発表されるか、全員が固唾を飲んで見守っていた。
『世間の皆様を不安にさせている一連の事件につきまして、国家生殖資源庁の福田弥生管理対策官及び独立行政法人国立病院機構の倉橋和美医師を、男性監禁幇助等の罪により逮捕したことをお伝えします。』
錦が淡々と原稿を読み上げる。
フラッシュの光が、画面越しでも分かるほど断続的に瞬いていた。
『本件につきまして、一連の事案の整理を致しますと…』
そう前置きをし、錦が言葉をこれまでの捜査の総括を説明した。
資源庁の男性DBに脆弱性の問題があり、資源庁職員によって不正にランクが書き換えられていたこと。
そのうちの数名は詐欺に嵌められ借金を背負わされ、新宿区の店舗で軟禁状態になり、違法風俗で働いていたこと。
さらに、そのうちの一人の男性は身体影響が出たため豊島区の店舗に移送された上、病院等での医療措置が取られずに監禁されていたこと。
一連のスキームは資源庁職員である数名が関与し、指示者として福田の検挙に至ったこと。
そこまでしか話が出来ない錦の隣で、悔しそうな表情を浮かべる御厨が映った。
『また、引き続き関係機関との連携のもと、全容解明に向けて引き続き捜査を尽くしてまいります。』
そう予定されたような文言で、錦が締めの言葉を言った。
その直後、記者席から一斉に手が上がった。
『他にも被害男性はいるのか。』
『組織的関与の可能性はあるのか。』
『資源庁長官の認識はどうなのか。』
矢継ぎ早の質問が来ていたが、錦は表情一つ変えなかった。
『個別の関係者については、捜査に支障があるため回答を差し控えます。』
全ての質問に、それだけを回答していた。
同じ質問が繰り返されても、答えは変わらない。
そんな中、一人の記者に質問が当たった。
『SK新聞の長谷と申します。3点質問があります。』
会見室の空気が、わずかに変わった。
長谷はメモを見ることなく、まっすぐ壇上を見据えていた。
『1点目ですが、本件の発端となった男性DBの改ざんですが、長期間にわたり発見されなかった理由は何ですか。祖母井氏の逮捕時にその情報を外に漏らしていたと発表がありましたが、内部監査は機能していたのでしょうか。』
錦が口を開きかける前に、隣の御厨が小さく視線を落とした。
錦は予定通りの口調で答える。
『現在も関係機関と連携し、事実関係を精査しております。個別の内部体制については回答を差し控えます。』
間髪入れず、長谷が続けた。
『2点目。本件は資源庁の制度運用に起因する権限の濫用問題である可能性があります。警察として、そういった職権濫用の有無をどこまで確認していますか。』
わずかな沈黙。
『捜査中でありますので、コメントは差し控えます。』
完全に想定内の回答だが長谷は、最後の質問をゆっくりと言った。
『3点目、最後です。本件、管理対策官という資源庁の上層部の検挙にまで踏み切っておられますが、資源庁長官の責任及び関与について、警察としてどのように認識していますか。』
空気が止まった。
長谷が、資源庁長官が関与していないはずがないという皆の疑念を電波に乗せたからだ。
『関係者の認識等については、捜査情報のため発言を控えます。』
錦がそう言ってマイクを切ろうとしたその瞬間、隣に座っていた御厨が、マイクに手を伸ばした。
御厨はそのまま、マイクに口を近づけ、口を開いた。
『今の質問については、私から一つ補足します。』
記者席がざわめいている。
画面の中で、錦が驚いたように御厨を凝視していた。
御厨は静かに長谷を見据えたまま言った。
『国家生殖資源庁の刑部正美長官の責任、そしてその認識については、現在、関係機関において確認が進められています。』
会見室の空気が一変した。
それは、警察発表では絶対に使わない表現だったためだ。
御厨の言葉が落ちた直後、記者席は一瞬静まり返り、次の瞬間、堰を切ったように声が重なった。
『長官の責任とは具体的に何を指すのか!』
『確認が進められているとは、誰が何を確認しているのか!』
『警察として資源庁の組織的関与の可能性を認めたのか!』
怒号にも似た質問が飛び交い、錦が慌ててマイクを引き寄せた。
『本件に関する追加の発言は以上です。本日の会見はこれで終了します。』
それは、原稿に無い言葉だったのだろう。
そのまま強引に錦が席を立ち、その横で御厨は動かなかった。
ただ静かに前を見据えたまま、フラッシュを浴び続けていた。
テレビ画面がスタジオへ切り替わり、興奮気味のキャスターの声が流れた。
『ただいま警視庁の会見で、国家生殖資源庁の刑部長官について、責任の確認が進められているとの発言がありました。警察会見としては極めて…』
後藤が小さく舌打ちした。
「流石理事官、あの記者と組んでたね……」
誰も否定しなかった。
山崎は腕を組んだまま、画面を睨み続けている。
俺は何も言えなかった。
刑事としての事件は、後は公判維持に向けた取調べと裏付けの補充捜査のみだ。
だが、今テレビの向こうで始まったのは、刑事事件よりもはるかに止めようのない流れだった。
ニュース速報の音が再びなり、テレビ画面のテロップが変わった。
<【警視庁 一連の男性事件首謀を検挙 資源庁長官の責任追及】>
中村が興奮した様子で、スマートフォンを俺と後藤に見せてきた。
「……ニュースアプリ、全部これです!」
画面を覗き込んだ後藤が小さく息を呑んだ。
「早すぎだろ……」
俺も画面を見ると、速報の見出しが並んでいる。
<
・資源庁長官の関与「確認進む」警察会見で異例発言
・管理対策官逮捕事件 長官責任論が浮上
・警察発表で資源庁上層部に波紋
>
まだ会見終了から五分も経っていないのに、もう記事が出ている。
「用意してたってことですかね……」
俺は、思っていたことが口から零れた。
長谷はこの瞬間に合わせて、準備をしていたんだろう。
山崎が静かに言った。
「理事官と長谷記者、LUXEの時からずっと関係が続いていたんだな。」
否定する者は、いなかった。
テレビでは別の局のコメンテーターが話し始めていた。
『これは大事ですよ!組織的関与の可能性を警察が示唆したと受け取られても仕方ありませんから!資源庁長官の進退問題に発展する可能性があるでしょう!』
俺たちの仕事は終わりに近づいていたが、世論は何一つ終わっていなかった。




